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1876.06.10(Sat)

 ──あなたはわかっていらっしゃること? 私が医者に言った。私血を吐くのよ。だから気をつけてもらいたいのよ。
 ──おお! マドモアゼル、ワリツキが答えた、あなたが毎晩明け方の3時までも起きていらっしゃるようだと、ご病気の良くなるときはありませんね。
 ──私がなぜそんなに遅くまで起きていると思って? それは私の頭が落ち着かないからなのよ。私の頭を落ち着かしてちょうだい。そしたらきっとよく眠れるわ。
 ──あなたさえその気になればそれはお出来になったはずですよ。ローマでそういった機会がおありでしたもの。
 ──誰と?
 ──A…とです。あの方と、あなたの宗教を変えないで結婚をしていらっしゃったならば、……
 ──おお! お友達のワリツキ、何て嫌なことをおっしゃるのでしょう! 人もあろうにA…みたいな人と! あなたはご自分で何をおっしゃっていらっしゃるかお考えなさいな! あんな、意思もなければ意見もないような人を! おお! つまらないことを!
 そう言って私は静かに笑いだした。
 ──あの人はここへは来もしなければ、手紙もよこされないのです。私は続けた。あの人はまるで子どもなのです。その偉がっているところを私たちが持ち上げてやっただけのことなのです。本当に、あの人はまだ一人前になっていないのです。そう思ったのは私たちの思い違いだったのです。
 私はこの最後の言葉をもほかの言葉を言うときと同じ落ち着きで言った。それは真実で正しいことを言っているという自信から出た落ち着きであった。
 私は自分の部屋に入ると、急に一時に何もかもはっきりとなって来たように思われた。私はついに自分で接吻を許したのが悪かったということに気がついた。ただ一度ではあったが、それでも接吻は接吻であった。しかも階段の下で。もし私が部屋から外へ出たり、tête-à-tête(差し向かい)になったりしなかったならば、あの人はもっと私を尊敬したはずであり、今となっても私はこれほどに心を悩ましたり涙を流したりしないで済んだであろう、ということがわかってきた。
 (こんなことを言う私は自分ながら何という好ましい人間でしょう! また何という愛すべき人間でしょう! 1877年、パリにて付記。)
 いつもこの考えを忘れてはならぬ。私はそれを忘れて、新奇なものに心を奪われて、無造作に空想をたくましゅうして、そうして経験にかけていたから、あんなつまらないまねをもしたのであった。
 おお! それにしても私はその後どうしてそれがわかるようになったのだろう!
 ああ! 私のお友達、どうぞ私をとがめないで下さい。若さからの間違いです。A…は私に称賛者に対していかに振る舞ったら良いかということを教えてくれたのです。
 100年も生きて、100年も学びたい!
 おお! 何もかもどんなに明白になったことだろう。私はどんなに落ち着いて来たことだろう。もうすっかり愛の痛手から治ってしまったように!
 私は毎日外へ出て、快活に希望を抱いていようと思う。

Ah! son felice;
Ah! son rapita!

〔あわれ、楽しさ、
 あわれ、喜び!〕

 私は今 Mignon(ミニョン)を歌って、胸がいっぱいになっている!
 海を照らしている月の美しさ! ニースは何という良いところだろう!
 私は世界中を愛する! すべての顔が皆笑いながら快活に過ぎ行くのが見える。
 何もかもかすんでしまった! こんな状態がいつまでも続かないことは、私には良くわかっていた。私は静穏な生活に入りたい! 私はロシアへ帰ろう! そうすると私たちの境遇は改まるであろう。そうして私は父をローマへ連れて行きたいと思う。
by bashkirtseff | 2005-08-30 23:08 | 1876(17歳)
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