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日付なし

 アトリエを出ると叔母と私はトゥルヴィルの大通りを通ってトロカデロの側のセーヌの岸を駆らせるために辻馬車に乗った。……よく知られてないが、何という愉快なところだろう! 私はいつもブレスロオが感じていたように、疲労を感じた。私は自分も彼女と同じようにしわくちゃになるのではないかというような気持ちがした。そうして彼女と同じように空を賛美したり、距離の調子の美を賛美したりした。しかし私はほえるような声を出した。それは剽窃(ひょうせつ)ではなしに自然に出たのである。私はそれで自分もいくらか絵がうまくなるだろうというような気がした。ブレスロオはいつも私の頭の中にある。私は彼女がどんな風にするだろうかというようなことを考えてみないでは一筆も下さない。それは画題などでは全く何物でもなくて、歴史画を除いては、絵の品質がすべてであるということを意味するのである。……しかし今はどうだろう! 確かにそれは正しい。首も、手も、描き方さえ良かったら、十分である。私の制作は平凡で! 乾燥無味で! 堅苦しい! ……私は彫刻をやろうかしら。ある日私は言った。するとジュリアンが付け加えた。──形をこしらえるのが面白くないでしょう。──これが私を冷却させた。
 しかし彫刻においてはそれは不可能である。見たとおりのものを形にするので、ごまかしもなければ、色もなければ、視力の上の錯覚もない。
 しかるになぜ皆は、例えばトニーは、私に今の道を続けて行けとは言うのだろう?トニーには利益がないからである。また、従ってジュリアンとてもそうである。なぜと言うに、私が彼らと共に仕事をするよりも1人で仕事をするようになったからである。
 私は絵のことばかり言っていてエルストニッツの別れのことを言わなかった。彼女はずっと以前から去りたいというのを、止められていた。しかしかわいそうに疲れ果てて、死ぬほど退屈していた。──まあ考えてみて下さい。私はおはようとかお休みとか言うきりで、毎晩なぜもっと話をしなかっただろうと自分を責めるが、毎日それは同じことを繰り返している。
 私は彼女に対してもう少し友情を示そうと思えば、150の寛容心をも持っていた。けれどもそこで私はとどまった。そうしてその口実をば自分を苦しめる悲しみに見いだした。
 彼女は去った。あのかわいそうな小さい人は、実際天使のような性質を備えた彼女は。そうしてその別れは私の心を非常に痛めた。けれども彼女は向こうへ行ったら、今までよりも幸福になるだろう。私が特別に気の毒でならないのは、自分の冷淡と無頓着とに対していかなる償いも出来なくなったことである。私は彼女を母や叔母やヂナと同じように取り扱った。しかしそれは私の家族に対しては返って心苦しくないことであるが、この子どもは、このおとなしい、もの優しい子どもは、そうは思わなかった。彼女は昨日の9時に去った。私は泣きだしそうになり、ものが言えなかった。それで平気な顔つきを装っていた。けれども彼女にまた会いたいと思っている。
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by bashkirtseff | 2009-10-31 08:00 | 1881(22歳)

1881.08.18(Thu)

