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1883.06.16(Sat)

 さて、私はバスティアンの諸作から「傑作」の資格を撤回する。なぜ? なぜなら、彼の「村の恋」は私に身の毛をよだたせるから。あるいは、なぜなら、私は自分の意見には勇気を持たないから? 死んだ者でないと尊敬されない。もしミレーが生きていたら、何と言われているだろう? それに、ここではミレーのは6点きり見られない。私たちはルジャンドル街へ行ったら、この6点に匹敵するほどの作品を見いだせないだろうか? 「パ・メエシュ」1。「ジャンヌ・ダルク」2。「弟の肖像」3。「村の宵」4。「乾草」5。私は全部は知らない。彼はまだ死んでもいない。バスティアンはカザンほどにミレーの息子になりきってはいない。後者の方がずっと余計彼に似ており、また……若くもある。バスティアンは独創的で、彼自身である。誰でもきっと最初は何か少しずつ人のものを取って描き出す。しかし個性は次いで後から出るようになる。それに、詩とか、力とか、魅力とかいったようなものは同じものであるから、もしそれを探し求めるのが模倣になると、きっと絶望するに決まっている。人はミレーのごとき絵の前に立つと、ある生き生きした印象を受ける。またバスティアンのごとき絵の前に立つもやはりそうである。……これは何を証拠立てるか?
 皮相な人間は模倣と言う。それは間違っている。異なった2人の役者が同じ仕方で感動させうる。真実で、人間的で、張り詰めた感情は常に同一であるから。
「エタンセル」に私に関して全く感謝して良い10行ばかりの記事が載っている。私は著名な画家で美しい娘で、そうしてバスティアン・ルパージュの弟子だとある。いたずら!
 私はサン・マルソーのところで、エ・ルナン(イエス伝の著者/このとき60歳)の胸像を見た。そうして昨日は辻馬車に乗って通っているルナンを見た。私はすぐに彼と知ることが出来た。
 確かにそこには類似があった!
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by bashkirtseff | 2010-07-31 07:51 | 1883(24歳)

1883.06.15(Fri)

 カンロペエル夫妻から私に一通のうれしい手紙が届いた。皆が私に非常な同情を寄せていてくれる。
 今朝、誰にも会いたくないと思いながら、冒険にもサアル・プチ〔小展覧会〕に行ってみる。何かの補助のため100点ばかりの傑作を陳列してある。──ドカン、ドラクロワ、フォルチュニ、レンブラント、ルソー、ミレー、唯一の現存者なるメエソニエ及びその他。まず第1に私はメエソニエに言い訳をする。と言うのは、私は彼を良く知っていなかったし、また彼は、最近の肖像画展覧会では拙劣なものしか見せていなかったから。そうだ、今度のこそは文字通り驚異である。
 しかし私が喪のベールを払いのけても見たいと思ったのはミレーであった。彼に全然面識はないけれども、彼の名声は私の耳にとどろいていた。──バスティアンは彼の薄弱な模倣者だと言われていた。──それが私をいら立たせた。私は見てきた。また見に行こう。……バスティアンはなるほど彼の模倣者ではある。なぜならば、彼は百姓を描いているから。また、なぜならば、両者共に大芸術家であるから。そうしてすべて真個の傑作は、ある同一系統らしい似寄りな点を持っているものであるから。
 カザンの風景の方がバスティアンのそれよりもずっとミレーに歩み寄っている。ミレーにあっては、私がここで見た6点について言うと、その美しさは、全体にわたったものであり、諧調であり、空気であり、流動性である。すなわちそれは概略の上から見た小さい形であるが、非常に大きくて、非常に正確である。そうしてバスティアンに今日比類なき力を授けているものは、すなわち彼の人間味を帯びた人物の、力強い、生き生きした、異常な、細心な描写である。自然の完全な模倣である。要するに人生である。彼の「村の宵」は小さな感じのするものに過ぎないけれど、確かにミレーに匹敵する。そこには薄暮の中に姿を没している2人の小さい人物が描いてあるきりである。しかし彼の「村の恋」の思い出は私の目を痛ましめた。あの背景は何という間違いだろう! どうしてそんなことが彼に分からなかったのだろうか? そうだ、こうした大物になると小さい絵でミレーを以上ならしめているところものが彼に欠けているのである。……空気、諧調。……たとい何と言っても、人物が支配しなければ駄目である!
「親爺ジャック」は効果から言って「村の恋」に勝る。「乾草」も同様。「親爺ジャック」は詩にあふれていた。花を摘む小娘はうっとりさせるような人物で、老人も良かった。……大きな絵に、この……ミレーの特質をなしているところの、実に柔らかく実に確かなこの包む力を与えることのずっと難しいのは私も良く知っている。……しかしそこまで達しなければならぬ。小さい絵にあっては、大概のものはごまかすことが出来る。私は小さい絵について言っているので、そこでは例えばミレーの息子とも言うべきカザンのごとく(と言っても細心なメエソニエは当たらない)表情が全体を支配している。誰でも少しばかりはけをうまく動かすと、ある一点においてはっきりとは分からないが、全体に行き渡っていて、言うに言われないある力、それを私たちは魅力と呼んでいるが、そういった表情が出て来ることがある。……しかるに大きな絵では、一切そうした状態が変わってしまって……恐ろしく困難になる。なぜと言うに、その場合には感覚が科学の力を借りなければならぬからである。それはしばしば恋愛や金銭の場合に生じるがごとくである。……
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by bashkirtseff | 2010-07-30 08:14 | 1883(24歳)

