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1881.10.14(Fri)

 昨日の朝7時に私たちはトレドに向かって出発した。この町のことはいろいろ聞いていたので、私は変わったものが見られるだろうと期待していた。理性や常識から離れて、私は中世期とルネッサンスの芸術の偉大を想像していた。例えば、驚くべき建築とか、時代を経過して黒ずんでいる彫像の門とか精巧な装飾のあるバルコンとかを。私はもちろん実際はこれと全く異なっていることを知っていた。けれども私の想像がそんな風にわいていたので、トレドが事実はどこを見ても薄い壁と刻み目のある門ばかりで満たされた一箇のモオル族の都市に過ぎないことを発見したときには、全くつまらなくなってしまった。トレドは城塞(じょうさい)のごとく高地に立っている。頂上からその景色とタアジュの流れを見下ろしたときは、レオナルド・ダ・ヴィンチもしくばヴェラスケスのよく描くような田野風の背景を思い出す。──鳥瞰的に窓から見たような、紺青の山があって、それに近く1人の婦人または紳士が梅の実色のビロードを着て、美しい形の手をして座っている。
 トレドの町について言うと、それは不規則な小さい街路の1つの迷図であって、日光も届かないほどに狭い。住民たちは家々の奇体な外観のために野営を張っているように見える。それは一箇のミイラである。例えば完全に保存されたポンペイとも言える。けれども時代を経て今にも崩れて塵埃(じんあい)となりそうに思われる。土は日に焦げ、高い壁は日に燃えている。驚くべく絵画的な中庭があったり、今は教会となり白く塗りつぶされた回教寺院があったりする。しかしそれも少しずつはがされて、いろいろのきらびやかな珍しい模様が現れたり、幾つにも仕切られた彫り物のある黒ずんだ天井や、互いに交差して奇妙な形になっている梁の迫り持なども残っている。もちろん寺院はブルゴスで見たのと同じように装飾を浪費して甚だ見事なものである。──今の門が驚異である。ああ! それから中庭にはキョウチクトウとバラの木が回廊の中まで入り込んで円柱にまかりついて、それに刻みつけれてあるやせた悲しそうな厳粛な顔をした彫像に絡み付いている。日光がここまで差し込んだときは、その詩は例えようのないものになるでありましょう。
 実際エスパアニュの教会堂は想像の及ばないものである。ぼろを着た案内者、ビロードを着た寺院の事務員、外国人、犬、そういったものが歩き回ったり、祈ったり、ほえたりして、奇妙な美を形作っている。人はこれらの礼拝堂の中から出て来ると、円柱の後ろなどで突然自分の魂に姿に出会うこともあるだろう。
 ヨーロッパの頽壞(たいかい)の中心に近い国が今でもこれほど新鮮に、これほど未開に、これほど自然に存在しているとは、信じられないほどである!
 トレドに来ると人は世界の外にいるような気持ちになる。私にはまだ分からないが、ここには見るものが非常に多くあるように思われる。私は来てからまだ数時間にしかならない。私はこれから帰ってあの黒ずんだ小さい町を写生しようと思う。それからあの柱廊と、あの大きなエスパアニュ風の、またモオル風の、くぎを打った古い門を。何という宝玉だろう、何という驚異だろう! しかし非常に暑くて、あまり見て歩くことが出来ない。……実に絵画的である。何もかも絵になる。すべてのものが珍しくて興味があるから、選択の必要がない。しかし私にはあまりぴたりと来ない。……もしもっと良く見ていたら来るかも知れないが、……。それはゴートとアラビアとエスパアニュの混合である。いや、そんなことはどうでも良い。寺院の内陣は実際驚くべきである。例えば聖壇所の座席なども歴史画の浮き彫りで覆われて、感嘆せずにはいられないほどの細工が施してある。ああ! 私はあなたにお話ししますが、その品位、装飾の豊富、空気のような軽さは、実に驚くべきであります。例えば柱廊、彫刻、弧形、などが時の破壊に耐えられないように見えますから、あなたはこの宝物が頽廃(たいはい)に帰しはしないかと心配になるでしょう。その美しさは人間的の恐怖であなたを満たすほどであります。けれども過去4、5世紀間、この忍耐の怪物は崩れもしないで、見事に立ったままで来ました。それが破壊したり、隠滅したりするかと思うと、あなたは戦慄するでしょう。私は誰にもこの創造物に指を触れさせないようにしたいと思います。その中を歩き回る人さえも、ある程度までは罪を免れない。なぜと言うに、この驚くべき建築の漸次の避け難き破壊に力を添えるわけでありますから。言うまでもなく今後なお数世紀間は存在してるでしょう。けれども……。さて、外に出てみるとアラビア風の窓の付いた高い胸壁が日に干からびて、裂け目が出来ており、モスクは皆唐草模様の付いた円柱が見事に並んでいる。しかし円屋根の後ろに没する太陽を見ようと思うならば、ローマへ行きなさい。すべてこの驚くべきおもちゃみたいなものや、彫刻した石や、ゴート式、アラビア式の門や、すべてこの誇りと不安の意味を与えるきゃしゃな、壊れやすい驚異は、その前に出ればてんびん棒のごとく落ちてしまって、子どもらしく感じられます。
 私は今トレドの写真を見ている。私の考えは間違っていたような気がする。私は正しく見なかったような気がしている。
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by bashkirtseff | 2009-11-30 21:58 | 1881(22歳)

