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1881.10.29(Sat)

 ついに私はラランブラ(アルハンブラ──グラナダの北郊丘上にあるモオル人の古い城塞)を見た。私はこの最も美しき場所に長く滞在することをわざと避けたのである。一つにはグラナダが余りにも好きにならないために。また一つには私たちを連れて歩く案内者がそばにいると、私の芸術的享楽が破られるから。けれども私はいつかまた見直そうと思っている。
 塔から見たグラナダの美はまことに賞賛すべき完全なものである。雪で覆われた山々、巨人のごとき樹木、繊細な花と灌木、透明な空、それからこれらの自然の美の中で、日光を浴びているグラナダの白い家々、モオル式の城壁、ゼネラリフの塔、及びラランブラ! ……また海のごとく遠くに見える広い地平線。実際、これが世界で一番美しい景色になるには、海だけが欠けているのである。宮殿そのものはその美において幻想的である。
 モオル風の服装は言うまでもなく最も絵画的なものである。またその卓越した織物の壮大な美に及ぶべきものは決してない。私はその特殊の宮殿を歩きながら、昔のボアブディル(グラナダ最後のモオル人種の王、1481年(#1460?)に生まれた/底本:「ボアブヂル」)やその部下の人たちのことで頭がいっぱいに満たされている。
 午後小さい街路で私は1枚の写生をした。描き上げたとき私は壁に「アンドレエこれを描く、1881年」と書きつけた。しかし絵の右側の陰影の調子が暖かすぎて光の強さを奪っているのが気になった。今日は極めて寒く、指先がしびれて、日向に暖まりに行かねばならぬほどであったことを知ってください。それがために私はここに滞在している勇気がなくなったのです。私は外気では仕事ができないから。実際なぜ私はここで苦しんでいなければならないのでしょう? 日が暮れると恐ろしいほど退屈して、堅い寝台の上で眠ることもできないで、食べるものと言っては日中の肉汁の一皿と肉の一片と、朝はコーヒーの一杯きりなくて。しかしよい秀作を1枚持って帰りたく私は思っている。……
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by bashkirtseff | 2009-12-27 17:00 | 1881(22歳)

1881.10.28(Fri)

