日付なし

 今日はまた公爵ド・H…を見た。誰とてもあの人のように様子の立派な人はない。あの人が馬車を駆っている所を見ると国王のようである。私はプロムナードで黒い着物を着たG…(公爵H…の愛人)を何度も見た。きれいな女ではあるが、顔形よりもむしろ髪の形できれいに見えるのである。身の回りの物は皆完全で、何一つ欠けたものがない。すべてが贅沢で、上品で、趣味の最上のものばかりである。彼女は非常に高貴な婦人と間違えられるかもしれない。──これが皆彼女の美しさを増し加えることになるのは当然である。客間や小部屋が幾つもあって、その灯が窓掛けや青葉で和らげられている(底本:「和められている」)彼女の家。髪も着物も完全に整えて、その美しさを高めるように装飾された立派な客間の真ん中に女王のごとく腰掛けている彼女自身。彼女が公爵を喜ばせ、公爵が彼女を愛するのは当然である。しかしあれだけの周囲の物を与えられたならば、私はもっとよく見えるだろうと思う。私は自分の身の回りのことをいい加減にしないつもりだから、夫と一緒にいても幸福であろう。私は初めに夫を喜ばせたいと思ったころ飾り立てた通りに、いつも飾り立てて夫を喜ばせるつもりである。それに、私に解されないことは、なぜ男と女は結婚するまでは、やさしく愛し合い、喜ばせ合いながら、結婚してしまうとお互いに顧みなくなるのだろう。……
 なぜ結婚と共に愛は無くなるものだと思ったり、なぜ冷たい打ち解けぬ友情のみが残ると思ったりするのだろう? なぜ妻を想像すると、髪巻紙(髪を縮らせるために使う紙)や化粧着を着せて鼻のあたまにコールドクリーム(底本:「冷クレエム」)をくっつけて夫に着物の金をねだっている所を表したりして、結婚を侮辱したりするのだろう? なぜ女は自分が一番よく飾らねばならぬ人の前でなりふりに構わなかったりするのだろう?
 私にはわからない、なぜ女は自分の夫をばペット(底本:「飼物」)のように扱ったり、そのくせ結婚前にはその人を一生懸命に喜ばせようとしたりしたのだろうか? なぜ女はいつも夫に対してまよわすように仕向けたり、また初めて会って喜ばせようと思う人のようには取り扱わないのか? もっとも彼女は初めて会った人に勝手なまねをされてはならぬという点では、ちがってはいるけれども。それは、夫と妻は互いに公然に愛し得るからだろうか? それは罪でないからだろうか? 結婚は神様に恵まれたものだからだろうか? また禁じられてないものは価値少なく見えるからだろうか? また秘密に楽しめるものの方が愉快だからだろうか? 決してそんなはずはない。私はそうは思わない!
 歌うのに声を出し過ぎてのどを痛めた。それでこの次の教わるときまでは歌わないことを神様にお約束をして(これまで百度も破った誓いではあるが)、その間に私の声を純粋な力強い発達した声にしておいて下さいとお祈りをした。そうして私はこの誓いを破らないために、もし声を使ったらば私の声は出なくなるようにして下さいと神様に申し上げた。これはむずかしいことである。けれども私は約束を守るためにはどんなことでもしなければならぬ。
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by bashkirtseff | 2004-10-07 23:12 | 1873(14歳)
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