1884.05.31(Sat)

 ヴィルヴィエイユが来て、私は去年の褒状で大騒ぎをしたから賞牌は授与されなかったのだと私に告げる。そうして私が公然と審査委員会を愚物扱いにしたからだと告げる。……私がそう言ったのは、本当である。……
 私の絵は多分大きさにおいても、新味においても、欠けるところがあるのだろう。もしそうでなかったら、「つどい」は傑作になったであろう。傑作に第3の賞牌なんかを期待する者があろうか? ボオドの写真版は論文を付して掲載され、その中で、私の賞牌のないのを見て一般の観衆は失望させられたと言っている。……私の絵が乾燥無味だとある?! しかし同じことがバスティアンについても言われている。
 M…の肖像が私の絵より良いと言いうる者がこの地球上にあるだろうか?
 ムッシュ・バスティアン・ルパージュは彼の「ジャンヌ・ダルク」のために8票を得た。ムッシュ・M…は賞牌を得た。そうしてその傍若無人のM…は28票を得た。私に過ぎることまさに20票である! 良心もなければ、公平もない。──要するに、私はいずれを信ずべきであるか? 私は絶対に戸惑いさせられてしまう。
 私はH…が来たので、このユダヤ人に、自分ががっかりしていないことを示してやるために降りて行った。
 私はいかにも満足そうな、攻勢的な態度を取って、写真のこと、版画工のこと、買い手のこと、その他のことを話し続けていると、このイスラエルの子なる彼はついに決心して、どこまでも私と交渉を重ねたいと言い出す。……たとえ私は賞牌は得ないけれども……ああ! ……──私はあなたのパステル(アルマンヂイヌ)を買いましょう。それから笑っている赤ん坊の顔を。2点! 彼はその取引をヂナに処理してもらおうとして、彼女に向かって話しかけている。──でも私たちはこの男をエミル・バスティアンの方へ回す。彼に金銭上の問題をば取り扱ってもらうように。私ははなはだ満足である。
[PR]
# by bashkirtseff | 2012-01-28 14:55 | 1884(25歳)

1884.05.30(Fri)

 私はそれだけの苦労に値するただ一つの事柄に真剣になって没頭しない私を、かなりばかだと思う。一切の幸福を与えるようなただ一つの事柄に。それは一切の惨めさを忘れさせてくれる。恋愛を。そうだ、恋愛をも、もちろん。愛し合っている2人の人間は、彼らの絶対の完全について、心的な、また肉的な、ことに心的な、完全について、幻想を持っている。人を愛している人間は、正しくあり、善良であり、忠実であり、寛大であり、そうして最も英雄的な行為を単純な心を持って成し遂げようとしている。
 愛し合っている2人の人間は、世界は完全にして驚嘆すべきものであるという幻想を持っている。例えばアリストオトのごとき哲学者たちや私などが想像したごとき幻想を。そこに、恋愛の偉大なる牽引力をなしているものがある、と、私は思う。
 親戚間でも、友人間でも、社交界でも、至る所に、人間の様々な汚らわしさを発見する。そこに貪欲のひらめきがあり、そこに暗愚のひらめきがある。そこに、嫉妬があり、卑劣があり、不正があり、汚辱がある。これを要するに、最上の友も、隠れた思想をば持っている。モーパッサンも言えるがごとく、人間は常にひとりである。なぜと言うに、自分と向かい合って、自分を見つめていて、自分に誠実な打ち明け話をしている最上の友の、内心の様々な思想の中へ分け入っていくのは不可能であるから。
 ああ! 恋は魂を溶け合わせる奇跡を行う。……互いに幻想を抱いているのだというか、かまうものか? 信ずるものはすなわち存在している! 私はそう思う。恋は世界をかくあるべきようにと、見えさせている。──私はもし神であったなら……
 さて! それでは?
[PR]
# by bashkirtseff | 2012-01-28 14:51 | 1884(25歳)

1884.05.29(Thu)

 一晩中熱があったので、私はたまらなくいらだたしい気持ちである。要するに、狂せんばかりに神経の疲れた状態である。それも全然賞牌ばかりのせいではなく、眠れない夜のためである。
 私はあまりに不幸である。私は神を信じたい。すべてがみじめであり、不幸であり、そうして救いもないときに、何らかの奇跡的な力を探し求めるのは自然ではあるまいか! 人はただ祈願するために、高いところにある一つの力を信じようとする。……この作用は、疲労も、寒慄も、屈辱も、嫌悪も表さない。人は祈る。医師は無力である。人は奇跡を求める。奇跡は来たらざるも、それを求めている瞬間は慰められる。それもほんのわずかなものである。神は公平であるに相違ない。もし神が公平であるとすれば、それはどんな状態であろう? ……一瞬間反省する。すると、もうそれが信じられなくなる、ああ! なぜ生きているのか? このような惨めさを長引かせたとて何になるか? 死は少なくとも、あの有名なこの次の生活がどのようなものであるかを知られる利益だけは提示している。そこには何にもないということでさえなければ。それもこれも、要するに、死んでみれば分かる。
[PR]
# by bashkirtseff | 2012-01-28 14:46 | 1884(25歳)