 今日はグラナダの監獄で過ごした。囚人たちは楽しい時間を喜んで、庭は市場のごとく、戸も堅く閉ざされているようには思われなかった。要するに、この牢獄は少しもフランスの同種類のものとは似通ったところがない。
 私のかわいそうな一人の囚人は終日非常によく座っていた。けれども私はその首を実物大に描いて、その手を1日で写生した(荘厳な天才!)ので、個性の驚くべきあいまいな点をいつもほどに描き出すことに成功し得なかった。もし私が時間が足りなかったからと言って責めを避けるならば、それは間違っている。なぜと言うに、もし私がこれ以上満足してないとすれば、それは光線が何度も変わったためである。また、良い囚人たちが、一時に12人ばかりも、私のすぐ後ろに立っていたためである。彼らは代わる代わる変わったが、しかし皆いつもそこにいた。そうして私には見えなかったけれども、彼らの目が私をいらだたせたためである。私は副知事の部屋で仕事をしたのであるが、その部屋には彼の友人たちのために見せ物のようにイスがいくつも並べてあった。そうして彼らは終日代わる代わる来ては私の後ろに腰掛けていた。一瞬間も誰かが戸口を叩いていないときはなかった。中には囚人たち──無害な囚人たち──すなわち伍長たち──も来た。通弁とロザリはいつも私のそばにいた。私は自分の妻を殺した男が来週公衆の見る前で締められるという話や、ある男が行列のときに脱帽を拒んだために、収監されたという話や、その他同じような驚くべきことをいろいろ聞いた。
 あなたは私が今言ったように、その他驚くべきことをいろいろとか、その他さらによいことをとか、または今言ったことは実は何でもないことだとか、そういったようなことを誰かが話すのを聞いたことがあるならば、それは最悪のことが言い残されてあるというような意味ではなく、実際それ以上言うべきことは何にもないのに、あなたがそれ以上何か著しいことで話を片づけたく思っていることを意味するのであります。例えば、あなたは人が非常に悪いことだと思っている話をした後で、「それだけではなく、これはあの男にとっては日常茶飯のことにすぎないのです。だから、あの男の大罪については想像がつくでしょう」といったりするのを聞くことがありましょう。しかし私の囚人のことを忘れてはならぬ。私は彼にもっとも恐るべき罪悪があることを信じていた。そうしてそれは彼がある偽造の銀行手形を口外したにすぎないことを知った。しかし彼の首はいかなる罪悪にも適しているように見える。
 それで私はパリに帰って彼のことについて話すべき一つの面白い物語を考えてみようと思う。窓のバルコンが中庭に面している、他の囚人たちは皆モデルと画架と画家とをエスパアニュ風の熱心を持って眺めていた。私が帰る前になると彼らは皆飢えた犬のごとく私の方へ駆け寄ってきたが、その表情、その拍手、その叫びは彼らの仲間の肖像を見ているとき絵になるような光景であった。
 私が敷居をまたごうとしていると、副知事は中庭につま立って眺めている人たちに画布を見せてやって、それから知事と長官のところへそれを持っていって見せた。知事と長官は私が馬車に乗ると、往来に出て頭を下げた。そうして今一度喜んで私を迎えるという言葉を聞き残して、私は叔母とやっと馬車を駆けらせることが出来た。
 私は画布の片隅に「アントニオ・ロペス、偽造殺人罪、1881年10月死刑」と書いた。気の毒な男! とにかく私は仮名によって彼に悪名を着せた。私の聞いたところによると、彼の名は、ロドリイグとか、ペレスとか、あるいはロペスとかいったようである。私が編み物をしているところを描いた。あの愉快な市民たちの大部分は、大工とか、鍛冶屋とか、靴屋とか、そういった種類の職業に従事したことがないので、善良なる主婦のように靴下を編んでいるのである。
 死刑を宣告された男たちは自由に中庭を歩き回っていた。たとえばわずかな失効のために1、2年収監されている人か何ぞのごとくに。
 これらの紳士たちの多くは、この建物の中の料理よりも、家庭の料理を好むので、彼らの愛する配偶者たちが、美味な食事を持ってくる。──それはココでさえ口を触れようとはしないだろう。──ココは私の殺人者の別名である、その訳は分からないが。あるいは、彼の同僚が私に対してフランソア一世がチチアンに対するがごとく振る舞ったとき、彼が自分のかみつけることを確かめるために吠えもしないで彼らに飛びかかったからであろうか。
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by bashkirtseff | 2009-12-27 16:57 | 1881(22歳)

1881.10.27(Thu)

