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1882.12.28(Thu)

 実際そうであった! 私は肺病である。彼が私に今日言った。──気をお付けなさい。早く良くなるようにしなさい。──そうしないと後悔することになります。
 医者はまだ若い人で、利口そうな顔つきをしている。発疱法その他の不愉快なことについての私の反対に対して、彼は今に後悔するようになると答えた。そうしてこれまでこんな不思議な病体を見たことがないと言った。私の顔つきからはどうしても病気とは思えないと言った。実際肺は左の方はいくらか良いけれども、両方とも冒されている。それにもかかわらず私は健康そうに見える。
 私が初め左の方に痛みを感じたのは、私たちがキエフの神聖な塋窟でミサとルーヴルをたくさん払って私の病気の治るように神と聖骨にお願いして出てきたときであった。1週間前までは左の肺臓にはまだ何にも音は聞こえていなかった。彼は私の家族に肺病にかかった人があったかと言った。
 ──私の祖父の父と、その2人の姉妹、伯爵夫人ド・トウルウズ・ロオトレクと、男爵夫人ストラルボルンと、それから大曾祖父と、2人の大叔母と。
 ──なるほど、とにかくあなたは肺病です。
 私は、こんな珍しい患者に興味を持ったこの医者の階段を下りてくるとき、足が少し震えた。なるほど彼の言うことに従ったら、私の病気は止まるであろう。それは発疱法と南国へ行くことである。1年間醜い形になって島流しにされるのである。──一生に比べれば1年くらい何だろう? 私の生涯は美しい生涯だもの!
 私は落ち着いているが、この不幸の秘密をただ1人で知っていることを思うと少し心配である。占者はあれだけの幸運を私に予言したのに? ……けれどもジャコブ小母は病気のことも言った。それはこうである、彼女の予言が全く実現するためには、まず大なる成功と富と結婚と、夫の愛が来なければならぬと言うのであった。──今私は左側が痛んでいる。前よりも大きい痛みである。ポオテエンは肺が冒されているとは決して言わなかった。彼はこんな場合に決まり切った方式を用いるのみであった。すなわち気管支とか、気管支炎とか、等、等。……しかし真実のことを正確に知る方が良い。それはどんなことでもするように私を決心させる。ただし今年旅行することだけを除いて。
 来年の冬は私はこの旅行の言い訳に2人のマリアの絵が描けるであろう。この冬行ったならば去年の悔いを繰り返さねばならないだろう。私は、南国へ行くことを除いては、何でも出来るだけのことをしようと思う。そうして神の恵みを信じよう!
 この医者が真剣に言ってくれたことは、私の肺はこの前来たときよりも悪くなっているということである。初めは私の耳を見ていたのであった。私は半分笑いながら何と言うことなしに胸を見せた。彼は診察して、処方を作って(1カ月前に)あの汚いものを皮膚に塗るように言ったが、私はまさかこんなに早く悪くなろうとは思わなかったので実行しなかった。
 でも私は肺病である? それはこの2、3年来のことに過ぎない。要するに、命にかかわるほどの重大なことではないが、ただ甚だしく気が沈むのである!
 おお! それはそうだ! しかし私のこの健康な外観と、病気前にこしらえた着物が小さくなった事実をば何と説明したらば良かろうか? 何だか急にやせ細るのではないかと言ったような気がする。多分それは私が若いからであろう。肩が広く、胸が中高で、腰がエスパアニュ風になっているからであろう? 私はすべてこの災厄から回復することは出来ない。
 けれども、もしまだ10年の月日が私に残されているなら、その10年の間に恋と名誉が得られるなら、私は30歳で満足して死ぬであろう。もし誰かこのことを約束してくれる人があるなら、──私はそのときまで生きて喜んで死ぬだろう。
 けれども私は治らねばならぬ。……と言うのは、この……病気を止めねばならぬ。なぜと言うに、決して全治することはないだろうから。しかし、実際、この病気にかかりながら長い間生きている人はある。──私は発疱法も好きなだけさせようと思う。絵を描かねばならないから。
 私は胸衣に花や、レースや、絹編みを付けてその場所を隠すことが出来るだろう。その他必要のないいろんなものを付けることも出来るだろう。それはきれいに見えるかも知れない。ああ! 私は慰められている。いつでも発疱膏を付けているわけではない。1年も気を付けたならば、長くとも2年も気を付けたならば、私は人並みの体にはなれるだろう。また若々しくなれるだろう。……
 ああ! 私は早く死にそうだと言ったことがあった。神は、私を長生きさせることが出来ないので、私を殺してその面倒を逃れようとしている。彼は悲惨で私を圧倒して、それに結果を付けるために私を殺すのである。私は死なねばならぬと言った。私の生涯は長く続くことは出来ない。あらゆるものを持ちたい望み、巨大なる向上心は続くことが出来ない。そのことは良く分かっている。幾年か前にニースで私はすでに、私が生きるために必要なほどのすべてのものを大まかながら見ておいた。しかし他の人はそれ以上のものを持ちながら死なないのである!
 私はジュリアンよりほかには誰にも話さない。彼は今夜私たちのところで食事をした。私はちょっと彼と2人きりになったとき、意味ありげに私ののどと胸を指さして見せた。彼はそれを信じようとしなかった。私は丈夫そうに見えたから。彼は彼の友達で医者に見誤られた人のことを話して私の気を安めようとした。……
 そのとき彼は天国についての私の考えを聞いた。私は天が私をひどく取り扱ったと言った。──私はそれをどう思っているというのか? あまり良くは思っていない。──しかしこの人生の後に何物かあるように私は考えているようだと彼は言った。──そうです、それはあり得べきことです。私は答えた。私は彼にミュッセの Espoir en Dieu〔神の希望〕を読んで聞かせた。すると彼はフランクの祈とうの文句を暗唱して答えた。……「われ生くべし!」
 私もそうだ。この死刑の宣告を受けた境遇はほとんど私を喜ばせる。それは苦しみの1つの機会である。それは新しい感動である。私は1つの秘密を持っている。すなわち、死がその指で私に触ったのである。それには1つの魅力がある。とにかくそれは新しいものである。
 それから私の死について熱心に話すことの出来るのは真に興味あることである。実際にそれは私を喜ばせる。ただ私のざんげ聞きのジュリアン以外に容易に聞き手を持つことが出来ないのは哀れである。
by bashkirtseff | 2010-06-13 22:34 | 1882(23歳)
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