1884.05.27(Tue)

 おしまいだ。私は何にも得ていなかった。
 これは恐ろしく腹立たしい。私は今朝まで希望をつないでいた。そうしてもしあなた方がどんなものが授賞されたかがお分かりになったら!!!
 なぜ私は意気阻喪しないのでしょう? 実に不思議なことです。──もし私の絵が良いのなら、なぜそれは受賞しないのか?
 でたらめ……とも言えよう。
 いずれにしても、良いのになぜ授賞されないようなことがあるのか? 私はいろんな情実のあることをも知らない。上品なお嬢さんとして取り澄ましていたくはない。けれども私には思われる、良いものに与えられて……
 さてそれなら、それは悪いからか? いや、ちっとも。
 私は自分に対しても鑑賞眼は持っている。……また他の人に対して意見を持っている! そうして40の新聞紙にも!
[PR]
# by bashkirtseff | 2012-01-28 14:44 | 1884(25歳)

1884.05.26(Mon)

 だいぶ良い方である。あの重苦しい期待の代わりに、私は腹を立てている。それは外へ向かった感情である。と言うよりも、むしろすがすがしくなる感情である。36人の3等の賞牌が投票されて、6人残る。M…はジュリアンの肖像でそれを得た。
 この暴挙をいかに説明すべきか? と言うのは、要するに、比較的悪いものに授賞されたから。
 不公平? 私はこの理論をあまり好まない。それは低脳にふさわしいから。
 彼らは多少は私の絵を好ましく思うであろう。しかしなんと言っても、実物大の7人の子供の群像が相当に出来ている背景を持って、そこにあることはどうすることも出来ない事実である。多少とも価値ある意見を持っている者はすべて、それを非常に良い出来だとか、良い出来だとか思っている。中にはまた、私一人ではこうは描き得なかったと思っている者さえもある。そうかと思うと、また、かの老ロベール・フルリのごとき、何故に良いかをも知らないで、その絵を好いているような人もある。
 またブーランジェのごときは、こうした種類のものをば重んじないと第3者に向かって言っていながらも、しかしとにかくこれは力強い作で非常に面白いと言っている。
 それから? ……
 賞牌は低脳に与えられた! それがお決まりであることを私はよく知っている。しかしまた一方では才能ある芸術家にして賞牌を得ない者はない。かくて授賞された幾人ものペンキ家はあるが、授賞されたことのない才能ある画家はないのである。では? では? そういう私だって眼は備えている。私の絵は一つのコンポジションである。
 彼らに盛装させたとする、あの子供たちの群れに、中世期の衣装で。そうしてアトリエの中で(そうする方が戸外においてするよりもずっと易しい)、壁掛けの背景で描き上げたとする。
 しかしそうしたなら、私は、ロシアでは非常に賞賛されるかも知れないような一つの歴史画に仕上げたに相違ない。
 どちらを信じて良いか?
 またさらに、大出版業者バッセから、複製の許可を乞うてきた。
 これが私の署名する5人目である。この次は?
[PR]
# by bashkirtseff | 2012-01-28 14:43 | 1884(25歳)

1884.05.25(Sun)