 おお、幸福! 私は嫌なセヴィルを去った。
 私は嫌なと言った。それは夕べからグラナダ(セヴィルの東約20マイル)に来ているから。私たちは今朝から外へ出て、是非とも見ないではおかれない寺院と、ゼネラリフ(アルハンブラ城の外郭の庭園、一時スルタンの別荘であった)とボヘミア人の穴蔵を見た。私は非常に喜んでいる。ビアリッツとセヴィルでは何にも感じなかった。すべてのものは行き詰まって、死んでいるごとく思われた。コルドウは3時間で素通りしたが、芸術的の都市としての印象を受けた。それは、そこで熱心に仕事が出来るだろうと感じたことを意味するのである。グラナダには遺憾に思うことが一つある。それは私が6カ月ないし1年も滞在することが出来ないということである。そこには見るものがたくさんあって、どちらへ向いたら良いか分からない。街路と言い、輪郭と言い、景色と言い!
 それはあなたを風景画家にしてしまいそうです。しかし、珍しい面白い顔の典型もたくさんあれば、色の幻惑や、調子の諧律(かいりつ)も至るところに見られる。
 しかし私の見たうちで一番珍しかったものは、グラナダの監獄で囚人の働いている光景であった。私はどうしてそんなところへ行ってみる気になったか、自分でも分からないが、しかしそれを悔いてはいない。もっともそこを去るときには闘牛を見た後と同じような圧迫を感じてはいたけれども。監獄の長官はすぐに高名な外国人の希望を入れて、何もかも見せてくれた。一人の牢番が私たちの前に立ち、罪人の中から選ばれた6人の伍長は、後について手に棒を持って整頓を命じられていた。囚人たちが一列に並んで牢番の肩章や棒の前で恐怖に近き敏速なお辞儀をする光景は、到底形容することは不可能であった。案内者が言ったように、彼らはむち打たれるのである。
 この人たちが武器を奪われて、繋がれて、子どものように労働を強いられているところを見ると、私は彼らがそこへ連れてこられた罪悪のことよりも、ただ憐憫(れんびん)の心のみが起こる。私はさらに進んで言うと、この哀れむべき人間たちの群が、おそれてお辞儀したり、熱心に仕事をしたり、教わった本を子どものようにおどおど読んだりしているのを見ると、全く不思議なほど感動させられる。
 あなたは彼らがむち打たれる光景を見ることが出来ます。彼らは往来で叩かれても反応しないではい寄る犬のように見えます。
 しかし何という立派な首だろう! 私はそこで絵を1枚描きたくなった。……許可は与えられたが、彼らの3、4人をどこかの隅に立たせることが出来たなら……。不幸にしてそれは私の絵を余りに大きなものにしてしまいそうでもあった。
 私はあなたにお勧めします、この陰うつな訪問はゼネラリフを見る前にした方がよいでしょう。ゼネラリフの庭園は確かに天国の出店でありますから。キョウチクトウやミカンの木やその他あらゆる種類の贅沢な植物の錯綜と、糸杉の並木と、バラのはいまとった裂け目の出来たアラビア風の壁と、スミレの花壇の間の小さい流れと、これらを私はなんと言って形容しようか? ……囚人たちのところへ行って、それからゼネラリフへ。
 明日はラランブラ(アルハンブラ)を見に行くのである。囚人の首を一つ描きたいとも思っている。
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by bashkirtseff | 2009-12-27 16:49 | 1881(22歳)

1881.10.25(Tue)

