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1884.07.05(Sat)

 私はねずみ色の布で出来た心地よいローブを着る。胴衣は、首と袖口を除いては、何らの装飾もなく、アトリエでの仕事着みたいに作らせてある。古代風な蠱惑的なレースの大きな結び目のある理想的な帽子。それで私は、自分によく似合った姿を見て、しきりにジャンドル街へ行きたくなった。ただ少し早すぎるけれども。なぜだろう? そこへは単に友達として、崇拝者として、仲間としていかねばならぬ。彼が大病なのだから。
 で、私たちはそこへ行く。母は大喜びで、私の肩を叩いたり、私の美しい髪を話題にしたりする。──建築家は相変わらずがっかりした様子をしている。彼は記念碑のこと以来気抜けしたようになっている。そうして大画家の方は良くなりつつある。
 彼は私たちの前でブイヨンを吸ったり卵を食べたりする。彼の母が駆け回って、召使いの入ってこないようにそうしたものをすべて自分で持ってくる。彼の給仕をするのも彼女である。それに、彼はそうされるのを極めて自然だと思っていて、私たちの給仕をも平気で受けて、ちっとも怪しまない。彼の顔つきの話になって、誰かが彼はもう髪を刈らせなければならないだろうと言う。と、母は、息子が子供の頃には、また父が病気の時には、良く自分で髪を刈ってやったと話し出す。──刈ってあげましょうかね? 運が良くなりますよ。
 皆が笑う。でも彼はすぐそれに同意したので、彼の母は道具を取りに駆けていき、理髪にかかり、なかなか手際の良さを見せる。
 私もハサミで刈ってあげたいと言った。するとこの人は私に何かいたずらをされては困るという。それで私はサムソンとダリラ(サムソンの髪の中に彼の力が宿っていたのをダリラが誘惑して切ってしまったので以来この勇者は力がなくなった)に比較して仇を取ってやる! 私のこの次の絵で。
 彼は笑い出す。
 彼の弟も、元気が出て、ひげを刈り込んでやろうと申し出る。そうして少し震える手で、おずおずとゆっくりそれをつかみ取る。
 こうして彼の容貌を変えてしまうと、彼はもう病人らしい様子もないほどになった。母はうれしさで小さな叫び声を上げる。──やっと、私の息子になった、私の小さい息子に、私の大事な坊やさんに!!
 何という良い婦人だろう! 単純で、善良で、息子の偉さにあこがれている。
 彼らは善良な人たちである。
# by bashkirtseff | 2012-05-19 15:19 | 1884(25歳)

1884.07.04(Fri)

 セーブルの絵がここに、アトリエに来ている。──これは「4月」と題しても良い。──それはどうでも良いが、この4月は私には実に良くないように思われる!!!
 背景が強く同時に汚い緑になっている。
 女はまるきり私の思っていたようなものになっていない。
 私は彼女をばこのようなものにしてしまった。しかしこれでは私の思っていた情緒は出ていない、まるきり。──要するに、3月は水泡に帰したわけだ!
# by bashkirtseff | 2012-05-19 15:06 | 1884(25歳)

1884.07.03(Tue)

 今朝7時に、私はポオテエンの家へ行った。彼は至極手軽に私を診察した。そうして私をオオ・ボンヌへ廻す。後で見てもらうことになっている。しかし、私は彼が湯治場の同僚に宛てた手紙をここに持っている。私はそれを開封した。
 その中には肺は右側の上部に触欠があるということと、私は世にも最も不規則な最も不謹慎な病人ということが書いてあった。
 そうして後、まだ8時になっていなかったので、私はレシキエ街の小男の医者のところへ行く。この方はまじめな男らしく私に思われる。と言うのは、彼は私の病状に驚いて不機嫌な顔をして、ブシャアルとかグランセとか、そうした斯道の大家のところへ行くように主張する。
 私が拒絶すると、彼は私が行きさえすれば連れ立って行こうと言う。それで私は同意する。
 ポオテエンは、私が以前にはずっと余計ひどい病人であったのだが、意外にも良くなってきたのに、この頃また逆戻りした、しかしそれも回復するだろうという意見であるらしい。
 彼が話し出すと私は気持ちが悪くなるほどの彼は楽天家である。
 小男のB…は、そうした意見ではない。彼は言う、私はもっと悪かった。しかし、その頃は病状が険悪であった。急に悪くなりはしないかと恐れていた。ところがそうもならないで、意外にも良くなってきた。しかるに今ではそれが、慢性の重態に差しかかっている。……一言にして言えば、彼はどうしても私をそのグランセのところへ連れて行こうというのである。
 私は行こう。
 肺病!
 あれと言い、これと言い……何もかも。面白くない。
 そうして少しでも私を慰めてくれるようなものとてもない、何一つありはしない!
# by bashkirtseff | 2012-05-19 15:00 | 1884(25歳)

1884.07.02(Wed)

 私たちは、今日ジュール・バスティアンを彼のアトリエに見舞ってきた。
 彼はいくらか良くなったように本当に私には思われる。彼の母親がそこにいた。彼女は肖像画よりもずっと良い。60歳の婦人でいて、45か50位に見える。髪はかなり美しいブロンドで、ほとんど白髪がない。善良な微笑をたたえる。要するに非常に同情心に富んだ婦人であって、黒と白との着物を着て慎ましやかにしている。彼女は彼女自身の創意の図案で非常に美しい刺繍を作る。
 バスティアン・ルパージュは前の2本の歯が、私みたいに隙いている。
# by bashkirtseff | 2012-05-19 13:57 | 1884(25歳)

1884.07.01(Thu)

 またしてもいとわしいセーブル!
 でも私は早くに帰る、5時に。──もう仕上げに近い。
 しかし私は死にたいほど悲しい。何もかもうまくいかない。
 何か強力な誘導剤が必要である。そうして神を信じない私が、その神を当てにしている。
 凶猛な惨めさの幾日かの後に、何者かがいつも私を再び生活にとりつかせる。
 私の神様、なぜあなたは推理することを私にお許しになったのです? 私は無条件にどこまでも信じたい。
 私は信ずるか、信じないかである。私は推理し出すと、もう信ずることが出来ない。しかし惨めだったり、喜ばしかったりするときに、心の奥の奥で、まず第一に起こる考えは、私にとって実につれないこの神のことである。
# by bashkirtseff | 2012-05-19 13:46 | 1884(25歳)