1883.06.13(Wed)

 もし母を失うような不幸があったら、それこそ私はどんなに責められても仕方がなく、また後悔してやまないだろうと思われる。なぜと言うに、私は非常に粗く激しかったから。……動機は悪くないのは、良く知っている。しかしいずれにしても同じことで、あの極端な口のききようは、すべていけないことであった。……
 それに、母は……そこに言うに言われる心痛があるのかもしれない。考えただけでも私は泣かされてしまう。私は母にさまざまの欠点を認めてはいるが、それは言うても仕方がない。
 母は徳操は正しいが、何にも分からないし、また私をも信頼していない。……あの人はいつでも物事はひとりでにうまくいくものと信じている。そうして「面倒なことはしない」がましだと思い込んでいる。
 死なれて1番私につらいのは、何と言っても叔母だと思う。叔母は生涯を皆のために犠牲にした人である。そうしてただの一瞬間と言えども、かつて自分のために暮らしたことはなかった。バアドやモナコの賭けもので過ごした時を除いては。
 叔母と仲良くするのは母ばかりだ。私はと言うに、私は一月ももう叔母に接吻しない。そうしてよそよそしいことを言うか、でなければ、愚にもつかぬことで非難を浴びせてばかりいる。と言って何も悪意からではない。ただ私もやはり大変不幸な身の上であるからだ。そうして私たちの私事にわたって私が母や叔母を相手にする論判はすべて、短い、薄情らしい、一酷な調子でする習慣になってしまった。もし私が優しいことや、でなくてもおとなしいことをでも言い出そうものなら、私は分別もない者みたいに泣いてしまうかも知れない。要するに、優しいとまでは行かずとも、私はもっと愛想良くして時としては笑い顔を見せたり打ち解けた話をしたりしても良いわけである。そうすれば相手をも幸福にし、自分にも損にはならない。でも、自分の仕打ちをそう急に変えてしまうのは一種虚偽な恥辱の念もあって、私には容易に出来ない。
 で、そうは言っても、あのかわいそうな婦人、その身の上に「献身」の一語に尽きている彼女のことを思うと、私はおのずと心も和み、親切にしてあげたくなる。……そうしてもしも死ぬようなことがあったら、私が悔恨を残していく1人の人はきっとあの叔母である!
 例えば、祖父である。祖父は老人らしい偏狂さを見せるので時折私は我慢がならなかった。でも年寄りは尊敬しなければならぬ。私はついすねた口の利きようをするようなことがあった。それでいて祖父が中風にかかったときには、罪償いをしようとして良くそばへ行ってあげたくらい、私は自分の非を悔いた。
 それに、祖父は大層私をかわいがってくれた。だから私は彼のことを考えては泣く。
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by bashkirtseff | 2010-07-29 07:57 | 1883(24歳)