 私は日々のことを書かねばならぬのであるが……頭が混乱している。
 私たちはここの寺院を見た。私の考えでは、世界一見事な、また世界一大きいものである。──また宮殿を見た。庭園が美しくて、女皇の浴場も見事であった。その後で私たちは市街を散歩した。誇張して言うのではないけれども帽子をかぶっている女は、私たちだけであった。そうして行き会う人たちが皆私たちの帽子を珍しそうに見ていたことを私は付け加えておく。
 私はあまり派手な服装はしていなかった。ネズミ色の毛織りの袴の上に、しっくり合った黒の上着を着て、旅行にふさわしい黒の帽子をかぶっていた。それでも旅客はここでは芸のできる猿か何ぞのように見られる。皆立ち止まって、声を立てたり、話しかけたりする。子どもたちは私を見て声を立ててあざ笑うが、大人は私に向かって、あなたはおきれいですとか、salada だとか言う。salada というのは、あなたは知っていられるとおり非常に chic 〔気が利いている〕ということです。
 セヴィルは真っ白である。実に真っ白である。街路は狭く、その大部分は馬車も通れないほどである。しかし人の想像するほど絵画的ではない。ああ! トレド、今にして思うと、私は本当に野蛮人ではあった。! ……
 トレドは真に一つの驚異である。これに比べるとセヴィルは白く塗った低い家ばかり並んで、品位において俗人的である。もちろんそこには低級な部分もある。……しかし世界中どの国へ行っても、低級な部分は興味のあるものである。そこには調和もあれば、深みもあり、見る物ごとに絵にしたくなる。
 私はエスパアニュ語が話せないのがいらだたしい。それは恐るべき一つの障害である。ことに絵を描きたいと思うときに痛切に感じる。……
 ぼろを着た半野蛮の女子どもは、驚くべき色彩を持っている。家は生々しい白色ではあるが、見た目は非常にきれいである。しかし雨が続いて、私は en famille〔家族の中〕にいる。
 私といえども、家族とともに住むことは幸福であり、一人でいることは不幸であることはよく知っている。買い物にも家族と一緒に行けるし、ボアにも家族と一緒に行けるし、また芝居にも一緒に行けるし、病気のときも、療治のときも家族と一緒にいるから、要するに、日常の家事上のことをすべて家族と共に分かつわけである。しかし家族と一緒に旅行することはどうだろう!! それは自分の叔母とヴァルスを踊るようなものである。
 私は昨日4、5時間かかって乞食の習作を一枚描いた。等身大の首を。手早く描けるようになるためには、ときどきこんな急速の写生をしてみることが必要である。
 実に私は島流しになっているような気持ちである。この灰色の空の下で昼間は実に長い。私は蚊のためにあまり眠れないから、気がふさいで仕事ができない。
 セヴィルにはもう少し面白いことがたくさんあるかと思っていた。けれどもオテルのうちに閉じこめられてばかりいて、退屈でたまらない。今日も雨が降っている。
 恋もなければ、詩もなければ、若ささえもない。何にもない。実際セヴィルにおける私の生活には何にもない。私はロシアにいたときと同じように、この夏は生きながら埋められているような気持ちである! ……いったい何のために旅行しているのだろう? そうして絵はどうなるのだろう? ……もう5カ月を私はアトリエに入らない。その5カ月のうち3カ月は旅で空費してしまった。非常に勉強しなければならない私が! ……ブレスロオの名前を思い出すと様々の思いが私の頭の中にわいてきて、今までは遠くにあったサロンの賞牌の夢が、すぐ手近に迫ってくる。それは私がレジオン・ドンノオルの勲章をもらうことを夢見たり、エスパアニュの女皇になることを夢見たりすると同様に、いつも寝る前に描いてみる夢であった。ヴィルヴィエルが私にブレスロオは賞状をもらったと話してくれたとき、彼女はそれが私を悩ますだろうと考えていたらしかった。実際、ほかの人たちは皆私が賞与を受けるだろうと思っていたので、私自らもそう考えるだけの勇気が出来たのである。……少なくとも、私だけに言うのであるが、他の人がそう思う以上は、実際そう思われるだけの可能があるに相違ない。私はこの夢を最近5カ月間慈しんできた。
 これは余計な話だと思われるかもしれない。けれども事件は皆つながり合っている。──ロレンゾオのところで描いた写生は絵になれるかもしれない。
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by bashkirtseff | 2009-12-27 16:39 | 1881(22歳)

1881.10.22(Sat)

 今! 私たちは有名なセビリャ(エスパアニュの同名の州の首都、コルドウの西南/底本:「セヴィル」)に来ている。私はここでかなり暇をつぶしている。博物館を見たが、大きな単独の室にムリーリョ(エスパアニュの画家/1618-1682/底本:「ムリロオ」)ばかりがある。私にはもう少しほかのものも並べてもらいたかった。なぜと言うに、聖母や聖画ばかりであるから。私は野蛮人で、粗雑で、無知で、無遠慮ではあるけれども、まだ本当の聖母らしい聖母を見たことがない。ラファエルの聖母は写真で見るときれいである。……しかしそれはこの次にいま一度見たときのことにしよう。白状すると、ムリーリョは赤い丸々した顔の聖母を幾つも描いているが、私は少しも感心しない。ルーヴルに人のよく模写する聖母が1つある。それは実際感激を持って描かれたもので、ほとんど神聖と言えるであろう。
 それから、葉巻と紙巻きたばこの工場がある! 何というにおいだろう! それがただたばこだけならそれまでのことであるが、腕と首をむき出しにした女たちが入り乱れていて、若い娘たちや子どもたちも混じっている。この人間の群れは大部分きれいな女ばかりで、甚だ奇観である。エスパアニュの女たちは、ほかの女たちには見られない美を持っている。カフェの歌い姫にも、巻きたばこを巻く女にも、女王のような豊艶(ほうえん)な美が見られる。のどの格好や、腕の丸みが、美しい形と整った色をしている。何という見事な人間たちだろう。
 その中に1人際だって女王のような歩きぶりで、また猫のような柔らかみで、たばこの葉の間から立って出てきた女があった。その女は素晴らしい首を持っていた。そうして人を幻惑させるような容ぼうと、腕と、そうして、その微笑! ……さて、単に粋な女たちのことは言うまでもない。年若い娘たちは皆快活で、陽気である。たまには醜い娘もいるが、それは極めてまれである。そうして醜い娘たちにも取りえがある。
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by bashkirtseff | 2009-12-09 07:53 | 1881(22歳)

