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1882.01.13(Fri)

 コクラン兄弟は見事であった。客間は美しい光景を呈した。きれいな女たちがたくさん来ていたから。──第1に、魅力ある trio〔3人組〕が来ていた。すなわちジャンヴィエ・ド・ラ・モットの娘なる公爵夫人ド・ルヴェルソオと、マダム・トウヴヌルと、及びマダム・ド・ジョリ。それから公爵夫人ド・ケスレル。……彼らは皆ほとんど優劣のない美人である。要するに、トニーの言ったように、皆「似合わしいお客様」であった。トニーはジュリアンと同じようにこの席へ来なかった。マダム・Gは非常に喜んで、最後に伯爵プラテとワルツを踊った。
 初めに正餐(せいさん)が出た。
 芸術家の方では、バスティアン・ルパージュの弟の方がやはり見えなかったので、彼も来なかった。(木曜日に私たちは本当のバスティアン・ルパージュを訪ねることになっている。)来た中ではジョルジュ・ベルトランがあった。彼は去年見事な De Drapeau〔軍旗〕を出品した。私は手紙にそのことを書いた。すると彼は丁重な返事をよこした。私は招待状にポオリイヌ・オレル(サロンに出品したときの仮名)と署名した。彼を私に紹介したのはポラックであった。喜ばしいことに、彼は私にお世辞をたくさん言ってくれた。私は自分の習作を見せないようにしまってあったけれども、ヂナがそれを持ち出したのである。カリエ・ベリュウス(彫刻家)は宵の間は私の目には気力を失って見えたが、夜が更けてから Gloriae Cupido〔光栄のどん欲〕の表題の残酷を主張するときには、だいぶ気が和らいで、感傷的になっていた。
 その青年は恋をしそうな人である。あるいはすでにしているのかも知れない。彼は明らかに Gloriae Cupido を見ている。──そうしてほかには、何にも見ていない。
 3時に晩さんが出た。ガブリエルが私の右に座って、その他ほとんど60人ほどいた。ニニは美しく、見事な肩をしていた。そうしてきれいな着物を着ていた。ヂナも母様も叔母も皆きれいな着物を着ていた。私はドウセエと私とで一緒に作ったほとんどグルーズ(底本:「グリユウズ」)の「壊れた甕(かめ)」の写しともいったような上衣を着て、巻き毛をうなじの上のたぶさに小さく付けて、ベンガルのバラの長い鎖がはかまのひだの間に隠れたり花びらを見せたりした。はかまは短い、ひだの狭い、絹モスリンで、見事な繻子(しゅす)の胸囲は前に広いレースが付いて、腰にひだがあって、先が細くなっていないで、飾りが斜めに付いている。下ばかまはモスリンで、繻子のへりが付いて、前が開いて、後ろにひも穴があってかごのように膨らんで、その中にバラを入れた。私は美しく見えた。ポオテエンの嫌な助手は私を踊らせまいとして影のように付きまとった。 コクラン兄弟は見事であった。客間は美しい光景を呈した。きれいな女たちがたくさん来ていたから。──第1に、魅力ある trio〔3人組〕が来ていた。すなわちジャンヴィエ・ド・ラ・モットの娘なる公爵夫人ド・ルヴェルソオと、マダム・トウヴヌルと、及びマダム・ド・ジョリ。それから公爵夫人ド・ケスレル。……彼らは皆ほとんど優劣のない美人である。要するに、トニーの言ったように、皆「似合わしいお客様」であった。トニーはジュリアンと同じようにこの席へ来なかった。マダム・Gは非常に喜んで、最後に伯爵プラテとワルツを踊った。
 初めに正餐(せいさん)が出た。
 芸術家の方では、バスティアン・ルパージュの弟の方がやはり見えなかったので、彼も来なかった。(木曜日に私たちは本当のバスティアン・ルパージュを訪ねることになっている。)来た中ではジョルジュ・ベルトランがあった。彼は去年見事な De Drapeau〔軍旗〕を出品した。私は手紙にそのことを書いた。すると彼は丁重な返事をよこした。私は招待状にポオリイヌ・オレル(サロンに出品したときの仮名)と署名した。彼を私に紹介したのはポラックであった。喜ばしいことに、彼は私にお世辞をたくさん言ってくれた。私は自分の習作を見せないようにしまってあったけれども、ヂナがそれを持ち出したのである。カリエ・ベリュウス(彫刻家)は宵の間は私の目には気力を失って見えたが、夜が更けてから Gloriae Cupido〔光栄のどん欲〕の表題の残酷を主張するときには、だいぶ気が和らいで、感傷的になっていた。
 その青年は恋をしそうな人である。あるいはすでにしているのかも知れない。彼は明らかに Gloriae Cupido を見ている。──そうしてほかには、何にも見ていない。
 3時に晩さんが出た。ガブリエルが私の右に座って、その他ほとんど60人ほどいた。ニニは美しく、見事な肩をしていた。そうしてきれいな着物を着ていた。ヂナも母様も叔母も皆きれいな着物を着ていた。私はドウセエと私とで一緒に作ったほとんどグルーズ(底本:「グリユウズ」)の「壊れた甕(かめ)」の写しともいったような上衣を着て、巻き毛をうなじの上のたぶさに小さく付けて、ベンガルのバラの長い鎖がはかまのひだの間に隠れたり花びらを見せたりした。はかまは短い、ひだの狭い、絹モスリンで、見事な繻子(しゅす)の胸囲は前に広いレースが付いて、腰にひだがあって、先が細くなっていないで、飾りが斜めに付いている。下ばかまはモスリンで、繻子のへりが付いて、前が開いて、後ろにひも穴があってかごのように膨らんで、その中にバラを入れた。私は美しく見えた。ポオテエンの嫌な助手は私を踊らせまいとして影のように付きまとった。
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by bashkirtseff | 2010-03-31 07:59 | 1882(23歳)