1883.06.11(Mon)

 父上は死んだ。
 今朝10時に、すなわちたった今電報を受け取った。叔父とヂナとは、階下で、埋葬を待つまでもなく即刻母に戻ってもらわねばならぬと言っている。私は非常に動揺させられて、ここへ上がってきた、しかし泣かないで。ただ、ロザリが衣装の出来たのを私に見せに来たときには、私はこう言った、「そんなどころじゃないよ、旦那様がお亡くなりになったんだよ。」そう言って私は、たまらなくなって泣きだしてしまった。
 私は父上に対して悪いことをしただろうか? 私はそうは思わない。私は常に良かれとばかり思い思い努め振る舞ってきた。……でも、こうした場合に立ち至ってみると、誰でもきっと何かしら自分に落ち度があるように思われる。……母と一緒に立たねばならなかったのだ。……
 父上はまだ50になったばかりである。それをあんなに大病をして! ……そうして、要するに、誰に向かっても無理なことなどはしなかった。家庭にあっては愛され、完全に正直で、誠実で、あらゆる奸悪を嫌って、実に好人物であった。
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by bashkirtseff | 2010-07-29 07:52 | 1883(24歳)

1883.06.10(Sun)

 日曜は、誰にも落ち合う危険がないので、私は朝の間にサロンへ行く。
 実際うんざりするような不当な受賞が幾つもある。
 若いロシュグロスの若い絵の前には相変わらず人だかりがしている。彼は非常に力強い。異論のない絵である。しかし私には見ていても熱して行けない。と言って、熱せずにいられないような絵がどこにあるだろう?
 人を感動させるには、自分も奮闘しなければならぬ。だから、私は力作してもって、感情の偉大なる高揚にまで達するのだ……人工的の。
 けれどもジャンヌ・ダルク……そうだ、あれは真実だ。それから? まだそうした例はまだある。
 ルーヴルには? あそこにも肖像画がある。大きな古いものもあるが……とは言え、フランス派の甘美な作品と肖像画。
 そうして今世紀の最近の出陳としては、ローランスの作品とバスティアンの2、3種。すなわち彼の弟の肖像、アンドレ・トゥリエの肖像、サラの肖像。その次は……その次は……誰か私をも芸術家だと言ってくれましょうか?
 ほかの道に進んだにしても、数学を除いたら、私は英知と意志の力できっと同じ点までは達しられたに相違ない。
 でも音楽が私の情熱をそそる。そうして私にはやすやすと作曲でも出来そうだ。では、なぜ絵を選んだのか? 何がこんな風にしてしまったのか? そんなことを考えると実に惨めだ。

 私は大きな絵を作りたい、大画幅を描きたい。
 私は画題を考えている。……そうだ、画題は古代にとろう。ユリス(オデュッセウス)が、ファアシア人の王なるアルシノオスに自分の冒険談をしているところにしよう。アルシノオスと王妃は王子たちや若人らに取り巻かれて玉座に着いている。場面は紅の大理石の円柱のある回廊で、王女ナウシカアーは両親の少し後ろになった円柱の1つにもたれて、勇者の物語に聞き入っている。それは饗宴の後で、詩人デモドキュスの歌の済んだところで、詩人はずっと奥の方で、たて琴をひざに乗せて、もう用なしになった歌い手らしい手持ちぶさたで外面を眺めている。すべてそうした中に、さまざまの姿態があり、集合があり、また構図がある。
 その点で私は困っているのではない。それに大体これでよいだろうから。ただ仕上げることになると恐ろしい。
 私は何にも知らない、何にも、何にも! 家具類も、衣装も、その他の装飾品も。それに、こうした大掛かりなものを作り出そうとするには、さまざまな研究が必要である。……そうしてトニー・ロベール・フルリの資格とか……何とか呼んでいるところのものを知らねばならぬ。
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by bashkirtseff | 2010-07-28 08:04 | 1883(24歳)

