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1877.08.19(Sun)

 私は今ウィダ(フランス近代の婦人作家/1840-)の「アリアアヌ」を読み終わった。この書物は私に物悲しい印象を残したが、ジオヤの運命はうらやましい。
 ジオヤはホメエルとヴィルジルで育てられ、父の死後彼女はローマまで歩いていった。そこには恐ろしい絶望が彼女を待っていた。彼女はオーギュスト(アウグスチヌス)のローマを見たいと期待していたのであった。
 2年間彼女はその時代第一流の彫刻家なるマリスのアトリエで勉強した。マリスは自分でも知らなかったが彼女を恋していた。けれども彼女はただ芸術のためのみに生きていた。ついに詩人イラリオンが現れた。彼は全世界をして彼の詩の上に涙を流させ、またあらゆるものを諧謔(かいぎゃく)に転じた。彼は金持ちで、神のごとく美しく、あらゆるものを尊崇した。マリスがひそかに崇拝している間に、イラリオンは単なる出来心から彼女の愛を勝ち得た。
 この小説の結末は私を悲しませたが、しかし私は一瞬間のちゅうちょもなしにジオヤの運命を受け取りたいと思う。第一、彼女はローマを尊崇した。次に彼女の愛は全心的であった。もし彼女が見捨てられたとすれば、それは彼が見捨てたのであった。もし彼女が苦しんだとすれば、それは彼が苦しめたのであった。私には人は自分の愛する男からは、どんなことをされても、それが不幸になりうるものだとは思えない。何となれば、彼女は愛しているのだから。また私も愛するようになるだろうから! ……
 彼女は男は出来心で自分をあしらっていたのだということに気がつかなかった。
 ──「彼は、私を愛していた」彼女は言った、「彼の愛をつなぎ留めることが出来なかったのは私のせいであった。」
 彼女は有名になった。彼女の名前は驚異と称賛をもって繰り返された。
 それでも彼女は彼を愛することをやめなかった。彼女の目から見ると、彼は決して普通の男の平面に下ることはなかった。彼女は常に彼を完全な、ほとんど神的なものと信じていた。彼女は「彼がまだ生きているから」、自分もまだ死にたくないと思った。自分の愛しているものが死なないのに、どうして自殺など出来るものか? 彼女はそう言った。
 そうして彼女は男の腕に抱かれて死んだ。私はあなたを愛しますという声を聞きながら。
 しかしながらこんな恋をするためには、イラリオンのような男を見いださねばならぬ。こんな風にして愛しようと思うには、素性の正しい男を選ばねばならぬ。イラリオンはオオトリス(エステルライヒ)の貴族とグレクの公爵夫人の間に出来た子供であった。あなたがこんな風にして愛したいと思う男は、金の欠乏ということを知ってはならない。また何事にも成功して、全世界に恐れるものがないような人でなければならぬ。
 ジオヤがいつも彼の足元にひざまずいてその足に接吻する時には、彼のつめがセキチク色であって、たこなどは決して出来たことはないと思うのが彼女にはうれしかった。
 ところがそこには一つの障害がある。恐るべき現実がある。最後にその人は宮殿の入り口において、あるいはクラブの入り口において、邪魔者に出会ったりしてはならなかった。また買いたい彫像がある時に買えなかったり、どんなつまらないことでも、したいと思って出来ないようなことがあったりしてはならなかった。その人は他人の軽蔑とか、迫害とかいうものの上に超越していなければならなかった。その人はただ恋か愛かにおいてのみ憶病でなければならなかった。イラリオンは微笑しながら女を失恋させたり、女が何者かを求めているのを見ながら泣いて見せたりすることが出来た。
 その上、これは容易に理解されることであるが、人はなぜ失恋したりするのであろうか、と言うに、全く愛されないか、あるいは愛されなくなったかである。けれどもそれは自発的にそうなのだろうか? そのことに関してはいかんともし難いのであろうか? 否、そうではない。それならばこれほど奇怪なかつ極めて普通に行われる非難に対して何らの根拠もないわけである。
 私たちは理解するという面倒を見ないで非難するのである。
 そんな人は旅行するといつも自分だけの休息する宮殿を見いだしたり、自分だけを好きなところへ運んでくれるヨットを見いだしたり、そのほか女を飾り立てるべき宝石や、召し使いたちやウマやあるいは笛吹までも見いだしたりする!
 けれどもそれは小説である! そうしてその恋はまた一つの創意である。あなたは私に向かって、1年に1200フラン取る人でも、25000フランもうける人でも、手袋の倹約をする人でも、招待状の数を数える人でも、皆愛されると言うかも知れない。しかしそれは必ずしも同一ではない! いや、決して、決して!
 また人は心が傾きかけたり、愛したり、失望したり、自殺したり、競争者を殺したり、裏切る者を殺したりする。けれどもそんなことはない。おお! 決して!
 私は動かされやすいけれども、もっともわずかなことにでも苦しめられる。
 「マリスとクリスパンは彼を殺そうと誓った。けれども彼女は復讐の心持ちを理解することが出来なかった。──何を復讐するのでしょう! 彼女は言った。復讐することなんかありませんわ。私は幸福だったのですもの。あの人は私を愛して下すったのですもの。
 「そうしてマリスが彼女の足元にひざまずいて、彼女のために友達となり復讐者となろうというと、彼女は恐怖と嫌悪を持って顔を背けた。
 「──お友達になって下さる? 彼女は言った。それでいて、あの人に復讐するとおっしゃるの?」 私には、自分の愛したことのある人をば死ぬ間際までも憎みうるが、愛している人をば憎み得ない、と言う心持ちは良く理解することが出来る。
 私はこれまで見たものきり知らなかったならば、そんな愛し方はしないであろう。私は彼のためにあまりに多く侮辱を受けたに相違ない。
 考えても見て下さい! 私が彼の身内の人たちと一緒に3階に住まうようになったらばどうでしょう? 私は(ヴィスコンチに聞いたところによって)彼の母はひと月に2枚きり彼にはシーツを換えてやらないということを保証します。
 けれどもこんな微細な解剖のことはバルザックの物を読んだ方がよいと思います。私のか弱い企てと、哀れな努力はとても私の思う通りのことをあなたに伝えることは出来ませんから。
by bashkirtseff | 2007-03-03 11:30 | 1877(18歳)
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