1881.10.13(Thu)

 私はいつも肉体的にパリを嫌っている。いつも、いつも。マドリッドは町並みは不規則で貧乏じみて見えるけれども、パリに比べればはるかに同情的である。パリを見なさい。その派手やかさは退屈なものであります。その店屋、その cocottes〔浮いた女たち〕、その生々しい新しい家、すべてが恐ろしく非芸術的であります。おお! ローマ(そうしてマドリッドも少しそれに似ている)。おお! 南国。私は南国から来たのです。私は小ロシアで生まれて、ニースで育ったのです。私は南国が好きです。
 私はヴェラスケスの「ヴァルカン」の模写を終わった。もし公衆に判断させれば、これは良いに違いない。例の名画の模写を売る哀れむべき人間どもが、私が描いている間に毎日何度も見に来た。それから美術学校を出たばかりの若い子どもたちが、フランス人やイギリス人、エスパアニュ人の群れと一緒になって、私の周りにたかってお世辞を振りまいていったりした。
 そうして私が去ると皆は、はしごに登って私の大きな絵筆を見たり、絵をのぞいたりした。一言で言うと、私の親愛なる子どもたちよ、それは実際人を振り返させるほどのものです。もしその人があまり高慢屋でさえなければ。
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by bashkirtseff | 2009-11-27 07:48 | 1881(22歳)

1881.10.12(Wed)

 誰かが来て私の右の肺のことを説明してくれた夢を見た。そのある部分には空気が届かない。それで堆積が生じるのである。……これはあまり嫌なことで、書けない。とにかく、私は肺を冒されているということだけにしておきましょう。私はそれを良く知っている。その訳は近ごろ私は一種の鬱悶(うつもん)、すなわち一種の哀惜を感じている。簡単に言うと、私には何だかほかの人たちと違っているような妙な気持ちがある。例えば人の元気をそぐような霧に包まれているような気持ちである。何となく胸が変である。……しかしこんなつまらないことをなぜ書くのだろう! ……病気のことは今にお分かりになります。
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by bashkirtseff | 2009-11-26 07:54 | 1881(22歳)

1881.10.10(Mon)

