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1876.08.20(8.08)(Sun)

 私はまた兄のポオルと出掛けた。カアルコフで私たちは2時間待たされた。伯父アレクサンドルがそこにいた。
 伯父は私の手紙を見たにもかかわらず、私を見るとほとんど口もきけないほどに驚いていた。彼は父がもう私は来ないものとばかり思い込んでどんなに気をもんでいるかを話した。父は私がもう出掛けたかどうかを知りたがって、私から伯父へ出した手紙のことばかり聞いたそうである。
 とにかく伯父アレクサンドルは、愛からではないとしても、利己心から、私に会って非常に喜びを感じていた。
 伯父アレクサンドルは私の邪魔をしようとした。けれども私の方針はどちらかの肩をも持たないことであった。彼はメンツェンカノフ守備隊の連隊長を紹介して私に一つの席を見いだしてくれた。連隊長が自分のを譲ってくれたのである。
 私は国に帰って安易な心持ちになった。何もかも知ったものばかりである。私たちの地位に少しも不定なところがない。歩くにも息をするにも自由である。けれども私はここで暮らしたくはない。おお! 否、否!
 私たちは朝の6時にポルタヴァ(カアルコフの西南)に着いた。誰も迎えに出た人はいなかった。オテルに着くとすぐ私は手紙を書いた。出し抜けは時々得をする。
 今ポルタヴァに着きました。馬車一台も見つかりません。
 すぐに来てください。お昼までお待ち致します。本当にこれは当然なお迎えとは言えませんわ。
                                  マリ・バシュキルツェフ。

 この手紙を使いで出すと間もなく父(ペエル)が部屋の中へ飛び込んできた。私は取り澄ました威厳を持って父の両腕の中へ体を投げ込んだ。父は目に見えて私の様子に満足したようであった。と言うのは、その最初の注意は一種の熱心を持って私を眺めることであったから。
 ──本当に大きくなったね! こんなだとは思わなかった。それに、大層きれいになった。全くきれいになったね。
 ──それがごあいさつですのね。馬車もよこしてはくださらないで! 私の手紙は着きまして?
 ──いや、電報が今着いたところだ。それで駆け付けて来たのだ。大丈夫汽車の間に合うものとばかり思っていた。すっかりほこりをかぶってしまった、小さいE…のトロイカ(3頭で引く馬車)に乗って大急ぎでやってきたのだ。
 ──今手紙をあげたところなのよ。
 ──何か変わった用事でもあったのじゃないか?
 ──いいえ別に。
 ──そうか、……よし、よし。
 ──あのね、私はうんと大事にしてもらえるものとばかり思っていたのよ。
 ──私だってそうだ。それに、断っておくが、私は気まぐれ者でね。
 ──私もそうよ。私の方が余計そうなのよ。
 ──おまえは皆に子犬みたいに付きまとわれている癖があるんだな。
 ──そうしなけりゃ、私からは何にも得られないのですもの!
 ──ああ! だが、私にそんなことを期待したって無駄だよ。
 ──どちらでもよござんすわ。
 おまえはまた何だって私をおじいさん扱いにするのだね。これでも若いつもりなのだよ!
 ──結構ですわ。
 ──私は連れがあるのだよ。公爵ミセル・E…と、それからおまえの従兄(クサン)のポオル・G…が来ているのだ。
 ──お通しくださいな。
 E…は規則的な小柄なめかし屋で体より3番も大きなズボンの中にはまり込んで、カラーを耳のところまで立てていて、非常にこっけいな、また、いやに丁重な様子をしていた。
 今一人はパシャ(ポオルの愛称)と言って、その名字は難しくてちょっと書けないような名前であった。彼は明色の髪毛をして、ひげをきれいにそった、頑丈な、強壮な青年で、ロシア風の顔をして、角張った、明けっ放しな、まじめな、同情的なところがあるが、元来が無口なのだか、それとも気を取られて黙っているのだか、そのどちらだかは私にははっきりと分からなかった。
 彼らは熱心な好奇心を持って私を期待していた。父も喜んでいた。私の姿が父を魅したのである。気取り屋の父は私を見せびらかすことが出来て得意になっていた。
 私たちは用意は出来たけれども、行列を立派に見せるために、召し使いたちや、荷物や、4頭立ての馬車や、今一台のほろなし馬車や、それからほろをつけたドロシュキ(低い4輪馬車)や、それはその小公爵の間の抜けたトロイカのくびきに結いつけてあったが、それらのものが来るまで待たされることになった。
 私の父上(ゼニトル)はいかにも満足そうに私を眺めていながら、わざと冷静な平気な顔つきをするように努めていた。
 その上、自分の感情を隠すのが彼の癖である。
 道のりの半分ほども来たとき、私はドロシュキに乗って、疾風のごとく進んだ。私たちは25分で10ベルスタを行ったが、ガヴロンチまで2ベルスタのところで、私は父の馬車へ戻り、村にいかめしい入り方の出来るような満足を与えた。
 公爵夫人E…(ミセルの義母で、私の父の姉)が入り口の段々まで出迎えた。
 ──どうです! 父が言った。大きくなったじゃありませんか……いい娘になったじゃありませんか? どうです?
