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1880.01.05(Mon)

 だんだん悪くなってきた。
 また仕事を始めたが、十分に休養しなかったので、これまでにないような物憂さと疲れを感じる。それにサロンは近づいてきた! 大ジュリアンとそのことを話し合ったが、私たちは、ことにジュリアンは私に準備が出来ていないという意見である。
 そのことを考えてみるのに、私は遊んでいたり旅行した時間を差し引きしないと、2年4カ月仕事をしたことになる。それはわずかなものである。しかしまたたいしたものにも思える。私は十分に仕事をしなかった。遊んでしまった。怠けてしまった。……要するに、私には準備が出来ていない。「留め針でも絶えずつついていれば気違いになってしまう。」とエドモンドは言っている。「けれどもこん棒でたたかれたのは、急所でさえなければ、我慢の出来るものである。」それは真理である。永久的の比喩である。……ブレスロオ、彼女は1875年6月に始めた。それで4年半になる。そうしてチュリヒとミュニヒで2年、合わせて6年半になる。私の場合と同様に遊んだ時間や旅行した時間を差し引かなければ。彼女は展覧会に出す前に2年以上絵の具のけいこをした。私は絵の具にかかってから1年と4カ月である。私は彼女と同じ信頼を持って出品することは出来そうもない。
 おお! 私は自分では気にしないでいられる。私は待つことは出来る。私には勇気はある。もし1年待てと言われたならば、私は心から、ようござんすわと答えることは出来る。けれども私の友達は、私の家族は、もはや私を信じなくなるであろう! 出品しようと思えば私には出品することも出来る。けれどもジュリアンの望むところは、私に問題となるほどの絵を描かせようというのである。そうして訳なく成功させたいというのである。それは一段高い馬に乗って威張ることである。アトリエには私に比べて5倍も力の劣っているくせに出品して何にも言われなかった人さえある。しかし私の場合は……なぜだろう? ──あなたは教える必要もなければ50フランないし150フランの金をもらう必要もないでしょう。皆がそう言う。あなたの必要なものは評判です。こんなものを出品することはほかの人ならばそれも良いでしょうが、あなたにはつまらないことじゃありませんか!
 これはまた私の意見でもある。しかし、友達や、家族や、それからロシアにいる人たちは、何と言うだろう! ……
 ジュリアンは私がマネエの10倍も良い線を出すとも言い、また私には線の出し方が分からないのだとも言う。あなたはもっと勉強しなけりゃなりません!
 私は、私は、どう思うかと言うに、私は非常にうるさくてたまらないから、どうにかしてこれを切り抜けたいと思っている。
 マダム・G…が私を見舞いに来て下さった。それはあなたも知っていられる通り、私は犬のように風邪を引いていますから。
# by bashkirtseff | 2009-01-07 13:44 | 1880(21歳)

1880.01.03(Sat)

 非常にせきが出る。しかし不思議なことには、顔が醜くなるどころではなく、かえって私に似つかわしい物憂げな趣を添える。
# by bashkirtseff | 2009-01-07 13:41 | 1880(21歳)

1880.01.01(Thu)

 私は朝アトリエに行った。1年の初めの日に仕事をしたならば、1年中仕事が出来るだろうと思って。それから少し訪問をして、ボアへ行った。
 ポオルは今朝7時に立った。母が彼と2人きりで停車場へ行った。汽車は感情を動かすものである。私はポオルを町へ出掛けるか何ぞのように平気で出掛けさせた。もし停車場に行ったなら、私はきっと泣いただろう。
# by bashkirtseff | 2009-01-07 13:40 | 1880(21歳)

1879.12.31(Wed)

 私は何かの病気にかかったに相違ない。非常に気が沈んでいたずらに泣きたくなる。アトリエを出てルーブルの店へ行った。押し合ったり駆けたりしている忙しそうなうるさい騒がしい群衆を、かぎ回る鼻や探し歩く目を描写するには1人のゾラを必要とするだろう。私は熱と神経で気が遠くなったように感じた。美しいアレクサンドリイヌ・パッチェンコに(神様私をお許し下さい)母は簡単な適当な手紙を出した。次に書いてあるのが私から彼女に出したもので、白い滑らかな紙に書いて、小さいMの字の上には金の王冠がかぶせてあった。──

親愛なるマドモアゼル、
私の弟があなたに母の同意をば伝えるでしょう。私は、あなたの幸福に対するあらゆる希望をお贈り致します。そうしてあなたが私たちの親愛なるポオルを彼が値するだけ幸福にしてあげて下さることを望みます。私たちの間にあなたを見ることの楽しみを待ちながら、私は心からあなたを抱擁します。
マリ・バシュキルツェフ

 それ以外に何を私から言うことがあるか? ポオルは彼のエルキュール(ヘラクレス)のような形と美ぼうを持ってすれば、もう少し良い結婚が出来るはずであった。今度の結婚は全くその娘のためである。だから私もそれを承認する。
 何という哀れな年の暮れだろう! ……11時になったら寝ようと思う。そうしたら真夜中にはよく眠って……良き運命の知らせを夢見るであろう。
# by bashkirtseff | 2009-01-06 14:35 | 1879(20歳)

1879.12.28(Sun)

 ポオルは結婚することになった。私も同意した。その訳を話しましょう。彼女は彼を愛して、彼と結婚することを非常に欲している。彼女は相当に知られた、同じ地方の、やや離れているが、近所と言って差し支えのない土地の、良い家庭に育って、若くて、きれいで、学問もあれば気立ての良い婦人である。彼女は、ポオルが Marechal de Noblesse〔貴族の将軍〕の息子であって、パリに派手な身内の人たちがいるというので、いくらか得意になっている。それだけ私も同意しなければならぬ。
 ロザリの不注意から、ポオルへあてた私の手紙は、ついに届かなかった。母も同意した。その娘は次の電報を母によこした。

うれしくぞんじます。ふかきかんしゃをははうえにささげます。なるたけはやくかえります。
──アレクサンドリイヌ

 その娘さんはパリの身内を気にしている、ことに高慢で気難しい私を気にしているということである。でも私は「否」というような人間ではない。私は彼女が愛するように愛したことがないから、人に迷惑を掛けるようなことをしようなどとは思わない。私たちが意地悪になりかけているというのはそれは容易に言えるかも知れない。けれども、同じ人間仲間に苦痛を与えることになるような場合には、2度とそのことは考えなくなる。もし私に煩もんがあるとすれば、人に煩もんさせれば私は治るでしょうか? 私が親切であるのは善意からではなく、そうしようと思うからである。それが私に苦しい。実際わがままな人間は善でないことをしてはならぬ。悪をなすには人は不幸すぎる。けれども世間には害悪をなす事を喜ぶ人間もあるようだ。……人は皆好き好きである。ことにポオルは紳農以上の何者にも決してなれないであろうから。
# by bashkirtseff | 2009-01-06 14:27 | 1879(20歳)