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1880.07.17(Tue)

 私の外気の絵は天気が悪いので打っちゃったままである。私は別に15号の画布にいま一つの絵を描いた。場面は大工の家を左側から見たもので、女が10の男の子に唱歌服を着せていると、小さい娘は口を開けて兄の方を眺めながら1つの古い箱に腰掛けている。後ろの方には、祖母が暖炉のそばに立って、両手を組み合わせて、子どもを見て笑っている。父はベンチに腰掛けて「ラ・ランテルヌ」を読みながら、赤いけさと白い法衣を横目に見ている。背景は非常に複雑で、暖炉があったり、古い瓶が幾つもあったり、道具類があったり、その他不自然でなく仕上げてない物がたくさんあったりする。私はそれを仕上げる暇はないけれども、そういった物に手慣れるためにこの絵にかかったのである。立っている人物と床とその他の細部的なものが私を驚かした。私は室内の絵を冒険的に描いてみても失望するだろうと思っていた。しかし今では、自分で良くできるというのではないけれども、どんなふうにしたらよいかということだけは見当が付いて、もはや怖くなくなった。
 私の最初の作図の首は長さが指3本くらいであった。
 まだ着物やその他のものを描かねばならぬ。私は私の軽蔑すべきサロンの絵を除いては、これまで裸よりほかのものを描いたことがなかった。──それからまだ手があった! 6つ半の手が!
 私はこれまで何を書いても満足に完成するだけの辛抱がなかった。ここにある事件が生じて、それに対する自分の意見を大体書き留めておいて、翌日になって新聞の記事を見ると、私の書いたものは必要がなくなって、それで結局私は完成もしなければ、適当にも書けないということになるのであった。絵における辛抱は、最初の困難に打ち勝つためには、相当の努力が必要だということを私に教えた。最初の1歩が困難のすべてである。このことわざが今ほど強く私を感動させたことはなかった。
 その上、何よりも先に、自分の周囲ということを考えねばならぬ。私の周囲のごときは、世界中で1番良く注意されているのにもかかわらず、野獣的と言わねばならぬ。私の家族はほとんど皆無知で平凡である。それからマダム・G…の様な全くの世間師風の女までがある。それから、私たちを訪ねに来る人たちがある。私たちはあまり話をしない。あなたは私たちの habitués〔常客〕を知っていられるはずです。ラ・M…とか、あるいは面白くもおかしくもない若い男たちとか。私は断言しますが、もし私が、時々書物を持って閉じこもらなかったら、私は今よりもっと不聡明になっていただろう。私は自分の思うことを自由に話すように話すと思われている。そうして誰でも私以上にみえを張るのに困難を感じるものはないだろうと思われることがしばしばある。私はまた時々全く遅鈍のごとくなって、言葉が口元まで集まっていながらものが言えないことがある。そのときはぼんやりして聞きながら笑っている。
by bashkirtseff | 2009-01-28 11:55 | 1880(21歳)
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