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1883.03.30(Fri)

 今日私は6時まで仕事をした。6時にはまだ日の光があったので。バルコンの戸を開けると教会の鐘が聞こえた。そうしてたて琴を弾きながら春の空気を吸った。
 私は落ち着いている。私は良く仕事が出来る。それから体を洗って白い着物を着た。私は音楽を少しして、今書き物をしている。静かで、満足で、部屋の中は私の手によって満足に整頓されて、何でも手の届くところに並んでいる。こんな風に生活していくことは好ましいことである。……幸運を待ちながら。そうしてもしそれが実現されるならば、私は1年のうち2月はそのために犠牲にしようと思う。そうして残りの10カ月は部屋に閉じこもって仕事をしようと思う。……その上、問題の2カ月を得ることが唯一の方法である。私を苦しめるものは、私は結婚しなければならないだろうということである。結婚すれば私は今逃れることの出来ないこの虚栄の卑しい不安はなくなるであろう。
 なぜ、彼女は結婚しないのだろう? ──私は25に見えるという人がある。──私は腹立たしくなる。──1度結婚したら、……そうだ、でも誰と? もし以前のように健康になれたら、……しかし、その人は親切で優しい人でなければならぬ。私を愛する人でなければならぬ。なぜと言うに、私は全く構ってくれない人と結婚するほど金持ちではないから。
 このことにおいて、私は自分の心をまるで考えていない。人はすべてのものを先見することは出来ない。そうしてそれは……おそらく、そんなことにはならないであろう。……私は今こんな手紙を受け取った。

 バレエ・デ・シャンゼリゼ、美術展覧会、フランス芸術家協会にて。
 マドモアゼル、
 私は今審査員室のこの机で書いています。あなたのパステルの首は審査会で実際に成功しました。私はあなたに祝意を表します。あなたの絵が非常に良く受け入れられたことは別に言う必要はありません。
 今年はあなたにとっては真の成功です。私はそれを喜んでいます。
              敬意ある友情をもって
                   トニー・ロベール・フルリ。

 本当かしら? ああ! ああ! それから? ……手紙はここにピンで留めておこう。これから数日私はこれを人に見せる必要があるだろう。あなたは私が喜んで気違いになると思いますか? 私は非常に落ち着いています。もちろん私は大きな喜びを経験する資格はありません。こんなうれしい知らせが届いたときでも、私は何もかも当然に思われるような心持ちになっていましたから。そうして彼らの方から私に知らせてくれるのであるから、それはすべての価値を失う。もし私がブレスロオかあるいは他の娘へこんな手紙が行ったことを知ったなら、私は特別にもだえるでしょう。それは私が自分の得られないものにのみ価値を置くというわけではなくて、それは特別の控えめからである。私には信念がない。もし私がそれを今のままに信じたならば、私はあまりに満足していたであろう。それ故に、私は「そんなことはあり得ない、それはあまりに良すぎるから」と心配する人のように用心深くなっている。……私はあまりに早くうれしがることを恐れている。……そうしてささいなことに関しても。要するに、……
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by bashkirtseff | 2010-06-30 08:04 | 1883(24歳)

1883.03.27(Tue)

 私は「オデュッセイア(底本:「オヂセエ」)」を今まで見ていた。ホメーロス(底本:「オメエル」)は私の想像していたようにあの場を書いていない。それは前の事件の論理的な避け難い結論として来るのに相違ない。けれどもホメーロスはそう書いていない。しかしオデュッセウスがナウシカアーに会ったときの、称賛と感動に満ちた話は、彼女を刺激したに相違ない。その他のことをば彼女は連れの者に話している。
 彼女は彼を神と間違えた。そうして彼は同じ礼儀を返した。……それがそのときの事情である。
 私はいま一度ユリスの言葉を読んでみようと思う。彼が若いファアシアの娘たちの前に裸体で現れたときに、彼らは皆逃げ出したが、ナウシカアーだけは残った。
「こんな勇気のあるのはミネルヴァ(知恵と戦いの女神)に違いない。その老いたる、しかしまだ美しかった戦略家は着物と保護と望んだ。そうして彼はナウシカアーをディアナ(狩りの女神)に例えた。従って彼女は背が高くてきゃしゃで、ほっそりしていたに相違ない。──そうして彼女の目は彼女のような人を見たことがなかったと彼は言った。──そのとき彼は彼女をまたシュロの木の幹に例えた。そのシュロの木というのは彼が大勢の供を従えて旅行したとき、デロスのアポロンの殿堂のほとりで見て、驚いてものの言えなかった木である。そうしてその旅行が彼の最大の不幸の原因であった。
 そんな風に彼はわずかのことに最も美しい褒め言葉を彼女の上に注ぎかけ、自分を詩的な、荘厳なまた不幸な元となるべきもっとも強い興味の光の中に現した。彼は神々の罰を受けたように思われた。
 私の考えでは、この若い娘は、知恵と美しさで神にも等しいほどであったけれども、法外の感情を起こしてはならないということは不可能であった。ことに今までの、空想によって鋳込まれた心の型の中に入っていた場合においては。
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by bashkirtseff | 2010-06-29 08:17 | 1883(24歳)