1883.06.06(Wed)

 私は耳で打ち倒された。(何とうまい形容でしょう。)私は自分で良く耳にするこのころのことがまるで幸福な出来事ででもあるようだと言ったら、あなたはこの苦しみが分かって下さるでしょう。そういった胸中の恐ろしさを推察して下さい!
 実に神経が過敏になっている、極度まで! ──私の仕事も悩まされている。私は妄想の不安にいつもさいなまれながら描いている。私は無数の恐怖を想像する。想像が走る、走る、走る。私はあらゆる恥辱を忍んでいる。私はそんな目に遭うのを恐れながら、さまざまな侮辱を思い浮かべていた。
 私は描き続けながら、人が私のことについて何か言いそうなことを考えている。そうして時々びっくりして飛び上がり様、怒りたけった叫び声を発して、気違いみたいに庭の隅まで駆けていったりするほどの恐怖を思い付いたりする。
 ああ! これでは美しい絵が出来るはずだ! 冠水法でもしなければ治らないのかもしれない。そうして、今夜私は母に、大使館のことを考えてくれるように手紙を出そうとしている。そんなことでもしなかったら、私は気違いになってしまう。これは初期である。
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by bashkirtseff | 2010-07-27 07:46 | 1883(24歳)

1883.06.01(Fri)

 ポーズさせてある腕白どもに、私は気が狂うほど腹立たされる!
 私は親たちからぶちのめしてやっても良いという許しを得ている。で、今日、私はその1人を捕まえて荷づかみのように地上に打ち倒してやった。──腹が立ってたまらなかったので。
 それから? ……それきり。
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by bashkirtseff | 2010-07-27 07:44 | 1883(24歳)

1883.05.24(Thu)

 私は受賞していた! ようよう安心もすれば落ち着きもした。私は幸福だとは言わない。満足だとは言えるかも知れないが。……
 私は新聞でそれと知ったのである。あの人たちは手数でもちょっと手紙で知らせるというだけのこともしてくれなかった。
 まあ聞いてください。──私は「何事も心配しているようには、また望んでいるようにはならない」ということを信じています。

