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1876.05.31(Wed)

 才人は才人と一致すると言った人がいるではありませんか? 私は今ラ・ロシュフコー(ルイ14世のころのパリの才人で、陰謀と姦通(かんつう)の連続をもって生涯を終わった人、1613-1680/(底本:「ロシュフウコオ」))を読んでいます。そうしてここに書いたようなことをその中にたくさん見いだします。私は自分でこういう多くの思考を考えだしたとばかり信じていたのに、それはことごとく人に知られていることであり、しかも遠き以前に言われたことであった。……それで私はホラティウスとかラ・ブリュイエール(ルイ14世時代の文人で警句家、1645-1696/(底本:「ブリュエエル」)とかその他のものを読む。
 私は目のことで煩わされている。絵を描いている間にも中止せねばならぬことが幾度かあった。私はいつも絵を描くか、読書するか、ものを書くかばかりしているので、目を使いすぎる。
 今夜は暇つぶしに私の古文学の摘要を繰り返して見た。すると孔子に関する非常に面白い述作を発見した。それはラテン語とフランス語に訳したものである。人間の心を占有するに足るものはなんにもない。ただ仕事のみが、殊に頭の仕事のみがすべてに勝っている。
 私には、女がどうして編み物をしたり刺しゅうをしたりしてばかりいて、すなわち、手を忙しく使って頭を遊ばせてばかりいて、それで日が立てられるのだかわからない。……そういうときはさまざまの無用な、危険な想像が、わき起こるに違いない。そうしてもし心の中に何かが生ずるときは、心がそれを育てて、その結果は恐るべきものとなるであろう。
 仮に私の心が落ち着いて幸福であったとすれば、私は自分の幸福を考えてみるために針仕事をすることも出来たであろう。……いや、そんな場合には私は目を閉じて幸福のことを考えてみるだろう。そして何事も出来ないであろう。
 私の知り合いの人たちのところへ行って、その中に誰にでも、私のことをどう思っているか尋ねてご覧なさい。すると彼らはあなたに答えるでしょう、私のような快活な、のんきな、自信の強い、幸福そうな娘はほかに知らないと。なぜと言うに、あらゆる点に超然として、誇りがにしていることは、この上もなく人に満足を与えるものであるから。それに私は、まじめなものでも、また冗談でも、議論の仲間入りをするのは好きであるから。
 この本を読むと私の内生活がわかります。けれども外的には、私は全く別人です。あたなは、私のことを苦労を知らない人間で、それ故に人にも事にも服従しないのだ、とそうお思いになるかも知れません。
by bashkirtseff | 2005-08-21 15:26 | 1876(17歳)
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