1881.10.20(Thu)

 今朝私はコルドウ(エスパアニュの同名の州の首都)で2時間を費やした、ちょうどその町を見るだけの暇があったので。それは実に気に入った。実際私はこんな町が好きである。そこには喜ぶべきローマの遺物がある。そのモスクは見事である。
 私はコルドウに一月ほど滞在したい。しかしそれには叔母と一緒ではいけない。叔母は10分もたてばすぐに自分から怒ってしまい、私を、従ってその幾倍にも怒らせる。時々こんなことを言う。「ここには何にも見るものはありはしない。案内者が金を取るために連れてきたのでおかげで私たちは汽車に乗り遅れてしまった。」さて寺院に行くのには馬車に乗らねばならぬ。コルドウには朝の8時に着いた。考えてみて下さい。風邪を引くかも知れないのです。死にかけている私は歩きたいと思ったりしてはならないのです。要するに叔母は怒ってばかりいます。エスパアニュを芸術的に旅行するには、本当に立派な楽しい道連れです! 私はいつも怒らされないようにと祈ってばかりいます。なぜと言うに、こんな状態で廃滅したものを見て歩くことは、耐えられないから私は少しも幸福を持たない。それはあなたを泣かせるに十分であります。
 私はいつも体をいたわり、安易を喜び、食欲の進むことを考えている。けれどもそれで生活がいとわしくなってくると、すぐにも往来に捨てられた方がよいといったような気持ちになる! ……
 ああ! こんな人たちはどうして私をいじめるのだろう!! ……小さいポラックがいる間は私はまだいくらか気を紛らしていたけれど。……私のかわいそうな叔母は誰かほかの人が来ているといつも喜んでいる。それは自分が私を怒らせることを良く知っているので。
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by bashkirtseff | 2009-12-08 07:46 | 1881(22歳)

1881.10.19(Wed)

 私はひどくせきが出て肺を冒しはしないかと恐れている。それと共に私はやせて行く。実際腕を見てもよく分かる。腕を伸ばしてみると、以前のように横風なほど太っていた跡はなくなって、ほっそりとなってしまった。それがために美しく見えるから、不平は言わない。今私はちょうどやせすぎるというほどではなく、しなやかな程度にとどまっている。しかしこの状態が続いたならば、1年もたつと私はがい骨になってしまうであろう。……
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by bashkirtseff | 2009-12-08 07:35 | 1881(22歳)

1881.10.18(Tue)

 世間には幸福な人が実にたくさんあるが、私は幸福になれるものをことごとく持っていながら、それから遠ざかっている!
 私には旅行する金もあれば、絵を描く金もある。世間の人は私のしたいことを皆している。その他は言うまでもないことである。私は今に金がなくなって、したいこともされないであろう。同時に私のために頑固を通して、私をきちがいにしてしまいそうな人たちとだけで暮らさねばならなくなるであろう。
 人は正しい行いをしていることを知っているときは、それ以上のことをしたくはない。私の家族はそれを知っている。もし彼らが親切で私を殺してしまうつもりでないならば、私は彼らの芸術的趣味、及び快活をかいでいることぐらいは我慢するつもりである。ああ! 幸福な人たちは実に多い。しかし私と叔母のこの旅行はどうでしょう! 明日はパリへ帰らねばならぬ。……
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by bashkirtseff | 2009-12-05 23:28 | 1881(22歳)

1881.10.17(Mon)

本文なし
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by bashkirtseff | 2009-12-05 23:27 | 1881(22歳)

1881.10.16(Sun)