1882.01.11(Wed)

 明日の晩は私たちの大みそかである。その準備は1週間前からされている。250枚以上の招待状が発せられた。なぜと言うに、私たちの友達の中にそれを望んでいる人が非常に多いから。まだ1人も招待されたことがなかったから、これは全く大事件である。有名な人たちも来ることだろうと私は思っている。要するに、面白いことである。エタンセルは「フィガロ」に文章を載せて、マドモアゼル・マリ(美人で、芸術家で、うんぬん)を褒めたたえた賛辞を連ねている。エタンセルはかわいい女である。そんなことを言わなくっても、私は彼女をあんな醜い人たちの中では、一番かわいい女と思っていた。彼女は50人の女たちよりも誘惑的である。彼女にはパリの純粋な極印が付いていて、有名になる相が現れている。──私の言ってることをよく覚えていて下さい。これは真実のことですから。──すべての有名な人たちは、男であろうと、女であろうと、年取っていようと、若かろうと、皆その声にもある特徴があり、顔にも共通の特長がある。それを私は有名な人たちの家族的類似と呼びたい。
 私たちのところへは2人のコクラン(当時有名な喜劇役者、兄弟共に一流であった)が来るはずである。年長のコクランは、レオンの友人であるが、昨日客間を見に来て用意をした。Gもそこにいたが、彼はその鑑賞家の風が私を悩ました。いま少しで彼はコクランにさえ忠告を与えるところであった。コクランは非常に愛想の良い人で、有名な人たちの前で感じるような窮屈を人に与えなかった。
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by bashkirtseff | 2010-03-30 07:59 | 1882(23歳)

1882.01.06(Fri)

 芸術はそのもっとも低級な信者たちに対しても心を高め、神聖な同胞でない人たちに対しても、ある程度まで高尚な感情を与える。
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by bashkirtseff | 2010-03-29 07:47 | 1882(23歳)

1882.01.04(Wed)

 ジュリアンは今夜私たちがトニーを好いて、トニーも私たちが好きであることに対して、私に冷やかしを言った。夜が更けて私たちはショコラを飲んだ。ヂナは非常に愛想が良かった。……その他については、人は皆鑑賞家に対して自分の美を維持していなければならぬことを私は理解した。
 私はいつも芸術家に対して特別の注意を持って服装を選ぶ。いつも別々の注意をはらって。──長い上衣を着たり、垂れた毛織物を着たりして。社交界に出ると、私の体は十分にすらりとしているとは言われないだろうし、着物も十分時好に合ったとは言われない。だから私のかわいらしい空想は、社交界に対してはあまりに法外に失するので、美術の大家に対してのみ役立つであろう。……私はいつも卓越した人たちだけで客間を満たしたいと思っている。……
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by bashkirtseff | 2010-03-29 07:46 | 1882(23歳)

