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1876.06.24(Sun)

 私は朝飯に呼ばれるのを待っていると、医者(ドクトル)が息を切らして入って来て、今ピエトロから手紙が来たところだと言った。私は顔を赤らめたが、読んでいる本から目を上げなかった。
 ──で、何と言って来たの?
 ──金の都合が付かないと書いてあります。私には分かりかねます。あなたがお読みになった方がよろしいかと思いますが。
 私は気を付けてあまり熱心でないように見せた。手紙に書いてあることに興味を持つのを恥ずかしく思ったので。
 私はいつもになく一番に食卓に付いて、非常に性急に食べた。けれども何にも言わなかった。
 ──ドクトルの言ったことは本当ですの? とうとう私が聞いた。
 ──ええ、叔母が答えた。A…からドクトルのところへよこして来たのよ。
 ──その手紙はどこにあって、ドクトル?
 ──私の部屋にあります。
 ──見せてごらん。
 手紙は6月10日の日付であった。けれどもただ Nizza (ニースのイタリア名/ニッツァ)と書いたきりであったから、ここへ届く前にイタリア中を歩き回ったのである。
 ──僕は今まで何とかして両親の許しを得ようと思って努力して見ましたが、両親はどうしても行ってはいけないと言うのです。と書いてある、それで要するに来ることが出来ないと言うのである。後はただ将来に望みを託するのみであるが、将来は常に不定である。
 ──その手紙はイタリア語で書いてあったから、皆は私が訳するのを待っていた。私は一言も言わないで、ただしのどを詰まらして逃げ出すのだと思われないようにわざと気取ってすそを拾い上げて、部屋を出て、表面は落ち着いて心は地獄になって、庭を横切った。
 その手紙はモナコの友達から冗談半分に打った電報の返事ではなくて、私へあてた一つの忠告である。そうだ、私へよこして来たものである! 空想の上に高くとどまっている私へよこして来たものである! ……私はどうしたらよいのだろう!
 死んでしまおうか? 神様がお許しにならないであろう。声楽家になろうか? それには健康もなければ辛抱も足りないであろう。
 それなら私はどうすればよいのだろう?
 私は安楽いすに身を投げて、目をぼんやりと見開いて手紙の意味をたどってみようとしていた。……
 ──千里眼へ行ってみませんか? 母様が庭から呼んだ。
 ──行きましょう。私は固くなって立ち上がりながら答えた。いつ?
 ──すぐよ。
 とにかく、一人きりにならないで済む。自分から行くのではなく、自分から逃れるのである。
 千里眼はもういなかった。暑いところを馬で行ったけれども私にとっては良くもなければ悪くもなかった。私は巻きたばこ(シガレット)を一つかみ持って来て日記を書く。一番激しいページを書くときに肺に毒を注ぎ込んでやろうと思いながら。けれども意力というものがもう私にはなくなったようである。
 私は夢の中のように、固くなって棒立ちになって、静かに寝台のところまで歩いて行って、レースのとばりを引いて、また横になった。
 この苦しみを述べることは不可能である。実際、人には不平を言っても何にもならぬときがあるものだ。私は押し砕かれてはいるけれども、何に対して不満を言うべきであろうか?
by bashkirtseff | 2005-09-03 21:28 | 1876(17歳)
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