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1881.05.29(Sun)──ガヴロンチ

 昨夜私たちはポルタヴァに着いた。私は私たちの歓迎の喜びを数えていた。いわく、良い温かい晩さん。いわく、何。いわく、何。
 ポオルとアレクサンドルが2人きりで私たちに会いに来たが、私たちはすぐ田舎の方へ行くのだろうと思って、まだオテルに部屋も取ってくれてなかった。嫌だ、嫌だ!
 ポオルは恐ろしく太っている。
 今朝カピタネンコオと、ウォルコヴィスキと、リホポイ…なにがしというきれいな紳士然たる見知らぬ人が訪ねてきた。父は非常に満足であったが、この地方が6年目に帰った私に陰鬱(いんうつ)な印象を与えているのを見てやや当惑していた。私はその感情を隠そうとしなかった。今では父と親密にしているから機嫌を取る必要はなかった。気候は寒くて、嫌な泥がいっぱいで、ユダヤ人が……。まるで包囲された状態である。不吉なうわさが流れている。気の毒な国である。
 私たちは別荘に着いた。野にはまだ川水があふれている。至る所に池が出来て、泥と、新緑と、リラの花盛りと。しかしそれは谷間のことである。何だかしけりそうに思われる。自分の体を気を付けねばならぬ。恐ろしく退屈である。私はピアノを開けて弔いの曲のようなものを即興で弾いてみた。子犬が悲しげに泣いている。私は泣きだしそうになって、明日ここを去る計画を立てる。……
 タマネギのにおいのするスープが出た。私は食堂から去った。これが公爵夫人とポオルの妻をいくらか驚かした。ポオルの妻はきれいな顔をしている。見事な黒い髪と、美しい顔色と、悪くない形をして、良い、小さい細君である。私は皆を好きになろうとした。けれどもそうすることが出来ない。行李(こうり)を解くことはさらに気に障る。しかし私は言われたことに従わない。──それには1つの理由がある。私は自分の体を大事にしなければならぬ! どうしてこんなしけった土地に私がいられようか! ああ! ジュリアンの言ったことは正しかった!
 母様が私のことの出てる新聞を皆持ってきた。……パリでの厄介者にここでは後光が差している。
by bashkirtseff | 2009-10-12 19:33 | 1881(22歳)
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