1882.01.02(Mon)

 私の今の大きな情熱は、私の絵である。私は「私の芸術」とは言わない。芸術を(またその向上心及び興奮を)論じるには名をなしていなければならぬ。そうでないとこっけいな素人のように思われる。またそうすることには、……不作法なある物があって、それが私の性質の中のより良き感情を傷つける。……要するに、1つの誤った羞恥心である。
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by bashkirtseff | 2010-03-27 08:00 | 1882(23歳)

1881.12.30(Fri)

 終日皆がけんかばかりしていた。
 最後に私は心の平静を取り戻すためにトニーのところへ行って、ポオルの妻の肖像を見せた。彼は取り扱い方が非常に独創的で、良くいってると言った。同情家のフルリは、私の健康が回復したのを見て大層喜んで、しばらく快活に話をした後で、甚だまじめな美術上の問題に話が移り、ことにブレスロオのことを論じた。……「あの人は確かに才能があります。」彼は言った。「才能が豊富です。」
 ああ! 私の感情をここに説明することはとても不可能である! この火とこの熱を……おお! 私は昼も夜も、いつも、いつも、絶え間なく仕事をして、何か良いものを描き上げたい!!! 実際、彼は私に、いつでもやろうと思えばブレスロオと同じくらいの絵は出来るはずだと言ってくれた。実際、彼は私がブレスロオと同じ才能があると思っている。けれども私は泣きたくなる。死にたくなる。どこへでも良いから行ってしまいたくなる。……しかし、本当に行けるだろうか? ああ! トニーは私を信じている。けれども私は自分を信じていない。……私は何か良いものが描きたいと思って精力を消耗した。そうして自分で良く自分の無能が分かっている。……もう私はよそう。──あなたは私の書いてることを文字通りにとって、私が本当に無能だと思うかも知れません。……実際は私は逆に取ってもらえるつもりで言ったのです。
 ああ! 主よ、私が今これを書きながら、どう書いたらばこの苦しみが表せるだろうかと考えている間に、私ほど愚かでないブレスロオはずんずんと絵を描いていることだろうと思われます。
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by bashkirtseff | 2010-03-27 07:58 | 1881(22歳)

1881.12.29(Thu)

 もう8日間何にも書かないでいる。これは私の光栄ある生活が、少しばかりの仕事と社交のために費やされたということをあなたに示すものであります。別に何にも変わったことはない。けれども私は良くなったら外へ出られる。土曜日に新調の着物を着てみたり、母様とヂナと一緒に馬車でボアへ行ったり、ジュリアンを訪ねたりした。そうして日曜日は教会へ行った。それは優しいベルタが皆に言うように、私が今にも息を引き取るということを言われたくないからであった。
 反対に私はだんだんと元気づいてきた。10日前まではやせ細っていた腕も丸みが付いてきた。これは病気以前よりも良くなっていくことを意味するのである。
 もしこんな風でもう10日も進んだら、私は太るのをやめねばならぬ。私は3年前のような大きな腰を持ちたくはないから、これは当然のことである。ジュリアンが昨夜訪ねてきて、私の体がずっと良くなったと言った。私たちは笑ってばかりいた。私はポオルの妻の肖像を描いている。昨日なぞはヂナも、ニニも、イルマも、皆一緒に描きたいと思ったくらい元気があった。──イルマは普通のモデルではない。──今では少なくなった grisette〔フランスの下級の快活な若い娘〕の典型である。彼女はおどけもので、感傷的で、奇体に純朴の声を持っている。──「あなたはいつから cocotte〔浮気な女〕になったの……」とこの間私が聞いてみた。──「おお! まあ、」彼女は答えた。「私そんな結構な身分じゃございませんもの!」彼女は気の利いた座り方をする。彼女は恐ろしいその青白さに対して、あらゆる手だてを尽くす。なぜと言うに、無邪気な若い娘と間違えられるかも知れないから。
 彼女はもう用事はないけれども、居残っていたいと言って、暖炉の前で編み物をしながら午後を過ごした。
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by bashkirtseff | 2010-03-26 07:54 | 1881(22歳)

1881.12.21(Wed)

