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1876.08.15(08.03)(Tue)

 家はちょうちんのごとく輝いて華やかである。花は良い香りを放ち、オウムはものを言い、カナリア(底本:「カナリヤ」)は歌い、召し使いたちは駆け回っている。11時ころ呼び鈴の音が隣人ムッシュ・ハマリの訪問を知らせた。人は彼をイギリス人と思うかもしれない。ところが、それどころではなく、彼はこの土地での古い高貴な家柄なのである。彼の妻はいわゆる Prodgers d'ici の一人である。
 私の荷物は少し手前の停車場に下ろしてまだ届いていなかったから、私は白の化粧服を着たままで出た。今と1年前と私は何という変わり方だろう! 1年前までは私はほとんど口をきくことも出来ないで、人の前に出ても、「何と言って良いか分からなかった。」今では、マルグリイトのように、私はもう大人である。その紳士は私たちと一緒に昼飯を食べた。その人について、またこれからここで出会う人たちについて、私は何と言ったら良いだろう? 態度から言うと立派な人たちではあるが、どことなく田舎くさいにおいがしている。
 その次の訪問者は昼飯から余り間もない晩さんごろに来た。これは上に言った紳士の弟で、まだ年は若いがたくさん旅行をした人で、そのくせ非常に丁重な人であった。私が歌を歌っていると、急に8つのかばん(トランク)が届いた。それで私は縫い取りを始めながら耳だけはフランスの政治問題の話に貸していた。──それは私たちの同性者以上の知識を含むものと思われている問題である。
 第2番目のひげのあるハマリは10時までいた。
 私は11時まで私の乏しい声を振り絞っていたが、その声はペテルブルグの湿った空気のためにやっと治りかけている。
 この幸福なクパトフカにおいては人々は食べるよりほか何にもすることがないのである。食べてしまうと彼らは半時間ほど外へ出る。それからまた食べる。こうして日を立てているのである。
 私はポオルと腕を組んで散歩に出たが、その間私の考えは悪魔の方へばかりさまよっていた。そうしてちょうど私たちは森の中に入って、木の枝が頭の上に低く垂れ下がって葉を組み合わせて出来た天井のようになっているところまで来ると、私はA…が私と腕を組んでこの並木道を歩いたならどんなことを話しだすだろうかと、そんなことを思い出したりした。彼は私の方へ寄りかかって来て、私に限ってそうするあの柔らかい刺し通すような調子で、「僕は何という幸福なのでしょう、僕はどんなにあなたを愛しているでしょう!」というようなことを言い出すであろう。
 彼が私に話しかけているときの、私だけに聞かせようとして話しているときの、その声の優しみはいかなる言葉をもってしても説明することは出来ない。例えば虎猫の子供か何ぞのようにその目を燃やし立てて、その声を包むようにして震えさせ、愛の言葉をささやきながら懇願やら怨言(えんげん)やらを、丁重に柔和に熱情的に語り続ける彼の態度は、ただ私だけに示すものであった。
 けれどもそれは無用の優しみであった。単なる作法で、それ以上の何物でもなかった。彼が心から動かされたような顔をして私の方を見るのは、それは彼の持って生まれた一つの癖で、例えば真剣な顔をする人もいれば、驚いた顔をする人もいれば、困ったような顔をする人もあるようなもので、それがいちいち実際のそうした感情から出るというわけではない。
 ああ! 私はそれらのことの真相をどんなに知りたく思うでしょう! 私は結婚して今一度ローマへ行かねばならぬ。そうしなければ屈従したことになるだろう。さればと言って私は結婚したくはない。私はいつまでも自由な体でいたい。何よりも勉強をしたい。私はついに正しい道を発見したのである。
 かつまた正直に言うと、A…への当て付けに結婚するなどは愚かなことである。
 しかしそんなことは問題ではない。私は他の女の人と同じように生きたいのである! 今夜は自分で不満足で仕方がない。別にこれという理由もないけれども。
by bashkirtseff | 2005-11-09 21:17 | 1876(17歳)
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