 今日……面白くなかったら読まないでもらいますが、私は昼間は仕事をして暮らしたり、仕事をしながら自分にもっとも残酷なことを in petto〔心ひそかに〕話したりして暮らした。
 私の下書きを見ると、私の進んできた1歩1歩が見える。時々私はブレスロオが私よりも先に絵を習ったのだと自分で自分に言うことがある。……しかしその娘があなたにとっては全世界ですか? 私には分からないが、私をしてこの競争者を恐れしめるものは、軽からぬ感情であります。一番最初の日から、男たちや私の同窓の女たちは何と言ったにもかかわらず、私は彼女の才能を発見していた。あなたは私の発見の誤らなかったことを見るでしょう。その娘のことを思い出すだけでも、私は不愉快でならない。彼女が私の絵に一筆絵の具を付けても私は胸を打たれたほどの痛みを感じる。これは私が彼女において1つの力を意識しているからで、その力に対して私はついに屈服しなければならないのである。彼女はいつも自分のことを私と比較した。まあ、想像して下さい。アトリエの中の一番下らない人間たちまでが、彼女は絵が出来ないと言った。──「色が悪いとか、線がまずいとか、形が出来ないとか。」──それは私についても言われたことである。それは1つの慰めであったに相違ない。実際今では私に残された唯一の慰めである!
 1876年(2月)に彼女はすでにメダイユを取っていた。彼女は1875年6月に始めて、それ以前スイスで2年も勉強している。私は2年間彼女がもっとも著しい失敗に反抗してもがいてるのを見た。しかし少しずつ切り抜けて1879年には彼女はトニーの助言で出品した。私はそのとき絵を始めて6カ月目であった。今1カ月たてば私は3年から絵を描いたことになる。それで問題は今私はブレスロオが1879年に出品した絵と同等のものが描けるか否かである。ジュリアンは彼女が1879年に出品した絵は、1881年のよりも良かったと言った。しかしこの2人は仲が良くなくって、彼女を成功の方へ推し進めるように彼は努力しなかったために、中間に低回したままである。
 彼女の去年の絵は私のと同様に morgue〔行き倒れ広告所〕すなわち外部画廊に並べられた。今年は彼女はジュリアンと仲直りが出来てその上新しい画派の保護を受けて、本線に置かれた。メダイユは当然のものであろう。
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by bashkirtseff | 2009-10-30 07:57 | 1881(22歳)

1881.08.14(Sun)

 夕べはよく眠れなかった。今朝はまだ痛みがやまない。後ろの方までも。息をする度にそれは悪魔になる。そうして咳をする度に悪魔が2つになる。ああ! 私はどんなに丈夫だろう。本当に、どんなに丈夫だろう。
 今私は絵を投げだそうと決心した。しかしどれだけの時間を失ったことだろう!
 一カ月以上も。
 ブレスロオはどうかと言うに、彼女の賞状に励まされて、すべてがなだらかに進んでいるに相違ない。私はどうかと言うに、翼を挟まれて、信用を失ってしまった。
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by bashkirtseff | 2009-10-29 07:37 | 1881(22歳)

1881.08.13(Sat)

 さて、私は2時間かあるいはそれ以内仕事をしています。そう言ったらあなたにはお分かりでしょう! 誰に分かるでしょう? それは非常に良くなったかも知れない。それで私は決心して、すぐ自分に言った。それは気取ってばかりいて、何にも表現してない、と。実際私は私のモデルが皆嫌いである。そのとき私は選挙のすぐ後でその絵が並木町にさらされてあるのを見た。それは非常に非女性的な画題である。けれども誰に分かるでしょう? もし私がそれを固執したならあるいは……。そこにはあるいはがある。それが私をきちがいにしてしまう。ジュリアンの意見は……、しかしジュリアンは今年ジラアルについて間違った。彼は良い予言をした。そうしてそれは恐ろしい結果になった。
 私は運命に任せよう。けれどももし運命が私と同じことを言わなかったら、……そうしたら私は何と言うだろう?
 私は断言するが、それは1つの不運である。その絵にはどうしてもアレクシスが必要である。しかるに彼はいつ帰ってくるか分からない。それにもう18日しかない!
 それであなたは気が狂ったと言うのでしょう。──しかし、否、私にはまだ余裕がある!
 そうだ、運命だ。……今私は気まぐれにこの日記を開けて、気まぐれに私の指をその上に置いてみる。もし私の指の落ちた行の字数が偶数であったら、私のこの絵を思い切ろう。……
 うまく、偶数だった。──しかし……あなたは私の右の肺が悪いことを忘れてはいらっしゃらないでしょうね! それで医者たちまで、そうは私に言わないけれども、もし左の肺も同様に悪くなっていることを聞いたなら、あなたはきっと喜ぶでしょう。私はキエフの遺骨の墓穴で初めてそれを感じた。それは穴の中が湿っていたため、一時的に傷むのだろうと思った。そのとき以来それは毎日繰り返される。今夜のごときはほとんど息が苦しいほど傷んでいる。それは鎖骨と胸の間が傷むのである。ちょうど医者たちが彼らの小さい打診をする個所に。
 それで絵はどうなるだろう?
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by bashkirtseff | 2009-10-28 07:55 | 1881(22歳)