 今日私は外出した! おお! 毛皮にくるまって、窓ガラスを締め切って、足の熊の皮をかけて。ポオテエンは風さえなかったら外出しても良いと言った。私は適当な用心をした。天気は立派であった。──しかし用心はどうだっただろう!
 しかしそんなことはもう問題ではない。問題は自分の餌を追っ掛けて逃がさないブレスロオである。私のサロンの絵は駄目になった。この夏は彼女の絵と並べて私は何を示せるのだろう?
 あの娘は1つの力である。私の認める人はあの人だけではない。けれども私たち2人は、同じ巣とは言わないまでも、同じかごの鳥である。私は彼女の才能を初めから認めていた。そのころはまだ絵のことは何にも分かっていなかったけれども。私は自分がきらいである。私は自分に才能があるとは思わない。なぜジュリアンとトニーはあんなことを言うのだか私には分からない。私は何物でもない。私は自分の生活機能の中に何物も持っていない。(おお、ゾラ!)ブレスロオに比べると、私は薄い壊れやすいボール紙の箱が、頑丈な派手な彫刻したカシの箱に比較されたような気持ちがする。私は自分に対して絶望しているが、もし先生たちのこのことを話したら、彼らも結局は同じ結論に到達するだろうと思っている。
 しかしそれはそれとして、私はどこまでも目をつぶって、両手を差し伸ばして、進もうと思っている。例えば、奈落に投げ落とされようとしている人のごとくに。
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by bashkirtseff | 2010-03-25 07:50 | 1881(22歳)

1881.12.18(Sun)

 ジュリアンと tete-a-tete〔差し向かい〕で、私はありたけの不平を言った。彼は毎日興味をひいた物を絵にしてみてはと言って、私を慰めようとした。──私の興味をひく物とは何だろう? ──今のような私の境涯で何が私の興味をひくと思いますか? ブレスロオは貧乏ではあるけれども、立派な芸術的の空気の中に生きている。マリアの周囲の友達は音楽的である。セッピは下等ではあるけれども、独創的なところがある。それからサラ・ブルウセは、美術家でかつ哲学者だから、カント主義を論じたり、人生を論じたり、le moi〔自我〕を論じたり、死を論じたりして、人に自分というものを回想せしめたり、自分の読んだり聞いたりしたことを、強く印象させたりする。この人たちが皆ブレスロオを助けている。──彼女の住まっているあの Les Ternes で。しかるに私たちの住まっている町はあまりに清潔で、あまりに整っていて、ぼろを着た人間も見られなければ、刈り込まれない木も見られなければ、曲がった街路も見られない。それでは、私には金の不平があるか? ……否、しかし私は、ただ幸福が芸術の発達を妨げるということと、私たちの住まっている周囲は非常に小さな人間ばかりだということを述べておくのである。
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by bashkirtseff | 2010-03-24 07:55 | 1881(22歳)

1881.12.15(Thu)

 悪くなってから、4週間と2日になる。私はポオテエンの助手の前で泣いて見せた。彼は私を泣き止ませる方法を知らなかった。私はしゃれを言ったり、でたらめな話をしたりして彼を面白がらせることをよして、髪を垂らして小娘のようにしゃくり上げながら、泣き言を言ったり、本当に涙を流したりした。──白状すると、実際は思っていないことを言いながら、冷静にそうしたのであった。例えば芝居をするときのように、青くなったり、真剣に泣いて見せたりした。それで私は立派な役者になれるだろうと思った。けれどもせきが出て、いまだにまだ呼吸が苦しい。
 父上が今朝着いた。何もかも都合よくいったが、ただポオルの気の毒な細君だけは、ポオルがあまり冷淡な様子をしているので自分で決まりが悪がっている。私はそれを気の毒に思い、母からもらって使い前のなくなっているエメラルドを彼女にやった。
 あとで私はそれが少し惜しくなった。それは宝石の好きなヂナにやれば良かったと思った。つまらない!
 父親が気を悪くしているとは思えない。反対に、精神からいっても肉体からいっても、いくらか私に似てる(これはお世辞である)のであるが、私を理解することが出来ないのである。
 考えてみて下さい、父は踰越(ゆえつ)の祭りに私たちを皆国へ連れて帰ろうと思っているのです!
 否! それは実際ひどい。あんまりわけが分からなさすぎる。私を、こんな健康なのに、2月3月にロシアへ連れて行こうというのである!!! よそう! 後のことは言うまい!!! おお! 否! 私は南に行けと言われても嫌だ! 否、否、否。もうこのことは言うまい。
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by bashkirtseff | 2010-03-23 08:00 | 1881(22歳)