1883.03.25(Sun)

 昨日2時から私は不安に打たれている。それは説明すればすぐ分かることである。
 ヴィルヴィエルが来て私にサロンのことを聞いて、と言った。──いいえ。──まあ! 何にもご存じないの? ──ええ。──あなたは合格なさったのよ。──私は何にも知らなかったわ。──そうでしょうとも、やっとC(セエ)まで行ったところですもの。──これがすべてである。私はペンを持っていられないほどである。私の手は震えている。──私は全く気抜けがしたような気持ちである。
 その次にアリスが入って来て私に言った、「あなた合格なさってよ!」
 ──合格? 何番で?
 ──それはまだ分からないわ。
 私はもちろん合格することを疑っていなかった。
 それに対して母も叔母もその他すべての人が皆心配しているのが私には煩わしくてならない。私は努力して平静と同じような態度を取って、人々に会っていた。
 ムッシュ・ラボルトが来たけれども、私は着替えをしていた。
 私は40人に使いを出した。そうして5分後にはジュリアンから、手紙を受け取った。それをここに写しておく。
「おお、無邪気よ。おお、崇高なる無知よ。私は今あなたに気散じをさせてあげようと思います。少なくとも3等で合格するでしょう。なぜと言うに、ある人は2等にしようと言ったそうですから。そうして今あなたは勝利者です。おめでとう。」
 私は喜ばなかったけれども、少なくとも落ち着きは出来た。
 私は屈辱的な不安の24時間もたった後では1番になっても、うれしかったとは思わない。喜びは苦しみより鋭いと言われている。私はそうではない。困難と不安と苦しみが私を全く台無しにしてしまった。
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by bashkirtseff | 2010-06-28 08:08 | 1883(24歳)

1883.03.22(Thu)

 昨日私は粘土で作った小さい像を拡大するための骨組みを組み立てるのに2人の専門家を呼んだ。そうして今日は下図を描いてこしらえようと思う動作をそれに与えた。……非常に気に入った。神聖な婦人たちの絵を、この夏はどうしても描きたい。そうして彫像においての私の大なる望みは、アリアアヌ(テセウスを恋して、やがて捨てられた女)を作ることである。それまで私はこの女を作ろうと思う。この女は真っすぐに立った形をしている。絵の中の今1人のマリアも真っすぐに立っているけれども、彫像においては、着物がないのと、若い女を選ぶので、それは愛すべきナウシカアー(漂着したオデュッセウス(底本:「ユリス」)を助けた若き王女/底本:「ノオシカア」)になりそうだ。彼女は両手の間に頭をうずめて泣いている。その姿勢には実際のあきらめがある。非常に完全な、非常に若い、非常に誠実な、非常に悲痛な絶望がある。だから私は気に入ったのである。
 ファアシア人の王の娘なるナウシカアーは古代のもっとも愛すべき1人である。2流の人物ではあるが、しかし魅力に富んだ興味ある人物である。
 私は老いたるペーネロペー(オデュッセウスの妻)の首を絞めても、オデュッセウスをして、彼女の父の宮殿の赤い大理石の円柱にもたれかかり、その冒険談を聞きながら恋に落ちたるかの理想の娘(ナウシカアー)と結婚させたかったというオウィダの意見に全然同意である。1つの言葉すら2人の間には交わされなかった。彼は別れて行った。彼の国と彼の仕事へ向かって。ナウシカアーは岸に取り残されて、大きな帆の消えていくのを眺めていた。そうしてすべてが青い水平線に消えうせてしまったとき、彼女はその頭を両手の中にうずめて、その指で顔の上と髪の中に当てて、自分の美をば顧みないで、肩をそびやかして、胸を両手で押し付けて泣いた。
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by bashkirtseff | 2010-06-28 08:08 | 1883(24歳)

