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1884.04.30(Wed)

 災禍は完成するまでには至らない。なぜなら「ゴロワ」は私のことをたいそう良く言っている。私だけに短評がしてある。それは「ゴロワ」のヴォルフと言われるフウルコオの書いたものであって、非常に気が利いている。「フィガロ」と同日にサロンに関する一つのプランを発表して現れている「ゴロワ」は、同等か、でなければほとんど同等ぐらいの勢力を持っているものと私には思われる。
 やはり展覧会号を発行している「ヴォルテエル」は、「ゴロワ」同様に私を取り扱っている。そうしてそれが主要記事をなしている。
「ジュールナル・デ・ザール」(「美術新誌」)もやはり、展覧会の鳥瞰(ちょうかん)記事を発表して、私を引用している。「ラントランシジャン」でも、展覧会号で、私を同様に優遇している。その他の諸新聞紙も、追々それぞれ相当の記事を掲げるであろう。展覧会がふたを開けたその日の朝にそれだけのことをしたのは、「フィガロ」に、「ゴロワ」に、「ヴォルテール」だけである。
 私は満足か? これに答えることは簡単である。満足でもなく、不満足でもない。……
 自ら慰むるに足りないというほどではない、ちょうどその程度に私には満足である。それきりのことだ。
 私はサロンから今帰ってきた! 私たちは正午にやっと会場へ行き、そうして閉場前1時間の、5時までもそこにいた。──私は偏頭痛がする。
 私たちは長い間絵の前の長いすに座り込んでいた。
 大勢が絵を眺めている。私は、それらのすべての人たちが、きちんと格好良く靴を履いた、実に可憐な足を示しながら、そこにそうして座っている美しい少女が、その絵の作者であることを決して知ろうともしないであろうと考えて、笑っていた。
 ああ! 去年とは趣を異にした良い出来栄えである、すべての点において!
 これは成功なのか? 真実の、真剣の意味において。もちろん? ほとんどそうだと言える。
 ブレスロオは2つ肖像画を出した。私はその一つをしか見なかったが、かなり驚かされた。それはマネの模倣であって、その点が私には気に入らない。これには以前ほどの力強さがない。さて、私の言っていることはおそらくひどすぎるかもしれない。と言って、そんなことを私は気にかけはしない。どっちにしても、私は不満足である、否である。まだいくらでも余地はある。けれども、私はそうあることの方をずっと好んでいることを告白する。
 バスティアン・ルパージュは、去年の小さな絵をしか出していない、鍛冶場を。
 それは鍛冶場の薄暗い中にいる年老いたる一人の鍛冶である。これは方々の博物館にあるすすけきった小さな絵画同様の良い出来栄えである。彼はまだ絵を描くほど十分に健康体になっていない。あのかわいそうな建築家は悲しそうな様子をして、彼は水へでもはまってしまおうと言っている。
 私もやはりもの悲しい。そうして私は、自分の絵、自分の彫刻、自分の音楽にもかかわらず、そうしたすべてのものにかかわらず、私は自分に嫌気がさしているのだと思う。
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by bashkirtseff | 2011-07-13 17:41 | 1884(25歳)

1884.04.29(Tue)

 明日は展覧会の初日である。明日の朝は真っ先に、私は「フィガロ」と「ゴロワ(底本:ゴオロア)」を見よう。それらの新聞紙はなんと言うであろう? 何にも言わないだろうか? 良くも? 悪くも?
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by bashkirtseff | 2011-07-13 17:13 | 1884(25歳)

1884.04.16(Wed)

 私は毎日セーブルへ行っている。この絵は私の胸に迫ってくる。リンゴの木は花盛りである。その4周には明るい緑の葉が芽を吹いてきて、太陽は春の美しい緑色の上に戯れている。雑草の中には、スミレが咲いていたり、名も知らぬ黄色い花が小さないくつもの太陽のように笑っている。空気は匂やかで、樹下に夢見ている少女は、アンドレ・チュリエの言ったように、「物憂げに微酔して」いる。もし春の滴りの、太陽の、この効果を十分に写すことが出来たら、それこそ美しかろう。
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by bashkirtseff | 2011-07-13 17:02 | 1884(25歳)

1884.04.12(Sat)

 絵はシメエズに掲げられたと、ジュリアンが書いてよこした。
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by bashkirtseff | 2011-07-13 17:01 | 1884(25歳)

1884.04.06(Sun)

 今夜叔母はロシアへ向かって立った。
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by bashkirtseff | 2011-07-13 16:59 | 1884(25歳)

1884.04.05(Sat)

 ここに様々の計画がある。──
 私はまず第一にセーブルの絵を仕上げよう。次に私は、午前には真剣になって彫像を、午後は裸体の習作を試みよう。──今日は素描が出来た。これは7月までかかるだろう。7月には、私は「宵」を描き始めよう。それは樹木のない大路を示したものである。道が太陽の舂(うすず)いている空のあたりへ行って分からなくなっている一つの原である。
 道の上には、2頭の牛に引かせた車……そうして秣(まぐさ)が一杯に積まれ、その上に1人の老人が、両手であごを支えて、腹ばいになっている。その横顔が、舂く太陽の光を受けて、黒く浮き出している。2頭の牛は1人の子供に引かれている。
 これは単純で、雄大で、詩的で、等、等、であるに違いない。
 それと、2、3の着手中の小さなものを仕上げてしまったら、私はエルサレム(底本:ジュリュザレム)に旅をして、絵と健康とのために冬を彼の地で過ごそう。
 そうして来年の5月になったら、バスティアンは私を大芸術家であると宣言するであろう。
 私が今それをこうして物語っているというのは、私たちの様々な計画が、どう成り行くかを見ているのが面白いからである。
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by bashkirtseff | 2011-07-13 16:58 | 1884(25歳)