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日付なし

 私は犬を皆連れて部屋に帰っていき、白い旅行靴をテーブルのそばへ引き出した。ああ! 大変な後悔をするところであった! ……日記を忘れるところだった。……それは私の半分である。毎日私は自分の書いた本に目を通す習慣になっている。ローマとかニースとか、あるいはもっと古いことを思い出してみたくなったときには!
 夜は美しかった!
 しかも私の最後の晩に、さも心あり顔に月が寒くさえ渡って私の町のあらゆる美しいものを照らした。私の町。実際、私の町である。誰も私と所有を争う人があるはずはない。私はあまりにも取るにも足らぬ人間であるから。
 その上、太陽が誰のものにもなっているではないか? 私は食堂に入って行った。月影が大きな開け放した窓から差し込んで、白いしっくいの壁と白いいすの覆いを浸した。こんな夏の晩には何となく憂うつな心持ちになる!
 私はまた部屋に入ってみた。なんだか物足りなさを感じた。けれども不幸とは思わなかった。不幸どころではなかった。何も欲望はなかった。私はいつもこんなに温良な心持ちでいたいと思った。私の心はこの幸福な穏やかさの下に広がった。例えばそれに私が包まれてしまいそうに思われた。私はピアノに向かって、白い先細の指を鍵盤(キイ)の上にさまよわせた。けれどもやはり何物かが足りなかった。何人かが足りなかった。……
 私はロシアへ行くのである。……今夜は早く寝れば良かった。私が性急に待ち設けている出発までの時間を少しでも縮めるように!
 私はローマの方へ引き寄せられている。ローマは最初には理解の出来ない町である。私はそこにいた最初の数日間、私はピンチオとコルソよりほか何も見なかった。私は木もなければ家もない連想を積み込みすぎた田舎の単純な美を理解しなかった。暴風雨の海のごとく膨れた高原のみで、その上に所々ヴィルジルの書いたような羊の群れと牧人がいた。
 社会で限りなき改変を受けるのは私たちの腐敗した階級だけであった。単純な人間、技巧のない人間というものは変化もしなければ、どの国に行っても同じなものである。
 これらの広大な高原には水路が幾つも真っすぐに通って地平線を断ち切って面白い形になっているが、その高原と並んで私たちの目には野蛮と文明のもっとも美しい遺物が見える。
 でも私はなぜ野蛮と言うのか? と言うに、私たち近代のこびとは、かわいらしい高慢心から、私たちが後に生まれたから私たちの方が分明だと考えているのである。
 いかに言葉を尽くしても、あの愛すべき高尚な国、太陽と美と霊と天才と芸術の国の、今は低く落ち長く倒れて再び立つよしもなく思われる国の正確な概念を与えることは出来そうもない。
 人は光栄とか霊とか美とかいうものについて語るときには、ただ愛を語っているのである。人は常に同じであっていつまでも新しいその絵に似合わしいきれいな額縁をはめるために光栄とか美とかの話をするである。
 日記を置き忘れようとしたことが私の心を苦しめる。
 この日記には光明の方へ出ようとする私のあらゆる努力が書いてある。もし最後に成功の冠をかぶることになるならば、あるとらわれた天才の意気とも思われるようなあらゆる意気が書いてあるのである。しかしそれは、もし私が何者にもなることが出来なかったならば、一平凡人の寝言としか見られないかも知れない!
 結婚して子どもを持つ! それは洗濯女にも出来ることである。
 私は文明開化した人か、でなければ温良で非常に愛する人を見いだすまでは結婚しない。
 私は何を欲しているのか? おお! あなたにはお分かりのはずです。光栄を欲しているのです!
 この日記では確かにそれは私にはもらえ出せない。この日記は私の死後でなければ発表されないであろう。私は自分をあまりむき出しにし過ぎたから生きてる間に人に読ませることは出来ない。その上、これはただ特別な生活の補いになるだけであろう。
 特別な生活! それは孤独と、歴史の読書と、あまりに生き生きした想像力から生ずる鬼火のようなものである! ……
 私はどこの国語も完全には知らない。本国の言葉は家で皆が話しているから、それだけで知っている。私は10歳の年にロシアを出た。イギリス語とイタリア語はよく話せる。フランス語では考えたり書いたりするが、今でもまだつづりの間違いがあるだろうと思う。私は時々ある言葉を思い出せないで途方に暮れることがある。そうしてそのときは私の考えていることが誰か有名な作家によってたやすく巧妙に言い表されているのを発見する。それは何にも増していまいましいことである。
 例えばこういう例がある。「どんな異論があるか知れないけれども、旅行は人生のもっとも悲しき楽しみの一つである。あなたがどこか知らぬ国の町へ行って実際に安易な心持ちになれるときは、あなたはそこをもう自分の土地にし始めたのである。」これを言ったのは「コリンヌ」の作者(マダム・ド・スタール(底本:「スタエル」)、1766-1817、「コリンヌ」はイタリアを背景として、同名の女主人公とイギリスの紳士の恋を描いたもので、その女主人公はこの日記の筆者と同じく各国語を話す)である。それに私は幾度ペンを手にして座りながら自分の思うことを言い表せないで苦しんだであろう。そうして最後には「私は知らぬ町が嫌いである、知らぬ顔は何という苦患であろう!」というようなことを言ってしまったものであろう。
 私たちは皆同じようなことを考える。相違はその考えを言い表す表現の仕方だけである。例えば人間は皆同じ材料で出来ているけれども、その容ぼう、形、色、性格が甚だしく相違していると同じように!
 そのうち私はきっとこれと同じ考えがまた巧妙に流ちょうに言い表されているのを発見するだろう。
 さて私は何者であるか? 何者でもない。私は何者になりたいか? あらゆるものになりたい。
 もう頭が疲れてきた。私は無限に対するこのあこがれの後で休息したい。私はA…のことを考えてみたい。ああ、まだ彼のことを繰り返している! あんな子どものろくでなしのことを!
 否! 彼が私を全然愛しないということは可能ではないか?
 彼が私を愛しているのは私が彼を愛していると同じようなものである。おお! それならば話す値もない。……いや、大事なことは私が日記を置き忘れようとしたことなのであった。
 私はこの日記帳を書き終わった! パリへ行ったらば別の帳面で書き始めるつもりである。多分ロシアへ行ってもそれで足りるだろう。
 誰も税関では日記帳などに注意する者はなかろう。
 私はピエトロの最後の手紙を持って行くつもりである。今それを読み返してみた。彼は不幸である! けれども彼はなぜもっと気力がないのだろうか!
 私は平気でそんなことが言える。私はこの上もない専横な振る舞いをしている。それに、彼はどうあるか? ……あのローマ人たち! ……彼らは世界に比類のない人間である。
 気の毒なピエトロ! 将来の光栄を思う私の心は彼のことを真剣に考えることを妨げる。それは私が彼のことを思っていたのを非難するようである。
 親愛なる神様、どうぞ安心して下さい。ピエトロは私に取っては一個の気晴らしに過ぎません。心の悲しみをつつむ音楽の一つの旋律に過ぎません。私が彼のことを考えて腹立たしくなるのは、彼が私に取って無益だからであります! 彼は名声によじるはしごの第一段にもならぬ人間である。
by bashkirtseff | 2005-09-06 22:57 | 1876(17歳)
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