<   2010年 02月 ( 7 )   > この月の画像一覧

1881.11.17(Thu)

 昨日は胸とのどと背中が苦しくて、ほとんど動くことも出来なかった。風邪をひいていたので咳が出て、何にも飲み下すことが出来なかった。そうして、絶えず熱くなったり、冷たくなったりした。
 今日はいくらか良い気持ちである。けれども要するに大差はない。私はこれまで長い間一流の医者にかかっていたけれども、未だにこんな状態である! 私が初めて声が出なくなって以来もう何年になるだろう! それは私が自分の心に背いて海に投げ入れたポリュクラテスの指輪(サモス王ポリュクラテス(底本:「ポリクラテス」)は不足と言うことを知らぬ身分であったがエジプト王アマシスの忠告をいれて宝玉中の一番大事な指輪を海に投げ入れた/底本:「ポリクラアトの指輪」)であった。しかし! この恐ろしい病気が私に取り付いているから、私は別の成功によってその補いをつけねばならぬ。……私がどれほど成功しても、……私には不足なものがないなどと言うことは出来ない。これで私は安心することが出来る。
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by bashkirtseff | 2010-02-21 19:28 | 1881(22歳)

1881.11.15(Tue)

 下絵をジュリアンに見せて、ほめられた。けれども彼はもはや自信を持って私を奨励してくれなくなった。彼は当惑した顔つきで物を言った。けれども私には彼の考えていることが想像が出来る。
 まだトニーがある。私は彼をばあまり訪ねたことはないが、しかし会ってみようと思う。
 気の毒なマドモアゼル・コリニョンは20日ほど前に死んだ。私たち2人は余り仲良くしてはいなかった。けれども彼女は近頃非常に不幸だったので、私は非常に同情を寄せていた。
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by bashkirtseff | 2010-02-21 19:23 | 1881(22歳)

188111.06(Sun)

 訴訟は終わって、私たちが勝った。それは予審が訴訟の根拠のないことを示したのである。それが実に長い間かかっていたことを思うと、本当とは思えないほどにうれしい。しかし本当である。今母から電報が来たのである。今日はうれしい日である。
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by bashkirtseff | 2010-02-21 19:21 | 1881(22歳)

1881.11.05(Sat)

 私はパリに戻った。限りなき喜びである。汽車の中で震えながら私は時間ばかり数えていた。エスパアニュの鮮明な空気と燃えるような日光を見た後で、この美しい市街の灰色の調子を見るのは非常に楽しい。私はルーヴルの宝庫のことを考えて喜んでいる。──以前はそれを考えただけでも退屈であった私が。
 ジュリアンは私がもっと遅く帰ることと思っていた。そうして健康がすぐれないので、あるいはもう帰ってこないのかと思っていた。
 ああ! 同情はなんといううれしいものだろう、しかしそれよりも絵ははるかにうれしいものである。
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by bashkirtseff | 2010-02-21 19:21 | 1881(22歳)

1881.11.02(Wed)

 私たちは1週間前にいたマドリッドへまた戻ってきた。3日ばかりいてロレンゾオの店の写生に手を入れるつもりである。
 この数日来、そのことばかり私から聞いていたにも関わらず、また私が早くマドリッドへ帰りたいと焦っていたことを知っていたにも関わらず、叔母は外出の用意をして出てきて、私に向かって「さあ、今日は買い物にでも行きましょうね?」と言ったことは、全く無理もないことであった。私が絵を描きに行くのだと言ってはなすと、叔母はあきれた顔をして、私をきちがいだと言った。
 突然にある思いつきが浮かんで、あなたが一つの画題を発見しました。あなたは全力を傾けています。あなたの頭に空想が形を取ります。あなたはまず略図を描きます。あなたは調和の良い結合を見いだそうとして頭を悩まします。そうしてまだ形のない、ぼんやりした状態ではあるけれども、ある物をつかんだと思っていると、ちょうどそのとき自分を非常に愛している身内の人がその場に現れて、咳をするたびに気遣います。けれども私は特別に敏感で、こんなことを言っている訳ではありません。私はほかの美術家に比べて自分は非常に実際的だと思っています。……しかしあなたが見る通り私は本当はそれほど実際的ではありませんが。……ああ! 無考えな、気まぐれな家の人たち、彼らには私がもう少し体が弱く、勢力がなく、快活でなかったら、もうとっくに死んでいるはずだということがわからないのである!
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by bashkirtseff | 2010-02-21 19:19 | 1881(22歳)