1881.08.12(Fri)

 多分あなたは私がもう何かを決定したとお思いになるでしょう! 私にはまだ何事も出来ない! 自分の無能をいたずらに感じているのみである! 旅行して失った時間を入れて数えると、何にもしないで空費したのがすでに1カ月以上になる! 私は自分が仕事をしていると想像することさえ出来ない。私は自分で作り出す無能な、乾燥な、平凡なものを思うと、出来ないうちから怖じ気がついている。恐ろしくて、何にも出来ない!
 すべてのものが皆私に対して謀反している。私はこの絵をよして、エルスニッツの肖像を描こうかと思う。けれども彼女は2日たてば去ってしまう。それで私はモデルを探しに行ったが、探し出せない。それで私はジュリアのところへ駆け付けてみたけれども、彼女は月曜日からでないと座れないという。私は門番の小さい娘の方を振り向いてみると、彼女は学校にあがるまでにあと3日きりないという。それで! ……
 それで私はイシのアマンダの家へ行ってみると、彼女は中庭で仕事をしていた! 彼女は私を実際に興奮させるほどの芸術家ではないけれども、それでも私には役立った。どうか心配しないで下さい。実に爽快になった。……私はあののろわれた絵を続けて描こうと決心して帰ってきた。
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by bashkirtseff | 2009-10-27 07:48 | 1881(22歳)

1881.08.10(Wed) 08.11(Thu)

