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 ローマで見たもの聞いたものがすべて思い出される。信心と遊蕩(ゆうとう)と、宗教と邪悪と、服従と堕落とつつましさと尊大と下等と、これらのものの一種特有な結合に考え及んで、私は一人でこう言った。「ローマは確かに特殊な町で、同時に野蛮でもあれば開化でもある。」
 ローマでは何もかもほかの町とは違って、まるで別の世界へ行ったように思われる。そうしてローマは特殊の源泉と特殊の繁栄と特殊の衰退を持った土地だけに、道義的にも物質的にも異常なところがあるのは当然である。
 神の都、私は僧侶の都という意味で言っているのである。王が出来てから何もかも変わってしまったけれども、それは自由人の間だけのことである。僧侶はいつも変わらないでいる。──それがいつもA…の言ったことがどうしても私に分からなかったわけである。なぜと言うに、私は彼のすることをいつも物語のごとく、あるいは全く特殊なことのごとく見ていたが、それは単にローマ的だと言うだけのことなのであった。
 私はなぜあんな月世界の、古い月世界の、古いローマの住民と出会わねばならなかったのだろう、あんな大僧正のおいと!
 でも、それは少なくとも異常を愛する私にとっては面白かった。それは独特である。いつも実際に不思議である、ローマとローマ人は。
 いたずらに驚異の表現を並べ立てるよりは、ローマとローマ人について私の知っていることをあなたにお知らせした方がはるかに良くはないかと思う。
 こんなことがあった。ピエトロが6年前死の間際にあったとき、彼の母はマリア、マリア、マリアとこの字を一杯書いた紙片を食べさせた。それは聖母に治してもらうつもりでしたことなのであった。彼がマリアという女、ただしはなはだ下俗なマリアではあるが、と愛に落ちたのもそれがためであった。それだけではなく、彼は薬の代わりに聖水ばかり飲まされていた。
 けれどもそんなことは何でもない。私は聞いたことを少しずつ思い出すであろう。そうしてあなたはずいぶんと不思議なことを見いだすであろう。
 例えば大僧正は決して善良な人ではない。そのおいが僧院で悔い改めることになったと聞くと、23にもなって男が僧房に入ったからと言って8日目に急に良くなってたまるものか、もし良くなったように見えるならばそれは金がないからだと言って笑ったそうである。
by bashkirtseff | 2005-09-03 22:17 | 1876(17歳)
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