 父は私に会ってのうれしさから自分の姉妹たちの一人(しかし彼女は大層上品であった)の前で非常に雄弁になっていた。
 執事たちが私の幸福な到着を祝いに来た。
 土地は絵のようであった。丘だの、川だの、森だの、大きな家だの、小さな家だのが並んでいて、建物と庭園は立派に手が届いていた。その上、本邸は去年の冬修繕して、造作なども新しくなっていた。場所のこしらえが見事に行って、外観が単純で、「こんなことは毎日のことだ」と言った風であった。
 もちろん私たちは昼食の代わりにシャンパンを飲んだ。──これは貴族風な気取りと見えに近い質素であった。
 先祖代々の肖像。これはもちろん甚だしく気持ちよき長い血統の印である。
 見事な青銅(ブロンズ)、セーブル(底本:「セエヴル」)やザクセンの陶器、その他芸術的な宝物。すべてこれらは私の期待以上のものであった。
 父は不幸な人間のような顔をしている。──例えば、その妻に見捨てられて、あらゆる家庭道徳の模範となるよりほかに何事をも望んでいない人か何ぞのようである。
 母の留守中に描かれた彼女の大きな肖像がある。父は失われた幸福を思い出して悲しみの色を漂わしていたが、その上、離別のもとをなした私の祖父母に対する憎みのほとばしりをも表していた。彼は私の来たことは家庭内に少しも変化を与えないように私を感じさせるのを、恐ろしく気にしていた。
 やがてトランプが始まったが、その間私は自分の刺しゅうの仕事をしながら、絶えず言葉を差し挟んでいた。すると皆は熱心に私の言うことに耳傾けた。
 父はテーブルを離れて、トランプをばパシャに任せて、私のそばに腰掛けた。私は縫い取りをしながら話した。父は注意深く聞いていた。
 やがて父は外を歩いてみようと言い出した。私は初めは父と腕を組んで歩いたが、それから兄や小さい公爵と腕を組んだ。私たちは私の昔の乳母のところへ行ってみた。彼女は涙をぬぐうようなまねをした。彼女はただ3月ほか私に乳をくれなかった。私の本当の乳母はチェルナコフカにいるのである。
 私はかなり遠くまで連れて行かれた。
 ──おまえに食欲をつけてあげるのだ、と父が言った。
 私は疲れたと言い出した。そうして蛇やその他の「怖いもの」がいるから草の上を歩くのは嫌だと言った。父は黙っていた。娘も黙っていた。もし父の妹なる公爵夫人やミセルや今一人の人がそこにいなかったならば良かったであろうと思われた。
 父は自分のそばに私を座らしてミセルに手品や体操などをさせた。彼は一人の小さい曲馬娘についてコオカスまでも行って曲馬の芸当を覚えて来たのであった。
 家に帰るとすぐ私は父の言った言葉を思い出した。それは故意に言ったものか偶然に言ったものか分からなかったけれども。私はそのことばかりを考えていたが、やがて隅に腰掛けて、身動きもせずまばたきもせずに、壁紙の花を見詰めたきりでいつまでも泣いていた。──哀れな、休まらない、ときとしては自分でも分からないほど絶望的な心持ちになりながら。
 それはこういうことであった。皆がA…のことを話しだして、私にあらゆる種類の質問をかけた。私はいつもの習慣と反対に、控えめに答えながら、私の勝利のことをば皆の想像したい通りに任せて、そのことをば大きく言わなかった。すると父は極めて無頓着な様子で言った。
 ──何でもA…は3月ほど前に結婚したと言うことだ。
 私は自分の部屋では一度もそのことについては考えてみなかった。私はただ父のその言葉を思い出して、押しつぶされたような哀れな心持ちになって、床の上に体を投げ出した。
 私は彼の手紙を読んでみた。──「僕はあなたのお言葉で慰めてもらいたいのです」これは全く私の心を転倒させる。そうしてほとんど私をして自ら死の宣告を与えさせるものである!
 それに……おお、愛しながら愛することが出来ないと思うのは何という恐ろしさだろう! なぜと言うに、私は実際あんな男をば、弱い、独立心のない、ほとんど何事をも知らないような人間をば、どうしても愛することは出来ない。私は愛することは出来ない。ただ煩わされるばかりである。
 ここの人たちは私に緑色の寝室と青色の居間をくれた。実際私は去年の冬の旅行を考えてみると不思議でたまらない。ロシアに来てからでさえも幾たび私は自分の案内者と居所と周囲を変えたか知らない。
 私は自分の居所、親せき、近づきと言うようなものを変えても、最小の驚きもなければ以前のような不思議な心持ちも起こらない。すべてこれらの人々──私の保護者たちとかまたはその他の人たち──すべてこれらのぜいたく物あるいは必要物は皆一つに固まって、私を平静な心持ちに取り残してしまう。
 私は父をローマに連れて行くにはどうしたなら良いだろう?
 いやだ、いやだ、いやだ!
by bashkirtseff | 2005-11-19 16:52 | 1876(17歳)
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