私は火曜日の晩に言った通り、昨日の2時に叔母と一緒にニースを立った。
それは私がピエトロに与えているかと思われそうな愛のたまらない証拠である。 ああ! なおと困ったことだ! もしピエトロが、私に愛されていると思ったり、そういうとんでもないことを思ったりするならば、彼はばかである。 2時に私たちはローマに着く。私はつじ馬車(フィアクル)に飛び乗る。叔母も続く。オテルの番頭が私たちの切符を受け取る。それから……それから……私はローマに来ている! 神様! 何という喜ばしさでしょう! 私たちの手荷物はやっと明日届くはずである。競馬の帰りを見るには、私たちは旅行服で我慢せねばならぬ。それでもねずみ色の着物と中折り帽で私はよく見える。私は叔母をコルソ(前に説明したローマの大通)へ連れて行く! ニースの後でまたコルソを見るのは何といううれしさだろう! 私は説明と無駄話で叔母を困らせる。叔母は何にも見ようとはしないから。 そうしてそこにはカッキア倶楽部があって、私が通ると非常な感動があった。修道僧(ピエトロ)は大きな口を開いて、それから帽子を取って、耳から耳まで微笑した。 私たちは別荘ボルゲーゼへ行く。そこにはその地方の農産展覧会があったので。 私たちが花だの植木だのを褒めながら会場を歩いていると、ツッキニに出会う。そのほかにも大勢の人が来ている。 皆が私の3度目に現れたのを見て、非常に驚いていたようだ。私はローマではよく知られている。 シモネッチが来た。私は彼をマダム・ロマノフに紹介して、全く当てもなしにローマへ来るようになったのだと彼に言う。 私はピエトロに来るようにと合図をする。彼は晴れやかな顔をして私を眺める。その目は、彼がすべてのものをまじめに見ていることを示している。 彼は僧院にいた間の話をして私たちをひどく笑わした。彼は4日間いることに同意したと言った。それに一度入ったらば17日間抑留された。 ──なぜいいかげんなことをおっしゃったの、なぜテッラチーナへ行ってたなんておっしゃったの? ──本当のことを言うのが決まりが悪かったから。 ──それでクラブのお友達は知っていらっしゃるの? ──知っています。初めは、テッラチーナへ行ってたんだと言っておりましたが、皆があの僧院のことを僕に話したものだから、とうとう僕はあけすけに話さなくちゃならなくなり、大笑いしたのです。皆も笑いました。トルロニアは怒りましたっけ。 ──なぜ? ──僕が初めに何もかも打ち明けなかったからです。僕はあの男を信じなかったのです。 それからまた彼は、父親を喜ばせるために、偶然か何ぞのように隠しからわざと数珠を落として、いつでも持っているように父親に思わせようとしたことなどを私たちに話して聞かせた。私はあらゆる種類の皮肉と嘲弄(ちょうろう)を浴びせた。それに対して彼は非常に快活な答え方をした。
by bashkirtseff
| 2005-07-31 14:16
| 1876(17歳)
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