 私はどうなったのだろうかと思っていた。受賞したのだろうか、受賞しなかったのだろうかと。その結果がどうなのかを私は知っている。なぜと言うに、一昨日と昨夜は、私は受賞しないものと思い込んでいた。もし受賞しているとすれば、もちろん私はうれしいであろうし、それが……どんなであるだろうかも完全に想像することが出来る。では、どうなるだろう? どっちが不意打ちを食わせるだろう? どっちの場合にびっくりするだろう? ──受賞していないのに受賞していると思うのと、受賞しているのに受賞していないと思うのと?
 9時半に、私たちはサロンへ行く。そうして出掛けようとして門のところで、私におめでとうを言いに来たボジダルが、彼の父と連れだって晴れ晴れしい顔をして訪ねてきたのに出会う。──私たちはこの若者をも連れて行く。──で、私は会場について、私の絵を見る。私の絵は位置が変わって、チューリップを描いた大きな画布の上の方の、ずっと高いところに移されていた。そうしてその大きな画布というは、めちゃくちゃな色彩をぬたくって、9流どころのある画家の署名がしてあった。そのとき「表彰」の表記はイルマに貼られたのかもしれないという予感が可能性を帯びてきたので、私は走っていって見る。ない。
 私はとうとうパステルのところまで行って、そこで見いだす。
 私は一足にジュリアンの家まで行って、半時間以上口もきけなかった。──私は泣きだしそうだった。彼は非常に驚いていた。どうしたと言うのです! だって、サロンが開かれて以来、私の絵が出るようになって以来、パステルなんかもう問題ではなかった。それに彼は私が位置を移されて、なげしの上へ押し上げるかもしれないことも承知だったのだ。……
 要するに、他の部門に属するものにもなされたにせよ、受賞は、こうした昇天をもかばってくれているものらしい! 彼は、コットと、ルフェーヴルと、トニーとに至急便を出して、説き伏せてやろうというだけの同情にはあふれているように私には見える。と言って、それもかなり遅まきな話ではある。
 パステルに褒状、愚なことである。それもまあ良い! しかし私の絵を天井に祭り上げるとは! 私は自分の部屋で1人きりになってこの日記を書きながら、それを思うと泣かされている。
 パステルに褒状、それはごまかしであり、愚鈍であり、苦悶である。しかし絵の位置を変えるというに至っては……
 神も照覧あれ、また正直な人たちをすべて証人に立てて言う。昨年は、私のにはるか及ばないようなものに第2等賞牌が与えられた。そうして今年もやっぱりそうだと、誰でも、あなたにそう言うでしょう。私が腹を立てるのも無理はないと思ってくれるでしょう。
 それほどの不信を、それほどの術数を、私は許せない!
 私にはあの選者の台所なるものが分からない。
 屈辱だ。いつになったら私もほかの人たちのように無節操になれ、腹も立たなくなるだろう?
 要するに、私は真実の才能がひとりでに現れることをば認める。妥協、しかしそれも最初に波に乗る場合には必要だろう。
 バスティアン・ルパージュですら最初のうちはその師ムッシュ・カバネルに支持されていた。
もし弟子に望みがあると見たら、師たる者は彼の頭をしばらくは水上に支えていてやるべきである。もし彼が浮かべるようになれば、彼は何者かであろう。でなかったら、駄目である。おお! 私はついにはやり遂げて見せよう。
 ただ立ち遅れたというばかりだ。と言って、私の過ちからではない。
 一種の優越を利用しないということが不正のごとく私を腹立たせている!

 ボジダルとヂナと事務所へ抗議を申し込みに行った。結局は無益だったけれども。──それでボジダルは問題の掲示を引きはがして、「表彰」と書いてある張り札を私のところへ持ってきた。私は早速それをココのしっぽに結びつけてやると、ココはびっくりして動こうともしなかった。──要するに、私は心慰まず、腹立たしく、不幸せである。天井へ上げられた絵を考えると、断腸の思いがする。でも私の絶望は、私を取り巻いている人たちにとっては、面白い見ものだった。私はいつも見せ物になっている。そうして泣きたいような心持ちになってくると、私はばかなことばかり言ってしまう。他人を退屈させまいと思ったら、いつも慰みものになり、新奇なものにならねばならぬ。……私がそうだと世間は言うかも知れない。私はそうありたいと思っているから。……
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by bashkirtseff | 2010-07-26 08:01 | 1883(24歳)

1883.05.22(Tue)