 私が博物館で仕事をしていると、やや年を取ったあまりきれいでもない男が2人そばに来て、私にマドモアゼル・バシュキルツェフじゃありませんかと聞いた。──そうです。──そのとき、2人の男は非常に興奮していた。ムッシュ・ソルダテンコフはモスコウの金持ちで、また大の旅行家で、美術と美術家を尊敬していた。ポラックの話によると、博物館長の息子マドラツォもやはり美術家であるが、私の模写を非常に喜んで、私と知り合いになりたいと言っているそうだ。老ソルダテンコフは私の絵を売ってもらえまいかと聞いた。私は愚かにも売りませんと答えた。
 絵のことを言うと、私はいろんなことが分かってきた。今まで見なかったものが見られるようになった。私は目を大きく開けて、つま立っている。そうして息を殺している。魔法が消えてはならないから。実際これは正真の魔法である。私は最後に夢を実現したいと思っている。私はどんなことを希望したらばよいか分かってきたように思う。私のある限りの力は1つの目的の方へ向かって緊張している。良い絵が描きたいと思って真の肉、生きた調子の絵が描きたいと思って。……それが出来たら、1個の芸術家となったならば、賞讃に値する仕事をなしたのである。なぜと言うに、仕上げがすべてであるから。例えばヴェラスケスの「ヴァルカンの鍛冶場」もしくは彼の「紡績女工」を見ましたか? これらの絵の中からその驚くべき彩色の仕上げを取り去ってみなさい。そうしたら、どんなに平凡な形だけが残るでしょう。こう言うと、多くの人は反対するでしょう。ことに感情を重んじるような顔をしている人たちは。感情はもちろん大事なものであるが、それは詩においても絵筆の美においても仕上げの技巧の中にある。これは私たちの考える以上に真実なことである。あなたは細い素朴な形と滑らかな彩色をした初期の大家たちを好みますか? ……それは奇抜で面白くはあるけれども、賞讃するわけにはいかないでしょう。あなたはラファエルの「聖母」を好みますか? こう言うと生意気だとお思いになるか知れないが、それは私を感心させません。もちろんその絵には感情の高潔なところはあります。その点は私も尊敬するけれども私にはどうしても好ましくありません。しかし同じラファエルでも「アテエヌの学校」などは実際賞讃すべき絵で、比較さるべきものもありません。ことに版画もしくば写真画においては。これらを見ると思想もあれば、感情もあれば、天才の発動もあります。あなたに知っていただきたいことは、私はルーベンスのあの下品な肉の描き方や、チチアンのあの壮大ではあるが間の抜けた肉の描き方には反対であります。人は心と物が共に必要です。簡単に言えば、ヴェラスケスのごとく、仕上げにおいては詩人であることが、また構図においては思想家であることが必要です。
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by bashkirtseff | 2009-11-25 07:37 | 1881(22歳)

1881.10.09(Sun)

 何にも変わったことはない。ポラックとエスコバアが毎日訪ねてくる。母様はロシアへ行くことになっていた。しかし彼らが来ているときは私たちは涙を節約した。私は今朝から非常に悲しい気持ちである。しかしそれは当然である。母様は父が会いたがっているので行かねばならぬのである。彼女は去った。
 私たちはポラックと絵の話をして宵を過ごした。今私は1人きりになってあらゆる種類の恐ろしいことを想像している。もし母様が死んで再び私たちに会えなくなったらどうしようなどと。
 おお! もしそんなことがあったらば、それは私が愚かにも親に背いた刑罰であろう。。……
 私は自分の心のとげとげしさをぬぐい去ることが出来ないので泣いて一生を過ごさねばならないだろう。ああ! ……考えても見て下さい。自分に罪があると感じて、そうして決して決して自分の愚を償うことが出来なかったらばどうでしょう。
 母は私に愛されないと思って死ぬであろう。それは私にとって、いつも同じことである。私は自分を慰めている。否、自分では幸福でさえもある!
 私はあらゆる種類の不幸を期待している。けれどもこの不幸にどうして耐えられるか、想像することも出来ない。……目は盲となり、体はまひしてしまう。……それは惨めである。しかしもしそういった状態の下において私が母様を失ったならば、私は母様を殺したような気持ちがするであろう。
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by bashkirtseff | 2009-11-21 07:38 | 1881(22歳)

1881.10.06(Thu)

