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1884.06.01(Sun)

 こうしたことばかりで、私はひと月この方というものは何にもしていない! そうだ、私は昨日の朝からシュリ・プリュドム(詩人、このとき45歳)を読んでいる。私は彼のものを2冊持っている。そうして非常に良いと思っている。……

 私は詩句には余り拘泥しない。それは出来が悪い時には私は悩まし、私を苦しめる。私にとっては、表現されている思想があるばかりである。──もし押韻することが好きだというなら、いくらでも押韻させるが良い! 何も私がそれを眼中に置くことはない。さてシュリ・プリュドムの実に微妙な思想は無限に私の気に入る。そうして彼には非情に気高い、ほとんど抽象的と言っても良い、非常に繊巧な、非常に精髄にふれた一面がある。そうしてそれは完全に私の物の感じ方と一致する。
 私は、時には安楽椅子に横臥したり、また時にはバルコンを歩き回りながら、リュクレエス(ローマの詩人ルクレティウス(底本:ルクレチウス)、その翻訳をシュリ・プリュドムが出した)の序文と本文とを読んでいる。De natura return.(ルクレティウスの哲学的な詩、不滅を否定し、平静な心的状態を賛美してある)それが何であるかを知る人たちは、私の意のあるところが分かってくれるであろう。……
 そのすべてを了解するためには、非常なる精神上の緊張が必要である。これは難しい本であるに違いない、こうした主題を扱いつけている人たちに取ってすらも。私にはすべてよく分かった。それが時としては逃げ出して行ってしまった。しかし私はそこへ後戻りすると、再びそれを捕捉しようと努力した。……私は自分がかなり苦労をして捕まえているような様々な事柄を書いているシュリ・プリュドムを、大いに尊敬すべきである。
 そうした様々の思想の取り扱いは、ちょうど私が絵の具を扱うように、彼には慣れているのである。
 それで彼もまた私に対して神聖な尊崇の念を寄せてもしかるべきである。なぜと言うに、反感的(アンチバチック)なテオフィル・ゴーティエが言ったごとく、若干の泥絵の具をもって、私は人間のいろんな感情を表している顔や、またはその中に自然や、樹木や、空気や、遠景やらの見られる様々の絵を描いているのであるから。──彼は人間の思索の機械の中を無益なほじくりをしながら、自らもって一画家より千倍も優れていると信じているに違いない。彼は彼自らにまた他の人たちに何を教えているだろう?
 精神はいかに働いているか? 知的であり、急速で補足しがたいそのすべての動作に様々の名前を与える。……哀れむべき無知な女なる私はと言えば、私はそうした巧緻な哲学は何人に対しても何事をも教えないであろうと考える。それは一つのほじくりである、微妙な難渋な一つの娯楽である。しかし、なにゆえか? 様々の名誉をものする天才が作りなされるのは、そうした一切の抽象的な霊妙な物に名前を与えることを学んで得られるのであるか? あるいはまた、世界の先頭に立って思索する異常な人間たちが作り出されるのも、そうしたことを学んで得られるのであるか? それからまた、人間は、自分と交渉する限りにおいて事象を知り得るのみである、などと、彼は言っている。
 私のこの文章を読む人たちの大部分には、それは何にもならないであろう。けれども私は、なお次の文を引用しよう。──"Norte science ne peut done excéder la connaissance de nos catégories appliquée à nos perceptions."〔かるが故にわれわれの科学は、われわれの知覚に当てはめられたもろもろの範ちゅうの認識を越ゆることは出来ない。〕そうだ、明らかに私たちは私たちに分からない以上のことを分かるわけには行かないのである。それは明白である。
 もし私が合理的な教育を受けていたならば、私は非常に著名な人物になっていたかも知れない。私は何もかも自分一人で学んだ。私はニースで、中学の先生たちと一緒に勉強する私の研究の案を一人で作ったが、彼らはそれに驚いた。半分は直覚によって、半分は私が読書したことによって、私はかくかくの事柄を知りたいと思った。こうして私はギリシャ語と、ラテン語と、フランスとイギリスの古典近代の文学、あらゆるものを読んだ。
 しかしそれは一つの混沌である。私はすべてのものの中にある調和を愛するの念から、それを皆整理しようとは努めているけれども。
 シュリ・プリュドムというこの名前は何者であるか? 私が彼の著作を買ったのは6カ月前である。そうしてそれを読もうとしてみたが、私はそれを面白い詩だと思って放てきしておいた。しかし今日では私は私の心をとらえるに様々な事柄をその中に発見している。そうして私はフランソア・コッペ(小説家、当時42歳/この年学士院に入った)の訪問に端を発して、それを一気に通読した。しかしコッペは彼についても、何人についても、語りはしなかった。ではどういう関係があるのか?
 非常な大努力をもってすれば、私は、明らかにこの知的な作物を哲学的に解読できるであろう。しかし何になるだろうか? 私の考えたことは変化するであろうか?
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by bashkirtseff | 2012-02-04 23:44 | 1884(25歳)