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1876.05.26(Fri)

 叔母がA…はまだ子どもだと言った。
 ──全くね。母様が言った。
 この言葉は私が故なくして汚されたということを私に示すものである。なぜと言うにつまり、私は愛なしに、また、目的なしに、汚されたのであるから。……腹立たしい!
 ローマで彼と別れた後で、私は私の唇の色が変わっていはしないかと思って、姿見に映してみた。誰だって私ほど神経質なものはあるまい! 私の顔はそのとき汚れていたので、私は汽車で24時間も旅行した後のように汚く思った。
 A…は私に愛されていると言ったり、結婚が出来なくなったら私は不幸になるだろうと言ったりする権利を持っているだろう。
 結婚の失敗は、いつも若い娘の生活にとっての汚点である。
 世間の人は皆私たちが愛し合っていたように言うであろう。私が彼を拒んだとは誰も言うものはなかろう。私たちはそれを信ぜられるほどに有名でもなければ、有力でもない。
 その上、外観が世間のうわさを是認させるかも知れない。それを思うと気が違いそうだ! ……
 もしヴィスコンチが、「おお、お嬢さん! あなたはまだ子どもですからね! ……」と、こんなことをさえ言わなかったら、私はこれほどまでには進まなかったであろうものを。実際私はこの傷つけられた虚栄心をなだめるために、あれほど申し込みを繰り返させる必要があったのである。私は一つも自発的な約束をば持ち出さなかったことを覚えておいてください。私があの若い生意気な青年に話をさせながら、私の手を取らせて、それに接吻させたときも、彼は私の声の調子に気が付かないでいた。彼は幸福と興奮に我を忘れて、少しも疑いを差し挟まなかったのである。
 私は彼が一生懸命になっていたことは良く分かっていた。けれども彼の家族や世間がこれだけの騒ぎをしようとは夢にも思わなかった。私は自分が真剣でなかったから、それを予期しなかった。
 私はあなたにお知らせしなければならぬ。あの男は自愛と虚栄の一杯に詰まった袋である。私にとって慰めとなることが一つある。それは例の大げさな説明の前では、彼はいつも非常に苦しいということと、私の嬌態(きょうたい)や冷淡を不愉快に思うということを言っていたことである。
 それは私に慰めとはなる。けれどもまだ物足りない。
 実際、私は私の不平を和らげるために、彼の不平や苦痛は私にとっては全くつまらないものであることを承認しなければならぬ。なぜと言うに、それを経験したのは私ではないから。
by bashkirtseff | 2005-08-20 22:03 | 1876(17歳)
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