 私はヴェラスケスの手を模写した。私はこの土地のすべての女たちのように、マンチル(婦人の面被)の付いた黒い着物を着ていた。それでも私は皆に見られた、ことにある1人の男に。一体に風儀はイタリアよりもマドリッドの方が悪い。ギターを抱えて窓の下を歩いたり、どこへでも後をつけたり、どこででも話しかけたり、人をしつこく見つめたりする。手紙の交換が教会で行われる。若い娘たちは大概5、6人の崇拝者を持っている。崇拝者たちは婦人に対しては非常に親切で、しかし決して礼儀を越えない。フランス語の意味においての demi-monde〔堕落した婦人〕なるものは存在しない。そういった種類の女は全然軽蔑されている。けれども男は往来で露骨にあなたはきれいですとか、あなたを尊敬しますとか、あなたのお供をさせて下さいとか言ったりする。あなたが身分のある婦人だということを知っていながらも!
 あなたは彼らが自分たちの方へ女を呼ぶために地面に外とうを敷いているのを見ることがありましょう。私はそれを見て非常に面白いと思いました。私はいつも外へ出るときは趣味のある、しかし非常に簡単な服装をしています。すると彼らは皆立ち止まって私を見ます。それで私は生き返ったような気持ちになります。──それは中世期の騎士で色付けられたロマンチックな新鮮な生活であります。……
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by bashkirtseff | 2009-11-20 07:56 | 1881(22歳)

1881.10.04(Tue)

 ちょっと待って下さい。私たちは昨日の続きを済ましておきましょう。
 ブエン・レチロから私たちはあるカフェに行き、ジタヌ(ジプシー)風の歌を聴いたり踊りを見たりした。
 それは非常に奇妙なものであった。1人の男がギターをかき鳴らしていると、12人の女が手を打って拍子を取り、その中の1人が急に何かの歌を歌いだすのであるが、それはめちゃめちゃの半音階である。実際それは全くアラビア的である。1時間すると全く飽きてしまう。この女たちは化粧着を着て、肩に肩掛けを掛け、髪に花をさし、モスリンまたは木綿のその化粧着で非常に特長のあるでん部の運動を隠している。エスパアニュの女は、きれいでないものでも、皆絵にするのによい。顔色からいっても、目からいっても。ああ! 彼らを見た後で始めてエスパアニュの絵の優れていたことが分かる! 何という光、何という筆触、何という幅、何という色であろう!! ……
 今朝9時から私は博物館に来てヴェラスケスを見ている。そのそばに出ると、リベラを除けば、すべての絵が干からびた色のないものに見える。しかしリベラといえどもヴェラスケスには及ばない! …… ある無名彫刻家の肖像にカロリュス・デュランの技巧の鍵ともいうべき1つの手がある。この人がヴェラスケスの作品を踏襲しているのは隠れもなきことである。
 私たちはエスパアニュのギターとマンドリンを買った。世界中の人はエスパアニュがどんな風の国であるかということについて何にも考えを持っていない。そうしてマドリッドは私たちがこれから行くことになっているトレエド(トレド)、グルナアド(グラナダ)、セヴィルなどに比べると特長のない町だといわれている。……けれども私はこの町が気に入った。そうして博物館に行って模写をして、その後で絵を1枚描きたいと思っている。それには2カ月位ここに逗留(とうりゅう)したいつもりである。
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by bashkirtseff | 2009-11-18 07:57 | 1881(22歳)