 私は5月1日以来何をしているだろう? 何にも。それはなぜか? ああ、みじめ! 今セーブルから帰ってきた。ああ! 嫌になってしまう。景色はもうどうすることも出来ないまでに変わってしまった。もう春ではない。そうして私のリンゴの花は黄色くなってしまった(絵の上で)。私はそれに油をむやみに塗ったのであった。しかし私はやはりばかである。またそれをやり直した。まあ見ていなさい。しかし、この絵はこれで仕上げにしなければならない。サロンと共に、新聞、雨、H…およびそうしたすべてのくだらない事柄で、私は25日間を無駄にした。それはあきれたことである。しかしそれも終わった。
 私の賞牌は今日票決される。今4時である。滝のような雨が降ってくる。去年は私は、それを得るものと確信していた。そうして私は確定した知らせの遅延で気を腐らしていた。今年は、確かでないのに、私はずっと余計落ち着いている。1年前に私はそれを得べきはずであった。しかし私は意外の結果を恐れていた。そうしてそれが私をひどく苦悩させた。私にはうれしくもないパステルのためにそれを得るというのは、得べくして得ざることである。でも今ではいかにそのパステルが美しいか私には分かっているので、私は喜んでいる。
 今年は、然か否である。非常に簡明である。もし然であれば、今夜の8時には分かる。さて私は窓のところにある大きなひじ掛けいすへ行ってトルコ風に座り込み、そのひじ掛けいすの腕にひじをついて、その窓から眺めていることにしよう。そうして4時間も!
 5時20分である。それでも私は、何を待つでもなく、何事もしないで、じっとしているときほどには退屈させられない。
 それから私の描いた花を台無しにしてしまったあの油のこと。それを見たとき、私は額がうるおった。どうかしてそれがあまり目立たないでくれると良いが。……2時間たつとわかるだろう。あなた方は多分は私がそのことで非常に興奮しているとでも思うでしょう。否、私は堅くお断りしておきますが私はただ1人で、神経をいらだてて、何にもすることなく午後を過ごすといたような場合ほどに興奮してはいないのである。
 どのみち明日の新聞は私に結果を知らせてくれるだろう。
 私は待つのに気病みして、汗で熱くなったり冷たくなったりして、少し頭が痛くなってきた。
 おお! 私には得られないであろう。そうして、そんなことで私が気を腐らせているのも、母の感情のためである。私は自分の私事に人を立ち入らせたり、自分の感情を人と分かったりすることを欲しない。それを苦痛に感ずる。たとえば、不作法な真似をされたかなんぞのように。よしんば。私は火のようになっていようとも、水のようになっていようとも、またはどうなっていようとも、他の人々は私を静かに放任しておいてもらいたい。私は母に苦しんででもいるように思い込まれているかと思うと腹立たしくてならない。
 天気が重苦し、もやがかかっている! 私は顎骨から耳の辺までもかけて、のどを締め付けられるようだ。
 7時35分。私は夕食に呼び立てられる。もうおしまいだ。
[PR]
# by bashkirtseff | 2012-01-28 14:39 | 1884(25歳)

1884.05.24(Sat)

 決まったのは、ちょうど1年前である。しかし、今年は、サロンは火曜日でなければ再開しない。だから今日は去年の5月21日に当たるわけである。今日、第1と第2の賞牌が評決された。明日は第3等である。
 暑くて、私は疲れている。「フランス・イリュストレ」が私の絵の複製の許可を乞うてくる。そうしてルカアドルとかいう人も。私は署名し、また署名する。複製するが良い!
 しかし、要するに、私の絵よりも良くないものに賞牌は授与されるだろう! それは明らかだ。おお! 私は平気である。真の才能はいつかはきっと現れる。ただ遅れるばかりであって、それがばかばかしい。私はそんなものは当てにしないことに決める。褒状は確かだと請け合われたが、賞牌は怪しいという。しかしそれは不当であろう!!
 明らかに。
[PR]
# by bashkirtseff | 2012-01-28 14:34 | 1884(25歳)

1884.05.20(Tue)

 10時にムッシュ・Hとサロンにおいて。彼は私の絵は誰かの助けを借りて描いたものだと人に思われているほど良く出来ているという。
 実にひどい。
 彼はまた、バスティアンには構図が出来ないとか、彼は肖像画を描くだけであるとか、肖像は描くが、裸体は描けないとか言ったりする。──このユダヤ人には驚く。
 彼は賞牌のことを話しその世話をしてあげようという。彼は審査員は残らず知っているから、等々、と言う。
 そこを出て、私たちはロベール・フルリのところへ行く。私は興奮した調子で、彼に、私は私の絵を自分で描いたのでないと言われたりしていることを話す。
 彼はそうした噂などは聞かなかったし、そうしたことを審査員で考えた人などいないし、またもしそうしたことを言うものがあったら彼もそこにいたのであるからなどと言ってくれる。彼は、私が実際にそうであるよりも以上に興奮していると信じている。それで私たちは、彼が私たちをなだめて、私たちに慰めの言葉を浴びせかけてくれるようにと、私たちのところへ昼食に彼を誘う。──どうしてこうまで皆が何事につけても動揺させられるのだろう? そうした汚らわしさはすべて一蹴してしまうと良いのだ。
 ──審査会で私のいる前で、そんなことを言うものがあったら良かったのにと私は思っているのです、彼はそう叫び出す。私はそんなことは言わなかったでしょう。誰でもそんなことを言うものがあったなら、私はその男をへこましてやったでしょう。ああ! 全くの話ですよ。
 ──おお! ありがとう、ムッシュ。
 ──いえ、それは友誼上の問題ではありません。単に事実であることを言ってるに過ぎないのです。私は誰よりもよく知っています。
 彼はなお私たちに様々の愉快なことを言ったり、私には賞牌を得る機会があると言ったりする。──誰に分かろう。──しかし私にはそうした機会がありそうにも思われる。
[PR]
# by bashkirtseff | 2012-01-28 14:29 | 1884(25歳)

