人気ブログランキング | 話題のタグを見る

1873.10.17(Fri)

 ピアノを弾いていると新聞が来た。私は「ガリニャニ報知」を取り上げてみると、一番に目についた文句は公爵H…の結婚を報じている。
 新聞は私の手から取り落とされなかった。反対にそれは私にこう着した。私は立っている力がなかった。それで腰掛けて、少なくとも十度その恐ろしい記事を読んでいるうちに、自分が夢を見ているのではないことが確かめられた。おお、私は何を読んだのでしょう! 私は何を読んだのでしょう! 今夜は字が書けないので、私はひざまずいて泣いていた。母様が入っていらした。私は母様に泣いているところを見られないように、お茶の支度が出来たかどうか見に行こうとしているような風をした。それに私はラテン語の日課もしなければならなかった! おお! この苦しさ! おお、この煩わしさ! 何にもすることも出来なければ、しないでじっとしていることも出来ない。どんな言葉を持って来ても私の心持ちは表せない。私を絶望させ、私を怒らせ、私を殺すものは嫉妬である。せん望である。それは私の魂を裂き、私を狂暴にする。……せめてそれを表すことでも出来ればよいけれども! しかし私はそれを隠して、落ち着いた風をしなければならぬ。それがなおと私を惨めにする。シャンパンの栓を抜くとほとばしってやがて落ち着く。けれども栓を半分抜きかけておくと、いつまでも沸騰している! ……いや、その比喩(ひゆ)は正しくない。私は苦しみながら押しつぶされているのだから!!! ……
 もちろん次第に忘れてしまうだろう! ……私の悲しみが永久に続くと言えばこっけいになる。永久なものなんか何にもない! けれども実際今ではそれよりほかに私は考えようがない。あの人が結婚するのではなく、ほかの人があの人を結婚させるのである。それは全くあの人の母親のたくらみから出たものである。(1880年付記。この騒ぎの主は、私が往来で一、二度見たことがあるけれども、その人が誰であるかも知らなければ、その人も私の存在を知らない人なのである。)おお、私はあの人を憎む! 私はあの人があの婦人と二人でいるところを見てやりたい! 彼らは今バードにいる。私の大好きなバードに! 私がよくあの人に出会ったことのある、あの散歩道、あのkiosk(キオスク/涼亭)、あの店々! ……(これを1880年に読み返してみたけれども、私に何らの感情をも起こさせない。

 今日から私はあの人に関するお祈りを変える。私はもうこれからはあの人の妻にして下さい! と神様に祈ることはしないつもりである。……この祈りをやめることは私には不可能に、死ぬほどに思われる。私は道化者のように泣く! さあ! さあ! 良い子よ、聞き分けなさい!
 何もかも片付いた。そうだ! 何もかも片付いた。ああ! 今となって考えてみると、私の望みは皆かなえられるものではなかったことがわかる!
 私はお祈りを変える苦しみの用意をしなければならぬ。おお! これは何より残酷な苦しみである。すべてのものの終わりである。アメン!
by bashkirtseff | 2004-11-07 13:59 | 1873(14歳)
<< 1873.10.18(Sat) 日付なし >>