 私は7時半まで仕事をする。物音がするたびに、鈴が鳴るたびに、ココがほえるたびに、私の魂はかかとへ行ってしまう。この表現はいかにも正しい! こうした表現法はロシアにもある。──夜の9時になっても何の音沙汰もない。──それでさまざまの感懐! もし私が何にも取れていないとすれば、実にがっかりしてしまう。──皆がアトリエであのように言っていたのに。そうしてジュリアンも、またルフェーヴルも、またトニーも、彼らの間では、異口同音に、私が賞品を取らないなぞとはあり得べからざることだと言っていたのに。──そうだとすると、全く親切な仕打ちとは言えない。電報を打ってくれても良さそうなものだのに。良い知らせは早く聞こえない。
 もし……もし私が何らかの賞を得ているとすれば、今ごろは知れているはずだ。それに?
 それを思うと少し頭が痛くなる。
 さらばと言って、これがそれほど重大事だというのではない。でも、あんなにまで言われていたのに……それに、不確かでいるのは何につけても嫌なことだ。
 だから心臓が動悸打ち、動悸打つ。……みすぼらしい人生! すべては何物でもない。……と言うのはなぜか? 要するに死に到達するためだから!
 マダム・X…は残酷な苦しみを続けた後で、涙に暮れた家族に取り巻かれて亡くなった。ムッシュ・Z…は××にある自分の屋敷で急に亡くなった。このようなはかない最期をどうして予想することが出来たろう。……さらに言えば、マダム・Y…は、家族の優しい看護のかいもなく亡くなった。彼女は99歳だった。……
 そうして何者もこの死から逃れられない! ……そうして銘々がこのようにして終わりを告げてしまう。
 終わりを告げる! もうそれっきりになって終わりを告げる。そこに恐怖がある。永遠に生きるに足りるだけの天才を持ちたい。……でなかったら、熱病にかかったような手で、さまざまな愚にもつかぬことを書くことだ。あんなみすぼらしい表彰の沙汰すらこんなに待たれるのだから。
 一通の手紙が届いたので、私の心臓は止まってしまった。それは胴囲の注文についてのドウセからの手紙だった。
 私は鎮静剤として、少量のアヘンのシロップをまた飲もう。こうした動揺を見たら、私は自分の聖女たちを夢見ているところだと人は言うかも知れない。その絵は輪郭だけ出来た。私はそれの制作にかかっていたり、または制作のことを考えたりしていると、ちょうど今夜のような状態になってしまう。
 何事でもひたすらに没頭するのは不可能である! ……
 9時15分だ。──慎重なジュリアンがあれほどまでに言い切っていたのに、通達が来ないとはあり得べからざることだ! ……と言って、この沈黙?
 これは足をやられたようなものだ。ちょうど体中へ燃え広がってきて、やがてはほほまでも焼けただれてしまう炎みたようのものだ。……私は悪い夢を見ている。……
 9時が29分過ぎたばかりだ。
 ジュリアンは来るつもりでいるのかも知れない。彼が来るのだとすれば、彼は6時ころには知ったろうから、晩さんを共にするように来るであろう。しかるに、何の音沙汰もない?
 私は駄目だったと信じだした。とは言っても、そんなはずではなかった。しかし今となっては、かなりそんなはずだったというわけになる。
 私は馬車の気配をうかがっている。どれも皆通り過ぎてしまう。……おお! 今となってはもうあまりに遅い。
 絵には名誉賞はない。彫刻では、それを得たのはダルウのみである。
 それが私にとって何だ?
 私だったら名誉賞はバスティアンに与えたかも知れない? 否。彼はあの「村の恋」以上のものを描きうる。従って彼はそれに値しない。彼の崇高な「ジャンヌ・ダルク」へなら名誉賞を与えられたかも知れない。その背景は3年越し私を嫌がらせているけれども。
 あれなら私はいま一度見ても良い。
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by bashkirtseff | 2010-07-24 08:05 | 1883(24歳)

1883.05.20(Sun)

 母が木曜から金曜へかけての夜中に着いた。私たちは土曜に電報を受け取った。その電報で、彼女は父上の健康のおぼつかないことを知らせてよこした。今日は、父上の部屋付きの従僕から危篤を知らせてよこした。
 父上は非常に苦しんでいるという。母が間に合ったのは何よりだった。
 3日にわたって、受賞者を決めるため、明日はサロンが閉ざされる。木曜から再開。
 私は誰か私の床の上にひつぎを置いた夢を見た。そうしてその中には1人の少女がいるのだと言っていた。そうしてそれが夜で、燐火みたいに輝いていた。……
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by bashkirtseff | 2010-07-24 08:01 | 1883(24歳)