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1873.12.30(Fri)

 今日私は大洪水(ノアの大洪水)前の着物を着た。小さいはかまに、黒いビロード(底本:「びろうど」)の上着、その上からジナのチュニック(底本:「チュニク」)と袖無しのジャケットを着て、たいそうよく似合った。これは私の着こなしがうまくて、様子がよいからだと思う。(私は小さいおばあさんみたいに見えた。)私はみんなの目をひいた。なぜみんなが私を見るのか、おかしいからか、きれいだからか、それを私は知りたく思った。本当のことを言ってくれる人にはよくお礼をしようと思った。誰か(若い男の人)に私はきれいでしょうと聞いてみたくなった。私はいつもうれしいことを考えるのが好きである。そうしてそれは自分がきれいだからだと思っていた。多分それは私の思い違いかもしれない。よしまたそれが妄想だとしても、私はそう思っていたい。そう思うのが楽しいからである。だってそうじゃありませんか? この世で物事を出来るだけよく思うことは必要じゃありませんか? 人生はほんとうに美しいけれども、ほんとうに短いのですもの!
 私は弟のポールは大人になったら何をするだろう、どんな職業を選ぶだろう? と考えてみた。なぜというに、彼は多くの人のような暮らし方をしてはならないから。──すなわち初めはぶらぶらしていて、それからばくちを打つ人やcocottes(ココット/遊ぶ女)の仲間に交じったりしてはならないから。その上、彼にはそういうことをするような財産もないから。私は日曜日のたびに彼に理に合った手紙を出している。説教ではなく、否(ノン)、友達同士のような手紙を。今に私はどうしたらばよいかということがわかるであろう。そうして神様のお助けで彼にいくらかの感化を及ぼすことが出来るであろう。彼とても男でなければならぬから。
 私はうっかりしていて公爵のいなくなっていたのをほとんど忘れていた!(何という恥ずべきことだろう!)……それほど大きな入り江が私とあの人との間を引き離しているように思われる。私がいつかあの人を私のものにするというようなことがどうして考えられよう? あの人は去年の冬の雪のことと同じくらいにしか私のことなどは考えてはいない。私はあの人にとっては生きていないも同然である。もしこの冬をニースで送ることになればまだ望みもあるが、私たちがロシアへ向かって立てば、同時に私の望みは皆去ってしまうことになりはしないかと思う。私が可能だと思っていたことが皆消えていく。私は今一番悲しい時を過ごしている。私というものの全存在が変わりつつある。何という不思議なことだろう! つい一瞬間前まで私はハト打ちのことを考えていたのに、今ではこの上もない悲しい思いをしている。
 その悲しい思いで私は押しつぶされている。おお、私の神様、あの人が私を愛してくれないと思うと、私は悲しく死にたくなります! もう私には望みはありません。私は気ちがいのようになって不可能なものを求めていたのです。私はあまりに美しすぎるものを欲しがっていた! ああ! でも、否、私はこんなに気を弱くしてはならない。どうしてまあ! こんなに失望してしまったのだろう! どんなことでも可能な、私を守って下さる神様はいないのだろうか! どうして私はこんなことを考えるのだろう? 神様はどこにでもいて、いつも私たちを守って下さるのではないか? 神様にはどんなことでも出来れば、どんな力でもあり、時とか距離とかいうものの差別はない。私がペルー(底本:「ペリュ」)にいて、公爵がアフリカにいるとしても、神様が私たちを結びつけようとお思いになれば、それも出来るはずである。それにどうして私はちょっとでもあんな絶望的なことを考えたのだろう? どうして私は一秒時間でも神様の尊いお力を忘れたりすることが出来たのだろう? 神様がすぐに私の望みをかなえて下さらないからと言って、それで私は神様を拒むのか? いや、いや、神様はお情け深いから私のような罪なき者の心をそんなひどい疑いで引き裂くようなことはなさらないだおる。
 けさ私はマドモアゼル・コリニョン(私の家庭教師)に一人の石炭屋を指さしてあの人は、まあ、なんて公爵ド・H…に似ているのでしょう、と言った。彼女は笑いながら、「そんなばかなこと!」と答えた。その人の名前を言ってみるのが私には例えられないほど楽しかったのである。けれども、自分の愛している男の話をしない時はその愛がだんだんと強くなって行くが、自分の愛している男のことをいつもうわさしている時は(これは私の場合ではない)その愛は減っていくことを私は認める。たとえば瓶詰のようなもので、栓をしておくといつまでも香気は強いけれども、あけておくと香気は発散してしまう。まさしく私の愛の場合がその通りで、私は自分の愛する人のことを誰かが話しているのを聞いたこともなければ、私が話したこともなく、いつも自分ひとりでそれをしまい込んでいる。
 私は非常に悲しい思いをしている。私は自分の将来についてはっきりした考えを持っていない。すなわち、どんなものを私は持ちたいということは知っているけれども、どんなものを持つことになるだろうということは知っていない。去年の冬は私はどんなに愉快だったろう! 何もかも私の方へ微笑していた。私には希望があった。私は、いつまでたっても自分の手につかめないようなまぼろしを愛する。私は外衣(ローブ)のことで失望している。いくら泣いたか知れない。叔母と一緒に仕立屋を二軒も訪ねてみたが、どちらも駄目だった。私はパリへ手紙を出そう。ここの外衣は我慢が出来ない。
by bashkirtseff | 2004-10-07 23:13 | 1873(14歳)
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