1881.12.02(Sun)──マドリッド

 あなたはこの不名誉な屠牛場を見捨てると夢から覚めたような気持ちになるでしょう。闘牛! 年取った牛馬の忌まわしい殺りく。そこには人々が危険なしに駆け回ったり、下らないまねをしたりしている。実際私が面白かったのはただ塵埃(じんあい)の中を転げ回っている人たちを見ることだけであった。その中の1人は雄牛のために踏み付けられた。彼が逃げ出したのは全く奇跡であった。その結果として彼は非常な喝采を受けた。
 人々は葉巻を投げたり、──帽子を投げたりした。それらは極めて巧みに投げ返された。人々はもっともやぼな声を立ててハンカチーフを振った。
 残酷な競技である。しかしそれが面白いのであるか? いや、決して! それは刺激とも言われなければ、興味とも言われない。一頭の怒っている動物はさまざまの色の着物をうるさがりながら、さらにその体を突き刺す一種の剣で気違いのようになって来る。血が流れれば流れるほどその動物はますます身震いして前の方へ飛び跳ね、さらにまた手傷を負うのである。目を縛られて、よぼよぼの馬がその前に引き出されて、牛に怒らされる。内臓が飛び出す。けれども馬は突っ立って最後の息の絶えるまで乗っている人の言うとおりになる。乗っている人は馬と共に倒れる。しかしめったに傷つくことはない。砂の上に黒い血が流れ、牛の背に赤い血が流れる。私はそこへ着くとすぐ一頭の黒い雄牛が赤いリボンのように血を付けているのを見た。初めはリボンで飾ってあるのかと思った。それは投げやりが刺さって血が流れているのであった。格闘は馬が倒れた後まで続く。12人ばかりのエスパアニュのばか者どもがその雄牛を傷つけながら怒らせていると、雄牛はついに彼らを追いかける。けれども決まって外とうで防ぎ止められる。そうして最後に雄牛が頭をそらして血を流しながら、痛手にうめきながら立ち止まっていると、ばか者どもはまた赤い外とうを打ち振りながら雄牛をけ飛ばす。そのとき観客は足を踏み鳴らす。するとかわいそうな動物はひざを折って、野に休んでいる雄牛のごとく罪のない形をして死んでしまう。それは盆の窪をただ一打ちでやられたのである。楽隊がはやし立てる。するとリボンと馬具で飾り立てられた3頭の馬が疾駆して死んだ雄牛のところへ駆け付ける。それからまたその次のが始まる。馬に乗った3人の男と、前よりもさらに気抜けした馬と、及びこっけいな、血なまぐさい扮装(ふんそう)の闘牛者たちと。
 そうして約15頭の馬と5、6頭の雄牛が殺されてしまうと、派手やかな人たちはブエン・レチロの方へ馬車を駆って行ってしまう。ブエン・レチロは世界中で一番きれいなプロムナードの1つで、私はボアよりも勝っていると思う。もちろん、ロンドンや、ヴィエンヌや、ローマなどは比べられもしない。しかし、否。ローマにはほかに比類のない魅力がある。
 国王も女皇も王女たちも闘牛に来ていた。観客の数は1万4千人以上であった。いつも日曜日のたびにそうである。あなたはこの恐怖がいかに彼らを刺激しうるかを理解するためには、その不吉なばか者たちの首を注意しなければなりません。少なくとももしそれが本当の恐怖であるとすれば。しかしおとなしい馬や雄牛たちは怒らされたり傷つけられたり殺されたりするのみである。
 女皇はオーストリーの生まれでそれを喜ぶはずはない。国王はパリに来ているあるイギリス人のような顔をしている。王女たちのうちの一番年下の人は実に美しい。女王イサベルは私が彼女に似ていると言った。私はうれしかった。彼女は実際美しいから。
 私たちは木曜日の朝ビアリッツを立って、夕方ブルゴス(エスパアニュの北東地方の都市)に着いた。私はピレネー山脈の美に打たれた。幸せなことに、ビアリッツのボール紙のような岩がもう見えなくなった。
 私たちはフランス語の出来ない1人の強壮の紳士と道連れになった。そうして私たちは誰もエスパアニュ語が分からなかった。けれどもその人はある絵入り新聞を説明してくれたり、停車場で私に花を買ってくれたりした。その人のそばにリスボンへ行く1人の青年がいた。ジブラルタルのイギリス人か何かで、しきりに役に立とうと努めていた。
 私の母たちと一緒に歩いているこの旅行がもし愉快だと思うならば、あなたはとんだ間違いをなさっていらっしゃる。しかし、それは当然のことです。なぜと言うに、母たちには私の若さもなければ、私の興味もないのだから。けれども、もう済んだことだから私は彼らのうるさい、おせっかいなありさまを詳しく話すことはやめにしよう。──彼らは人の行ったことのない国へでも来たような当惑した顔をして、つまらないことばかり聞くのである! ──案内者はブルゴスでは寒いと言った。それはいまいましいことであった。なぜと言うに、私たちは毛皮の外とうを持ってこなかったから。何という国だろう! そうして何が見られるのだろう? 寺院か? そこにはイギリス人でなければ行かない。何より悪いことは、こんな話は皆第3人称で私を目当てにして話されているのである。でなければ彼らはほかの話をしているときに、口に出して言えないようなことをわざわざ言うはずはないであろうから! そうしてもし私が反対すると、彼らは私がけんかを買うと言い出す。けれども私が旅行を主張したのではなかった。私たちがエスパアニュへ行くことを言い出したのは彼らである。
