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1881.05.15(Sun)

 とにかく、簡単に言うと、私は家の人たちと一緒にロシアへ行くつもりである。もし1週間待ってくれるならば。賞品授与式の席に出ることは私には耐えられないであろう。それはジュリアン以外の人には誰にも分からない私の煩もんである。それ故に私はパリを去るのである。私は incognito〔人知れず〕に名医C…のところへ診てもらいに行った。私の耳はもう治らない。右の肺胸膜がずっと以前から冒されている。咽喉も非常に悪くなっている。これは私が彼に本当のことを言わねばならぬようにして尋ねて聞き出したのである。
 私はアルヴァルへ行って手当を受ける必要がある。ロシアから帰ったら私はそうしよう。それからビアリッツへ行こうと思う。田舎へ絵を持っていって、外気で描いていたならば、体に良いであろう。──私は怒って今これを書いている。
 しかしこの家のことを考えると泣きたくなる。一方で母は旅行を嫌がっている。私は母と行くのもいやであれば、また訳の分からない叔母と2人でここにとどまらねばならぬことも同様にいやである。
 また一方では、叔母は世界中に私たちだけ、否、私だけしか持たぬ身の上であるから、私が彼女と居残るのがいやだと思って苦しんでいるのを見て、胸を裂かれるような思いをしている。
 私の力は尽きてしまった。私は終日唇を食いしばって、涙を飲んで腰掛けている。のどが詰まって、耳が鳴って、骨が肉を破って出てきはしないかと思われるような心持ちである。気の毒な叔母は私が機嫌を良くして彼女に話しかけて、彼女と一緒にここに居残ろうと言い出すのを待っている。私はさっきも言ったように、もう力が尽きてしまって、何物をも信じなければ、何物をも可能と思わない。旅行しても良ければ旅行しなくても良いと思っている。けれども家の人たちはどのみちもう長くはいないであろう。その上、……いや、私は言いたくないが、……ブレスロオが賞牌をもらうだろうと思うと私は旅行したくなるのである。ああ! 私は何事にも不幸である。多分私は惨めな死に方をするだろう。私は未来を信じ、神を祈っているけれども。……ついに、世界中で1番耐えられない不決定の後に、出発は土曜日と定められた。
by bashkirtseff | 2009-05-28 19:27 | 1881(22歳)
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