 私は毎日パッシへ行く。けれども席に着くとすぐ自分の始めたことが恐ろしくなる。第1にそこには6度座らせて金を払って、何にも役に立たないで、暇をやったフォルチュナタがいる。それから私が気違いのようになった絵がある。ジュリアンは私に構図を変えねばならぬと言った。それは私が何にも知らないということを感じさせられるに十分であった。初めは向こう見ずに取りかかったが、始めた後でいやになってきた。実際を言うと、あと20日きり残ってない。もし雨でも降ったなら?
 私の絵はある選挙の貼り札の前に1人の八百屋の小僧がかごを持って立っていて、1人の職人が腕にナプキンを持っている男を見て笑っていて、1人の間の抜けた顔をした遊冶郎が大きなボナパルト党の帽子をかぶって立っている。その男は帽子よりほかには何にも見えない。そうして背景には1人の小さい女がいる。それは等身大である。この絵のことを思うと、私は気違いのようになって、今これを描きながらも手が震えている。私は思い付くと同時にそれがいやになった。けれどもこの絵よりほかに何にもないので、多くの日数を失いながらいまだになお決しかねている。哀れなる性格ではある! 私は自分の好きなことが出来るほど自由になったら、何にも出来なくなるであろう。私をばかにするものは私の病気である。そうしてブレスロオの賞状は私の翼を挟みきってしまう。天は正しい。私は自分に聞く、……この絵はどうなるだろう、これは新しくもなければ創意もないとジュリアンやその他の人が言わないであろうか。
 けれどもそれは真実である。もしうまくいったらば、確かに良い絵になるであろう。もしアレクシスが8月中にここに来たならば、彼に遊冶郎のモデルになってもらおう。彼が来なければ絵は出来ない。そうしてナプキンを持った老人を私はまだ発見しない。しかしこんなことは私の心が決まって全速力を出せるようにさえなったら何でもない。私は今時を失いつつある。そうして気を落ち着けるために読書をして目を悪くした。
 私のちゅうちょを誰に相談すべき方法も世界中にない。トニーはスイスに行っており、ジュリアンはマルセイユにいる。私は絶望している! 何かを決定するとすぐ1つの声が私に言う……要するに何をしたところできっと不利益になるだろう。もし私が絵をよしたなら、誰かほかの人がそれをするだろう。そうして私は死ぬほどいやな思いをしなければならないだろう。もし私がそれを続けたならば、仕事はうまくいかないで雨までが降るだろう。かつすでに20日を空費している。私のなし得るすべては、確かになさねばならぬことの反対のものであるだろう。だから私は何物にも心を用いることをやめねばならぬ。ああ! こんなになってしまったとは何という恐ろしいことだろう!
 私は少し白髪が出来た。この間私は前の方に2本発見した。それは耳が聞こえなくなってからのことである。……それだけでも恐ろしいことではあるまいか!
 おお、今……少なくともそれは私の不平を手短に切り上げさせる。私は他人より以上の不平の原因は持たない。これは事実である。けれども私がもはや何らの用をなさなくなったことも同様に事実である。社会生活、政治、知的快楽、──こういうものはすべて霧を通して以外に私と交渉しない。その霧を通してすべてのものは私の感覚に、鈍って混乱して到達する。もし私が危険を冒してそういった種類の快楽を求めるとしたならば、私は自分をこっけいで覆い、あるいは自分が愚人と思われることの危険を冒さねばならぬだろう。すべての法外なこと、とっぴなこと、放心の態度を私はサン・タマンドだけに自分の聞こえないことを隠すためにも装わなければならぬ。それは40頭の馬を喪心させるに足りるほどである。あなたが若くて、美しくて、すべてのものに対して希望を持っている場合に、自分のつんぼだということを承認することが出来ますか! こんな事情の下において、赦免やれんびんをこうことが可能でありましょうか! その上、ものの存在ということは何の役に立つか? 私は頭が裂けるように感じて、もはや自分はどこにいるかも分からない! おお! 否、私の想像していたような神はいない。上帝というものはあり、自然というものはある。それはある。けれども私が毎日祈っていた神はいない。神は私に何物をも恵まなかった! それはよいとして、神は私をこんなにして殺そうとしており、私をこの上なお不幸にしてこじき以上にすべての人にたらしめようとしている! そうして私は何をしただろう? 私は聖者ではなく、教会の中で月日を過ごしてもいなければ、断食もしない。けれどもあなたは私の生活を知っていられます。私は自分の家族に対して絶えず不幸な侮蔑(ぶべつ)を与えていたことを除けば、その他は1つとして非難さるべきことをしたことはない。毎晩神に祈って私が境遇からうちの人たちに無理なことを言わねばならなかったことの許しをこう必要があるでしょうか? なぜと言うに、もし私が母に対して良くないとしたならば、それは母が私にそんなことを言わせるように仕向けたためであることは、あなたも良く知っているはずです。
 しかし私は恐ろしく打ちくじかれています。もっとも上品な残酷なことのために打ち砕かれています。
 しかし、神、私のいつも信じていた神、そんなものは存在していない、それは可能なことではない! それなら? おお! 否、私たちはそれでも1つの神を持たねばならぬ、人のために善悪を定めるために。
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by bashkirtseff | 2009-10-26 07:56 | 1881(22歳)

1881.08.09(Tue)