 さてブルゴスに着いた。……ああ! 本当に彼らは耐えられない。彼らは第3人称の話しぶりで悲しそうなあきらめを言ったり不平を漏らしたりするときのほかは、あきれてしまうほどに平気を装っている。
 それはそれとして、私は寺院で荒い写生をした。装飾や、彩色像や、めっきや、花模様などの集合。それは1つの立派なまとまりを造り出しているが、言葉で説明することは不可能である。ああ! あの薄暗い礼拝堂と、あの高い格子。実にそれは驚異である。ことに宗教上のロオマン主義の一象徴として。こんな教会堂は会合所のような気がする。聖水に指を浸しながら秋波を送るべき人を見回している者がある。これはまたラ・カルツジャの比較的地味な修道院にもふさわしい。私たちは日が暮れてそこへ行った。それはエスパアニュ教会の詩をさらに高調するものである。寺院にはレオナルド・ダ・ヴィンチの有名なマドレエヌ(マグダラのマリア)がある。私はそれを醜いと思ったことを自白せねばならぬ。それは私に何らの感動をも起こさせなかった。ラファエルの聖母の場合にもそうであった。
 私たちは昨日の朝からマドリッドに来ている。今朝は博物館に行った。ああ! ここの蒐集に比べるとルーヴルなどは何物でもない。ルウベンスも、フィリップ・ド・シャンパアニュも……それから、ヴァンダイクやイタリアの画家たちも皆光を失ってしまう。何物といえどもヴェラスケスに比較されうるものはない。しかし私はまだ幻惑している、判断が出来ない。それからリベラ(別名スパニョレットオ、エスパアニュの画家、後ナープルに定住して宮廷画家となった/1588-1656)は? おお、彼らは真実の自然主義者である!
 彼ら以上に真実なものを見ることが出来うるだろうか? 何という驚くべきことだろう! こんな絵を見ていると、私は本当にいやになってしまう。私はどんなに天才というものが望ましく思っていると思いますか! しかるに世間ではこの2人を色のないラファエルや空虚なフランス派の画家に比較したりしている!
 色! 色を感じてそれを出し得ないということは全然あり得ない! ソリアが夕食前に友達のムッシュ・ポラック(鉄道監督官)とその息子を連れてきた。その息子というのは画家で、ジュリアンのアトリエで勉強したことがあると言った。
 私は明日1人で博物館に行きたいと思う。なぜと言うに、名作を見ているときに、つまらない批評を聞くほど苦痛なことはないから。ナイフで切られるような痛みを覚える。けれども怒った顔をするのはばかばかしい。実際私にはちょっと説明の出来ない一種の敏感があって、いかなるものでも賞讃されているに耐えられない。また真実の感動の印象のもとにあることを発見されるに耐えられない。これは実に説明しにくい。
 私の考えによると、私たちは私たちを感動させたものについて、完全に私たちの思想と共鳴する人たちとのみまじめな話が出来る。人がよく話の出来るのは……、そうだ、私がよく話の出来るのはジュリアンである。彼は愚人ではないから。けれども皮肉になるまいとして、こっけいな調子を無理にまじめに話そうとするために、いつも誇張が加わる。もっともそれはわずかなものではあるかも知れないが。しかし人に深い印象を与えるように、また自分の感じたとおり単純にかつまじめに言い表そうとすること、それは自分が完全に愛している人を除いては、想像することも出来ない。……何となれば、今私がある同情のない人にそれを話しうると仮定しても、そんな風にして作られた連鎖は後になると非常に不自然なものであったことが分かるだろうから。……同時にまたある間違ったことを行ったような風に思われるであろうから。
 でなければ、むしろパリ風に取り扱わねばならぬ。そうして芸術方面の話ばかりして、あまりに詩的に見えるような、気取った言葉遣いをばしないで、並木町の通語を使って、店屋の話でもしなければならない。敏感と精妙、そうしてこれは「強い、これはあなたの見るうちで一番素的なものです」と言ったりするのである。
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by bashkirtseff | 2009-11-17 07:54 | 1881(22歳)