 一番珍しいものはラストロである。これはロシアの田舎の市場で見るように、あらゆる種類の掛け小屋の並んだ通りで、そこへ行くと何でも見いだされる。この燃える空の下に、何という生気と刺激と群衆の満ちていることだろう。それは驚くべきほどである! 高貴な骨とう品の何という富が、薄汚い店や、古びた階段の上に見いだされることだろう! 織物の堆積、帷帳、縫い箔、それは全く人をきちがいにするほど喜ばせる。
 しかしその気の毒な所有者たちは、全くその品物の価値には無頓着である。彼らは古い額を探すためにその汚いつめで高貴な織物をかき混ぜたり、古びた家具、彫刻、額縁、皿、小皿、さびたくぎなどと一緒に床の上にごちゃごちゃに投げ出されてある縫い箔の上を歩き回ったりする! ……私は縫い箔をしたサケ色の窓掛けを1枚買った。それは700フランだというのを150フランで買った。それから青白い花の縫い取りのした、調子の非常に良くできた麻の女袴を、20フランだというのを5フランで買った。
 1万フランも使えないのは何という不幸であろう。たった1万フランもあれば、アトリエの装飾は出来ると思うのに!
 エスコバルは私たちと闘牛を見に行った。私たちの席には、彼の父と、マダム・マルチネスと、ほか2人と、及びエスコバルがいた。私は第2印象を得たいと思ってまた行ったのである。今日は雄牛が1頭だということであった。私は今日が最後の日曜日だろうと思った。要するに非常にきらびやかな見せ物である。国王も女皇も王子たちも来ていた。日光と、音楽と、喝采と、歩踏と、口笛と、ハンカチーフの波と、帽子の飛散と。それは世界のその他の場所では見られない独特の光景である。その壮観は人をしてわれを忘れしめる。──私はそれをようやく理解してきた。そうしてそれに興味を覚えるようになった。私は嫌悪の身震いをしながら、実は気乗りがしないで行ったのである。けれども残虐性の精錬されたこの屠殺(とさつ)の前に立って、私は色も変えないでいた。もし何物も見なければそれは甚だ美観である。……しかしついに興味を覚えてきて、この不名誉に面して単なるやせ我慢から勇気を維持していた。私は絶えず眺めていた。そこを去るときには少し血に酔ったような気持ちであった。そうして会う人ごとに突き刺してやりたいような気持ちであった。
 私はナイフを手やりのつもりにして卓上にあったメロンを突き刺した。すると、果肉が雄牛の裂かれた皮から震え出るように思われた。おお! それは肉をうごめかせ、頭をおののかせる光景であった。闘牛は殺人のけいことも言うべきであった。出場の人たちは、上品で優美で、敏しょうを極めているにもかかわらずその運動には、威厳が備わっている。
 これを人間と動物の決闘と見なす人がある。動物の方が形においても、力においてもはるかに優れていて、見ものではあるが、しかし最初からどちらかが負けるかということを知っている場合に、それを決闘と呼ぶことが出来るであろうか? 私は自白するが、闘牛者が美装して優美なその姿を現し、相手の牛の前で観客に3度あいさつをして、片手に外とうを掲げ、片手に剣を持って、静かに立っている時の光景は、人の心を引き付けるようなところがある。そうして実際それが演技中の最上の部分である。なぜと言うにそのときは血を1滴も流さないから。しかしエスパアニュ人は馬の苦しみなどは気にも留めないからそんな光景を喜ばない。それで私はこの野蛮な娯楽に賛成するようになったのであるか? 必ずしもそうではないが、それには壮大な英雄的な一面がある。この1万4千ないし5千の観客を入れる円形劇場には、私のもっとも賞讃する古代の面影がどことなしに見られる。けれどもまた一面には残酷な恐るべきかつ卑しむべき点もある。もし演技に携わる人たちが、これほど熟練でなく、たまに傷の1つ2つも受けるようであったならば、私はこんな不平は言わないであろう。しかし私を嫌がらせるものは、人間の憶病の展開である。しかし闘牛者はライオンのごとく勇敢でなければならぬとは言われている。おお、否、彼らはあまりに利口で、怒らされた動物の恐ろしいしかし単純な攻撃を避けることをあまりに良く心得ている。実際の危険は、手やりにある。すなわち人が動物の攻撃を誘致して、動物がその角で突き刺そうとして突進してくるときに、その肩に手やりを突き刺す場合である。これには特別の勇気と熟練を要する。
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by bashkirtseff | 2009-12-05 23:23 | 1881(22歳)