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1883.02.27(Tue)

 要するに華やかな日が続いた。私は歌い、私は話し、私は笑う。そうしてバスティアン・ルパージュが歌の最後の繰り返し句のように戻ってくる。体でもなければ、姿でもなければ、また才能でもない。ただ彼の名前が。……けれども私は恐れに打たれている。……私の絵は彼に似ているだろうか?彼は近ごろ男の子と女の子を大勢描いた。──有名な Pas-mécheがその中にある。それより美しいものを誰が見ることが出来よう?
 さて私について言えば、2人の男の子が手をつないで歩道を歩いている。年上の方は7歳で、ぼんやりと前の方を見ている。唇に1枚の葉をくわえて。そうして年下の方の子どもは見物人の方を見ながら片手を4歳の子どものズボンの隠しに入れている。私は何を考えてよいか分からない。なぜと言うに私は今夜また喜ばしくてならないから。それは本当に恐ろしいことである!
 けれども今夜は、今夜は、限りなくうれしい晩である。何が? とあなたは聞くでしょう──サン・マルソオかバスティアン・ルパージュが来たのか? ──否、そうではないが、私の彫像の下絵が出来たからである。
 あなたはよく聞いて下さい。私は3月15日が過ぎたら、1つの彫像を作ろうと思っている。私はこれまで2つの群像と2つ3つの胸像の型を作りかけて皆仕上げないでおいた。……なぜと言うに1人きりで誰も教えてくれる人がないから、自分で心を打ちはめてするほどに興味のある仕事に達することが出来ない。──単なるアトリエの習作さえも出来ない。
 1つの形を考えてそれを、仕上げるべき無限の欲望を持つこと、それである。
 それはうまくいかないかも知れない。それがどうしたと言うのだろう? 私は生まれながらの彫刻家である。私は形を崇拝するまでに好んでいる。色は形ほど多くの力を与え得ない。そのくせ私は色に対して気違いのようになっているけれども。しかし形は! 美しい運動、美しい姿勢。あなたはその周りを歩き回る。輪郭が同じ意味を持ちながら変化する。
 幸福! 喜び!
 私の形は両手に頭を隠して立って泣いている1人の女である。あなたは人が泣くときの肩の運動を知っているでしょう。
 私はその前にひざまずきたいと思った。私は千のつまらないことを言った。下絵は30センチの高さである。しかし彫像は等身大にするつもりである。それは善意に対する1つの挑戦であるだろう。……本当に、なぜだろう?
 さて私はこの小さいもろい像を包むために白麻上布(バチスト)のきれいな胸衣を引き裂いた。私は自分の皮膚よりもこの土くれの方が大事である。
 そうして次に私は良い目を持っていない。もし私が絵を描くに足りるほどのものを見ることが出来なくなったら、次は塑像を作ろうと思う。
 それは非常にきれいであろう。この白い麻と、それを透かして見えるふっくりした形と、私は丁寧にそれを包んだ。美しいしなやかさである、高尚である!
by bashkirtseff | 2010-06-23 08:12 | 1883(24歳)
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