1881.09.27(Tue)

 昨日はベイヨンヌで家族の間で暮らし、今日はフォンタラビでまた家族の間で暮らした。私は家族と離れては外に出られない。私は馬に乗りたかった。けれども乗馬服が悪くなっている。そうしてよく知りもせぬロシア人と一緒に乗るのは面白くもない。フォンタラビは良いところである。ビアリッツは平凡で、その平凡な美において甚だ見苦しくある。だから、誰でもそこから逃げ出したくなる。すぐ向こうの小さい港のほとりに子どものこじきたちがたかっていて、うまく絵になりそうである。けれども私は早くエスパパニュを見たい。そうしてもしエスパアニュでそれ以上のものに出会わなかったならば、フォンタラビへ引き返そうと思う。
 部屋にルーレット(一種の玉転がし)があったから私はやってみた。けれども40フラン失って、その代わりに写生をした。ここは世界の端の小さい片隅である。だから誰にも私の賭けをしたのを見られなかったようにと祈っている。おお! マダム・Rの話に耳傾けながら3時間も馬車をかけらした事を想像してみて下さい! この婦人は普通の社交界の談話ほどの魅力もない平凡な話ばかりした。私は何だってそんなまねをしたのだろう!
 オテルのまずい料理は公爵婦人たちでさえ食べられるのに、なぜ私は食べられないのだろう? 私を取り囲んでいる知的貧弱になぜ私は耐えられないのだろう? 私は言うまでもなく自分のふさわしいもののみを持っている。だから、要するに、もし私が実際に卓越した人間だとしたならば、1つの手段を見いだしたに違いない。……ああ! 死のごとき倦怠!
 おお、私の子どもの時の夢! おお、神聖なる希望! ああ! もし神が存在するならば彼は見捨てたのである。私はパリにさえいれば平和である。旅行すると私は絶えず家族の人たちと一緒に投げ出されて、それが私をいら立たせる。必ずしも母たちが粗野であるとか、作法に欠けているとかいうわけではない。他人のいないときには、彼女は非常にしとやかである。そのときは本当に私の母たちである。けれども他人が混じると母はよそ行きの挙動をしたり、私を怒らせるような言葉扱いをしたりする。
 それは半ば私の落ち度である。私はいつも母たちが社交が下手だといって非難したり、彼らを励まして良く振る舞わせようと思って気に入らないことを言ったりした。その結果はこんないやな態度をさせることになったのである。いつも私は家の人たちの不平ばかりを述べている。けれども私は彼らを愛しているのである。私は自分で正しいと思っている。
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by bashkirtseff | 2009-11-10 07:42 | 1881(22歳)

1881.09.18(Sun)

 私は麻と白い毛織りの短い上着の、縁の取ってない、しかし気の利いたのを持っている。それから非常に美しいきれの靴を持っている。それから白い帽子を──幸福な女にふさわしい若々しい帽子を。これだけで非常に著しい1つのアンサンブルを形作る。
 しかし私の心持ちから言うとこれは全く気違いじみている。母様と叔母は活気もなければ、快活でもない。実際立派な海岸旅行の反対である。
 けれども私は自分だけがパリに居残って、閉じこもってはいられない。なぜと言うに、私は最高の社会を除いてはどの社交界にも決して入りたくないから。そうして要するにアトリエの沈黙と孤独とが最大の楽しみであるから。
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by bashkirtseff | 2009-11-06 07:44 | 1881(22歳)