人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ニース

 私はニースを追放地のように思っている。何よりも先に私は毎日の勉強の時間をいろんな先生と打ち合わせて決めねばならぬ。マドモアゼル・C…のおかげでしばらく途絶えていた勉強が月曜日からまた始まる。
 冬と共に人がこの町へ帰ってくる。そうして人と共に華美が帰ってくる。もはやニースではなくて小パリである。それから競馬である! ニースにも良い方面はある。けれども私たちがここで過ごさねばならぬ6、7カ月の月日は、私には私を導く灯台を見失わないようにして横切らねばならぬ海のように思われる。私は上陸することを望まない。否、ただ陸地を見たいと望むだけである。陸地を見るだけでまた来年まで生き延びる力が出てくるだろう。それから? それから! ……決して、それはわからぬ! ……しかし私は望む。私は神を信ずる。神の尊いみ心を信ずる。それで私は勇気も阻喪しないのである。

 「いと高き者のもとなる隠れたる所に住まう人は全能者の陰に宿らん。彼をその翼をもって汝をかばい給わん。汝その翼の下に隠れん。その真実は盾なり、手盾なり、夜も驚くべきことなく、昼も飛び来たる矢なし!」(詩編911章)

 私は神のみ心にどれだけ動かされているか、どれだけ深くそれを感じているかを言い尽くすことは出来ぬ。
 母様は寝ていられる。私たちは皆寝台のそばに集まっている。医者がバトン家から帰ってきてアブラモウィチが亡くなったと言った! 恐ろしい、不思議な、信じられないことである! ……あの人が死んだということを私は信じることができない。あんな優しい人が死ぬはずはない。私にはいつまでもあの人があの評判な外とうと格子じまを来てこの冬は帰って来そうに思われる。死は恐ろしい! 本当に私はあの人の死を非常に悲しく思う。アブラモウィチのような若い人が死んで、G…とかS…とかいうような人たちが生きているということがあり得るものだろうか! 私たちは皆あきれてしまった。ヂナでさえも無意識の叫び声を発した。私は大急ぎでエレエヌ・ホワアドに手紙を書いた。その悲しい知らせの来たときに、皆は私の部屋に集まっていた。
by bashkirtseff | 2004-10-19 23:03 | 1873(14歳)
<< 1873.06.09 パリ >>