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1877.10.16(Tue)

 ムッシュ・ロベール・フルリが午後来て私に特別の注意を与えてくれた。
 私はいつものように午前は9時から12時半までアトリエに入っていた。朝は8時に来たいと思うけれども、私にはどうしても出来ない。
 昼食は外に食べに行って、1時20分に帰ってきて、夕方の5時までいて、夜は8時から10時までまたアトリエに来る。それで1日9時間になる。
 これだけで私は少しも疲れるということはない。もしいま少し出来るなら、私はまだ勉強の時間を増したいと思う。ある人はこれを仕事という。けれども私にはこれは遊びである。私は自慢でなしにそう言い得る。1日9時間の仕事はわずかなものである。そうしてシャンゼリゼからリュ・ヴィヴィエンヌまでは大変に遠いから、また夜私の同伴者になってくれる人がないということもあるので、それを毎日続けることが出来るだろうかとも思われる。私は10時半でないと家へ帰り着かないし、寝る前に夜が更けてしまうしするから、次の日は1時間ずつ遅れることになる。その上毎日8時から10時までと1時から5時まで出ているとすれば、8時間きり仕事は出来ないことになるであろう。
 冬になると4時には暗くなるだろう。だからどうしても夜もアトリエに通わねばならぬ。
 私たちは朝はいつもクーペ〔乗合馬車〕で出掛け、そのほかの時刻にはランドー〔4輪馬車〕で来る。
 あなたにはお分かりでしょうが、私は1年の間に3年分の仕事をせねばならぬ。私は急速の進歩をしているから、この3年分の仕事を1年ですることになれば、普通の人の6年分にはなれるはずである。
 こんなことを言っていると、ほかの人なら2年かかることを彼女は6カ月でするだろう、と言うばか者のように見えるかもしれない。けれどもそう見るのは大違いである。
 それは時間の問題ではない。もしそうだとすれば、それほどの年月をかけて出来ないことは何にもないだろう。言うまでもなく忍耐さえあれば人は誰でもある程度までは成功しうる。けれども私が1年もしくは2年の終わりに成し遂げることをば、オランダの娘は決して成し遂げないであろう。私は文章の誤謬(ごびゅう)を直しかけると、混乱して、いらいらしてくる。それはいつまでたっても私の文章を完成しうる時がないからである。
 要するに、もし私が6年前始めていたならば、1日6時間で満足していられるであろう。けれどもそんなわけであるから、9時間、10時間、ないし12時間、出来る限りの多くの時間を必要とするのである。もちろん仮に私が3年前に始めていたとしても、私は出来るだけ多くの時間をかけて勉強していたに相違ない。しかし、過ぎたことは過ぎたことである! ……
 ゴルヂジアニは毎日12時間ずつ勉強していると私に話した。
 24時間の中から睡眠に7時間を取り、着物を脱いだり、着たり、お祈りをしたり、時々手を洗ったり、髪の手入れをしたりするのに2時間を取り、食事と休息に2時間を取れば、11時間取ることになる。
 そうすると残りは13時間ある。
 けれども私のは往復に1時間と4分の1かかる。
 それで私はほとんど3時間を失っている。
 私は家で仕事をしたなら時間を失わないで済むだろう。けれども……けれども、見たいものがあったり、散歩があったり、芝居があったりしたら?
 私たちはそれを皆避けねばならぬ。それは私を悩ますのみであるから。
by bashkirtseff | 2007-10-14 21:08 | 1877(18歳)
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