1884.05.17(Sat)

 私はボアから帰ってきた。ボアへはこの地を通りかかったスタリツキの令嬢たちと行ったのである。そうして私はバグニスキに会った。彼は画家のボゴリュボフのところへ行くと、皆がサロンの話をしていて、誰かが誰かに、私の絵はバスティアン・ルパージュの絵に似ていると言ったと、私に言う。
 私は要するに自分の絵が評判になっているので良い気持ちである。人は私を羨望し、私を呪詛している。私は何者かであるのだ。してみると、私は、もしそうしたことが私の喜びであるなら、少しは様子ぶってみることももちろん許されているわけだ。
 いやそんなことはない。私は沈痛な口調で言う。──「あなた方はそれを恐ろしくないとでも思うのですか、そうしてそれは身を粉にしてしまう道ではなかったとでも? 私は6年を、自分の一生の最も美しい6年を、徒刑人みたいに働いて過ごした。誰とも会わずに、そうして人生を少しも享楽せずに! そうして6年目の終わりになって、私はいくらか良いものが描けだした。すると、私は人の助力を借りて描いたのだと言ったりする者がある! それほどまでの労苦の褒賞は、唾棄すべき悪口雑言に変わってしまっている!!!」
 私がこう言っているのは、両腕はだらりと力なく、誠実であると同時に様子ぶって、熊の皮の上に座ってである。すると、母はそれを生真面目に受け取って、私を絶望に陥らせる。
 母はこう言う、──名誉の賞牌がXに与えられたと仮定してごらん。もちろん私はそれを不当であり、汚辱でもあると叫ぶ。私はそれに反抗し、狂気の如くに怒り、云々──
 母、──いや、いや、そんなに興奮するものじゃありません! ああ! 本当に、でも彼が賞牌をもらったというのではありません! それは本当の話ではないのです! 彼はそれを得てはいない! そうしてもし彼にそれが授与されたとしても、それは故意になされたのだ。皆あなたの性格は知っている。皆あなたが憤慨することを知っている。だから故意にそうするのだ。そうすればあなたの方ではお馬鹿さんみたいになってしまうものだから、ね! ……
 これはまだ嫌疑にすらなっていない。単なる早手回しの断案に過ぎない。X…が名誉賞牌を得るまで待って、見ていなさい!
 今ひとつの例。当時流行になっている哀れむべきY…の小説が──何版だか分からないが版を重ねている。もちろん私は憤慨した。どうして、大多数者の飼料というものはそんなところにあるのだろう、人の嗜好はそんなところにあるのだろう? O tempora! O mores!〔おお時よ! おお時勢よ〕あなた方は母をしてなX…なりあるいはそれと似寄りの人物なりについて長口上を再び始めさせる賭をしたいとでも言うのですか! ──そうしたことはすでに幾たびもあった。彼女は、ほんの些細の衝動にも私が身体を痛めたり、死ぬかも知れないと恐れている。そうしてその広大な純朴さから、つまりはかえって私に熱の発作を起こさせるような方法手段で、私の余命を保たせておこうと欲しているのである。
 Xなり、Yなり、あるいはZなりが来て言う、──あなたは知っていらっしゃるでしょう、ラロシュフウコオの舞踏会はすてきでしたよ。
 私はふさぎ込んでしまう。
 母はそれを見て取って、偶然のようにして何か話し出して、5分の後にはその舞踏会のことなどを私が気にかけなくなるように仕向けたり、そうでなかったら、そんな舞踏会などは跡形もないことであったと証明しようと努めたりする。
 そうしたことがある。──と、子供らしい作り話や口実が持ち出される。それを私の方では、私が鵜呑みにでもすると思われているのを見て怒ってしまう。
[PR]
# by bashkirtseff | 2011-08-16 10:51 | 1884(25歳)

1884.05.15

 そうして午後は、良い気持ちになって、私は部屋の中を歩き回っている。賞牌が得られるかと思うと盆の窪のあたりに小さな寒慄(かんりつ)を覚えながら。
 賞牌は凡俗を目安にしたようなものである。要するに、私はいかなる賞牌よりも、私のごとき、賞牌なき成功を好む。
[PR]
# by bashkirtseff | 2011-08-16 10:44 | 1884(25歳)