私は何事も一心になってすることがないので腹立たしくなる。私はこう独り言を言う、さあフォンテーヌブロー(パリ郊外の森林地)へ行こう。そうして、──なぜそうする? もっと近いところにだって、毎朝馬車を駆って通えるようなところにだって、森のある場所をば見いだせるかも知れない。それに通っても良い。またなぜセーヌ川上の霧を描いてはいけないのか? それにまた……ついに私ははっきりとは何事も分からなくなり、何を私は欲しているのかも分からなくなる。
またなぜアルカション(海水浴場)へは行かないのか、そこには東洋にも似て、そこで私は「聖女たち」を描けるだろうに? そうして同時に、ほかの場所へ行ったと同じくらいに習作もたくさん出来るだろうに? ──そうして彫刻は? もし私が旅行すれば、私の彫像は出来なくなってしまう。 こうした様々な……不決断と手を断つため、私はボートに乗ってセーヌの霧を描こう。そうすれば私は幸福になれるだろう。 私は午前1時に、とうとう自分は何か描きたくなって来たのだと言うために、起きてしまった! 私が苦しんでいたのは、何にもしたいという望みが起こらなかったからである。 それは立ち上り立ち上る火炎のごとくである。それは自分の好きな人の、たちまちにして現れた姿のごとくである。感激であり、熱であり、歓喜である。 私はそう思って一人きりで顔を赤くしている。 私は10月の霊妙な色調を帯びて、その燃ゆるがごとき葉をつけたままの森林を描きたい! そうしてその中には1、2の人物を配する。バスティアン・ルパージュの「親父ジャック」にあっては、森が、今覚えているところによると、遠すぎた。あれは落葉していて、少し灰色がかかっていた。私は赤、金色、緑で……描きたく思う。 けれどもこれはまだそこに私があると言って良いような絵ではないであろう。私という者を示してくれるものは「聖女たち」をおいてはない。……そうして私はまだそれに着手しちない。本当に、私はまだそれをしようともしない。 それでは眠りましょう。
by bashkirtseff
| 2010-11-27 20:07
| 1883(24歳)
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