1883.03.15(Thu)

 さて、いよいよ済んだ。3時にはまだ描いていたけれども。皆が来たので、私は何もかもよさねばならなかった。──マダムとマドモアゼル・カンロベエル、アリス、ボジダアル、アレクシス、公爵夫人、アブマ、マダム・カンシイヌ! それからトニー・R・Fは午前中に来た。この連中は皆村の恋の絵を見にバスティアンのところへ行った。──果樹園に1人の若い娘が後ろ向きになって頭を垂れて片手に花を持っている。彼女は垣根に寄っ掛かっている。垣根のこちら側には若い男が前面を見せてその目を下げて自分の指を曲げながら眺めている。それは染み渡るような詩であり、また細やかな感情である。
 仕上げといったようなものについては、そこには何にもない。それは自然そのものである。マダム・ドルエの1つの小さい肖像がある。──ヴィクトル・ユーゴーの老いたる天使のごとき番人がある。──それは真理、感情、類似の1つの奇跡である。それらの絵は離れて見ても互いに類似してはいない。それらはあなたの目の前を通り過ぎる生きた人間である。彼は画家ではない。彼は詩人である。心理研究者である。哲学者である。創造者である。
 隅の方にある彼自らの肖像は1つの傑作である。それはしかし彼の全力を注いではいない。というのは人はこれ以上のものは出来ないが、私たちは彼に対して大作を期待する。すなわち何人も彼の天才を拒むことが出来ないような高さに到達することを期待しているからである。
 後ろから見た娘の弁髪を2つ足らして手に花を持っているところは、1つの詩である。
 何人もまだバスティアンのごとく生活の現実の中に突き進んだものはなかった。何物もこれ以上に称賛すべき人間的なものはない。自然的な大きさは彼の絵の真実をさらに有力にしている。あなたは彼と比較するために何人をあげようと思いますか? イタリア人ですか? あの宗教的なまた習俗的な題目の絵を描くイタリア人ですか? その中には崇高なものもあります。けれども決まって機械的であります。そうしてまた……その絵はあなたの心、魂、気分を動かしません。それではエスパアニュ人ですか? 輝いていて、かつ魅力に富んではいる。それともフランス人ですか? 輝いて、戯曲的で、またアカデミックなフランス人ですか?
 ミレーとブルトンは言うまでもなく詩人である。けれども、バスティアンは同時にすべてのものである。彼はすべてのものの王である。単に彼の奇跡的な仕上げによってのみならず、また彼の強い感情の深さによって。観察をこれ以上押し進めることは不可能である。そうして観察の才は、バルザックが言ったごとく、人間の天才のほとんどすべてである。私は今床に座って、寝床に入る前にこれを書いている。私は何もかも話さねばならないように感じていた。
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by bashkirtseff | 2010-06-25 08:11 | 1883(24歳)

1883.03.14(Wed)

 ジュリアンがとうとう絵を見に来た。私は彼に頼まなかった。ただお互いになじり合いの手紙の交換があったきりである。しかし彼は非難しようとし、私はひそかに誇りを感じている。
 彼は絵を非常に良いと思っている。
 私は彼を昼飯に呼んだ。──ムッシュ・グレヴィのように。
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by bashkirtseff | 2010-06-24 08:03 | 1883(24歳)

1883.03.03(Sat)

 トニーが絵を見に来てくれた。彼は非常に満足した。頭の1つが特別によかった。
「あなたはこれまでこんなによく描いたことはなかった。非常に柔らかくてよい調子です、実際良く行きました。ブラヴォ! マドモアゼル。」そんな風に長いこと話した。ついに非常にうまくいった。私はそれを信じることが出来ない。着物がまだ残っている。それからまた小さい方の子どもの頭を塗り直したいと思う。それは悪くはないけれども今1つの子どもほどよくない。彼はそれを実際良いと思っているらしい。が、彼は満足してはいない。それが私を十分に喜ばせない。以前ならば私は終日跳ね回ったであろうに。
 それならなぜ私は喜ばないのか? それは彼がこれまでこれほど多く言わなかったからである。私は彼がお世辞を言っていると疑うのではない。おお! 否。私はもう少しよく描けたかも知れなかった。ただそう思われて仕方がない。それで私は第2の形で成功してみようと思う。
 彼は満足している。それは明白である。私は彼がほかの人に何と言ったかを知りたいと思う。
 それは比較的に非常に良いというのか、私としては非常に良いというのか、あるいは実際に良いのであるか? 私はそれ以上、さらによりよく見る。私はもう一度それを繰り返したい。……私はもう少し良く描くことが出来る。……それで?
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by bashkirtseff | 2010-06-24 08:03 | 1883(24歳)

