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 ジョイア(底本:「ジオイア」)の別荘の前を通り過ぎるとき、私の注意は右手の小さいテラスにひかれた。去年競馬に行くときあの人があの婦人と二人で駆けているのを見たのはそこであった。あの人はいつもの上品なやさしいふうで、菓子をつまみながら駆けていた。私はそんなつまらないことまでよく覚えている!
 私たちは通りすがりにあの人を見た。あの人も私たちを見た。あの人は母様のうわさに出るただ一人の人である。母様はあの人が好きでいらっしゃるのが私にはうれしい。母様は言った。「ねぇ、H…がお菓子を食べていらしたって、当たり前じゃありませんか。ここではくつろいでいらっしゃるのだもの。」私はそのときあの人を見て感じた混乱を自分でどう片づけてよいかわからなかった。今となって私はやっとそれが分かりだした。私はあの人に関するどんな小さいことでも、あの人の言ったどんな無意味な言葉でも覚えている。
 レミがバード(底本:「バアド」)の競馬場へ来て今公爵H…と話をしたと言ったときには、私は胸を躍らしていたので困った。それからジョイアが同じ競馬のとき私たちのとなりにかけてあの人の話をしたときにも、その言葉はほとんど私の耳に入らなかった。おお! どんなにしても私は今ならばその話を聞かずにはおかないだろう! それからイギリス人の店を通っていると、あの人がそこにいて、なんだかこう言いそうな様子で私を眺めた。「なんだかおかしなふうをした娘の子だな。あれで一体何を考えているのだろう?」と。しかし、その通りであった。……私が小さな絹のローブを着たところはおかしかった。──実際、こっけいであった。私はあの人の方をば見なかった。それでも私は出会うたびに、心臓がひどく打って体の害になった。私はほかにもそれと同じことを経験した人があるかどうかは知らない。けれども心臓があまり高く打つと、誰かに聞かれはしないかと心配になった。以前には私は心臓は肉の一片に過ぎないと思っていたけれども、今ではそれは心と通じているものだということが分かった。
 私は今ではどんなときに「心臓がどきつく」というのだかわかった。以前は芝居に行って誰かがそんなことを言っても私は気にも留めなかった。今では私は自分で経験してその感情を認めている。
 心臓は細い筋によって脳髄と通じている肉の一片であって、目から耳から報告を受け取って、それが元で心臓があなたにものを言わせたりする。それはなぜと言うに、その細い筋が動かされると、それは普段よりも余計に心臓を打って、あなたの顔に血を送るから。
 時は矢のように過ぎる。朝のうちに私は日課をする。ピアノを2時間。私の模写しているベルヴェデーレ(底本:「ベルヴェデエル」)のアポロン(ローマのバチカンにある有名な古彫刻、木のそばに立って弓を引いたときのアポロン)はいくらか公爵に似ている。ことに表情を調べてみると、類似が著しい。頭を立てている具合も同じであり、鼻の格好もよく似ている。
by bashkirtseff | 2004-10-18 22:57 | 1873(14歳)
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