1881.10.31(Mon)

 私は寒さに追い立てられて喜んでいます。でないと、私は去らなかったでありましょうから。そうしてもうパリへ帰らねばならぬのでありますから。トニーには5カ月も会わない。サロンの絵を妨げられることなしに描くために、アトリエを借り入れることも考えねばならぬ。初めの年は計算に入らなかった。次の年は準備する時日がどんなに短かったかは、あなたが知っておいでになる通りです。その上、画題も私自身のものではなかった。しかし今年は実際、良いものが出せるだろうと私は思っている。
 私はロレンゾオの骨董の店を描きたいと思っている。強い光が階段の一番上に落ちていて、1人の女が台座の上で織物をいじっていると、前景では今1人の女がうつむいて銅器を磨いているそばで、1人の男がそれを眺めて立っていながら、両手を隠しに入れて葉巻を吹かしている。
 その女には2人とも私がマドリッドで買ったような普通のさらさの着物を着せるつもりである。私は必要な着物はたいがい持っている。まだ用意の出来てないものは台座だけである。それは100フランばかりかかるだろう。しかし何よりも大きなアトリエを探し出すことが必要である。……今夜ついに立つことになった。私はうれしくて、歌わないではいられない。
 私のエスパアニュの旅行は、単に食べるために食べていた今までの私の習慣を直すようになるであろう。今までの食事は時間をつぶして知能を鈍らしていた。私は今アラビア人のように摂生家になった。ただ厳正に必要なだけを食べて、生きるに足りれば良いと思っている。
 私がその家を借りて絵を描いていたジタアヌの頭の養子が、今船牢から帰ってきた。彼は13になる小娘を誘拐したために、4年間漕刑に処せられていたのである。
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by bashkirtseff | 2010-02-21 19:17 | 1881(22歳)

1881.10.30(Sun)

 今日は終日ジタアヌ(ジプシー(底本:「ジプシ」))と暮らしたが、しかしまだ何にも出来ない。氷のように寒くて、顔は凍てついたような気持ちである。そうして画布はほこりと砂で覆われてしまった。要するに、私はなんにも出来なかった。しかしこの土地は美術家にとっては実に無尽蔵の鉱脈である。誰でもまず位置を決めたり群れ方を直したり、光線と陰影の効果を調べたりするのに丸一日はかかる。ジプシーは外国人に対して非常に愛想が良いのは、エスパアニュ人に軽蔑されているからでもある。私は2、3カ月間毎日ここへ写生に来たいと思う。まだしなければならぬことがたくさん残っている。ジプシーの典型には私は魅せられている。彼らの挙動や姿勢には、自然な、しかし珍しい美が現れている。どんな立派な絵でもここでは描けるだろう。ロシアで言われているごとく、あなたの目はあらゆる方角へ逃げ出してしまいます。すべてのものが皆一種の絵になっている。なぜ早く来なかったかと思うときちがいになりそうだけれども最上の気乗りがしているにも関わらず、仕事をすることが不可能である。雪に覆われた山々から吹き下ろす風が耐えられないほどに鋭い。それにしても、何という美しさだろう! 何という美しさだろう! 私が仕事を始めようとすると、皆が周りに集まって、山の横腹の自然の段々の上に群がってしまった。あなたはそれが面白く見えるか想像できるでしょう。私は人が周りにたかってくるとたまらなく悩まされるが、しかし彼らの好奇心は非常に同情的である。エスパアニュ人は怠け者だから私の絵をのぞきに来たり近寄ったりはしないで、大部分は皆私の後ろに2時間も3時間も立っている。その上私の描いているところは昔の町跡であるから、たくさんな画家が来ている。
 グラナダはセヴィルが俗であると同じ程度に芸術的であり、また絵画的である。もっとも、有名な大学を誇りにはしているけれども、ほとんどすべてのグラナダの市街は、画家を喜ばせるものばかりである。
 あなたはどちらへ行っても幻惑され、引きつけられる。立ち止まったところのどこで描きだしても、きっと良い絵が出来るでしょう。
 私は来年8月から9月、10月半ばまでここに来たいと思っている。
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by bashkirtseff | 2010-02-21 19:14 | 1881(22歳)