1883.02.28(Wed)

 絵は明日仕上げになるだろう。私はそれに19日かかった。もし子どもの1人を塗り直さなかったなら、それは15日で出来上がったはずである。けれどもその子どもが年を取りすぎているように見えた。
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by bashkirtseff | 2010-06-23 08:12 | 1883(24歳)

1883.02.27(Tue)

 要するに華やかな日が続いた。私は歌い、私は話し、私は笑う。そうしてバスティアン・ルパージュが歌の最後の繰り返し句のように戻ってくる。体でもなければ、姿でもなければ、また才能でもない。ただ彼の名前が。……けれども私は恐れに打たれている。……私の絵は彼に似ているだろうか?彼は近ごろ男の子と女の子を大勢描いた。──有名な Pas-mécheがその中にある。それより美しいものを誰が見ることが出来よう?
 さて私について言えば、2人の男の子が手をつないで歩道を歩いている。年上の方は7歳で、ぼんやりと前の方を見ている。唇に1枚の葉をくわえて。そうして年下の方の子どもは見物人の方を見ながら片手を4歳の子どものズボンの隠しに入れている。私は何を考えてよいか分からない。なぜと言うに私は今夜また喜ばしくてならないから。それは本当に恐ろしいことである!
 けれども今夜は、今夜は、限りなくうれしい晩である。何が? とあなたは聞くでしょう──サン・マルソオかバスティアン・ルパージュが来たのか? ──否、そうではないが、私の彫像の下絵が出来たからである。
 あなたはよく聞いて下さい。私は3月15日が過ぎたら、1つの彫像を作ろうと思っている。私はこれまで2つの群像と2つ3つの胸像の型を作りかけて皆仕上げないでおいた。……なぜと言うに1人きりで誰も教えてくれる人がないから、自分で心を打ちはめてするほどに興味のある仕事に達することが出来ない。──単なるアトリエの習作さえも出来ない。
 1つの形を考えてそれを、仕上げるべき無限の欲望を持つこと、それである。
 それはうまくいかないかも知れない。それがどうしたと言うのだろう? 私は生まれながらの彫刻家である。私は形を崇拝するまでに好んでいる。色は形ほど多くの力を与え得ない。そのくせ私は色に対して気違いのようになっているけれども。しかし形は! 美しい運動、美しい姿勢。あなたはその周りを歩き回る。輪郭が同じ意味を持ちながら変化する。
 幸福! 喜び!
 私の形は両手に頭を隠して立って泣いている1人の女である。あなたは人が泣くときの肩の運動を知っているでしょう。
 私はその前にひざまずきたいと思った。私は千のつまらないことを言った。下絵は30センチの高さである。しかし彫像は等身大にするつもりである。それは善意に対する1つの挑戦であるだろう。……本当に、なぜだろう?
 さて私はこの小さいもろい像を包むために白麻上布(バチスト)のきれいな胸衣を引き裂いた。私は自分の皮膚よりもこの土くれの方が大事である。
 そうして次に私は良い目を持っていない。もし私が絵を描くに足りるほどのものを見ることが出来なくなったら、次は塑像を作ろうと思う。
 それは非常にきれいであろう。この白い麻と、それを透かして見えるふっくりした形と、私は丁寧にそれを包んだ。美しいしなやかさである、高尚である!
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by bashkirtseff | 2010-06-23 08:12 | 1883(24歳)

1883.02.25(Sun)

 恐ろしいことではある。なぜと言うに、私はよいことをしたと思っているから。しばらくの間私は1人で喜んでいた。それが私を追求する恐怖の感じを引き起こしたのである。今それが甚だ良くないとすれば、それは二重に悲惨なことであるだろう。
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by bashkirtseff | 2010-06-22 08:06 | 1883(24歳)