 今朝医者のところへ行った。この2週間に3度目である。彼はそのたびに私に1ルイを取りに帰らせた。治療はいつも同じであった。
 実際それは人をきちがいにしてしまう。皆の言うところによると、私のよう場合には千に1つくらいきりつんぼになることはないという。その1つが私の場合でなければならぬ。毎日のどで苦しんでいる人や、死にかけてる肺病患者を見るが、しかしつんぼになる者は1人もない。ああ! 実に予期しなかった恐ろしい打撃である! 声を無くすることでも十分に悪いのに、さらにこの名状し難き苦痛が付け加えられるとはどうしたことだろう! これは小さいことに不平を言ったための刑罰であるに相違ない。刑罰を与えたのは神であるか? 許す神、恵みの神、善良の神であるか? 人間の中でも1番に忌むべき者といえども、これ以上に無情なことはないであろう!
 私は年々刻々に苦しんでいる。うちの人たちの前で顔を赤めねばならなかったり、彼らが私に話しかけるときに声を高めてくれることの親切を感じたり、店に入るたびに自分の耳の聞こえないのを知られまいとして心配したりして。けれども、それはそれほど悪いことでもないが、私が友達と一緒にいるときには、自分の不具を隠すためにどれだけの技巧を尽くさねばならないであろう。否、否、否、それはあまりに残酷な、あまりに恐ろしいことである! 絵を描くときのモデル! 彼らが私に言うことはいつも私には聞こえない。それで私は彼らに話しかけられるのを恐れている。あなたはそれが私の仕事に影響しないと思いますか? ロザリがそばにいるときには、私を助けてくれます。けれども1人きりの時は私はめまいがして、「もう少し高い声で言って下さい、私は良く聞こえないのです!」と言おうと思っても、舌が言うことを聞かない。私の神様、私を哀れんで下さい! もし私が神を信じなくなったら、それはたちどころに絶望の死を意味する。初めにのどを悪くし、その次に肺を痛め、のどからさらに耳が悪くなったのである。今それを治さねばならぬ。私はいつも体のことばかり気にしている。治術を誤ったのは、ドクトル・クリシャベルであった。彼の治術を受けてから私は……
 私の神様、私は世界の他の者から無残にも引き離されねばならないのでありましょうか? それを忍ばねばならぬのが私です、私です。私です! ああ! そのことがそれほど痛ましく感じない人も世間にはたくさんあるでしょう。けれども私にとっては……
 おお、何という恐ろしいことだろう!
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by bashkirtseff | 2009-10-24 17:21 | 1881(22歳)

1881.07.27(Wed)

 ジュリアンのところへ行って私の描こうと思っている1つの画題を話したが、彼はあまり喜ばなかった。2時間彼は私の健康のことのみを話していた。そうして少しも包み隠すところなしに。
 それは容易ならぬことのようにも思われる。2カ月の治療も何の効果がなかったのだから、彼は真実そう思ったのであろう。私自身でも容易ならぬことだということは知っている。そんな恐ろしいことは信じないまでも、自分が病気であって次第にやせ細っていくことは知っている。ブレスロオは賞状を受けた。いろいろの注文も受けている。マダム・……はブレスロオの保護者で、自分のうちでブレスロオに有名な画家を皆引き合わせている婦人であるが、この次のサロンには自分の肖像を描かせるそうである。ブレスロオはすでに34枚も売った。彼女は実際すでに乗り出しているのである。それに私は? 私は肺が悪い。ジュリアンは私に体を大事にするようにとばかり言って私を驚かした。希望さえあるならば、私とても体を大事にしないではいられない。私の年ごろでそんな病気にかかるのは痛ましい運命である! ジュリアンの言ったことは正しい。今から1年もたったら、私はどんなに変わっているだろう。私というものについては、もはや何物も残されてないであろう。今日私はコリニョンを訪問した。彼女もやがて死ぬだろう。何という変わり方であっただろう! ロザリに私は注意されていたけれども、それでも彼女を一目見ると全く驚いてしまった。死そのものであった。
 部屋の中には非常に強烈な人を悩ます肉汁のにおいがこもっていた。実に恐ろしい!
 私の鼻にはまだそのにおいが残っている。気の毒なコリニョン、私は彼女に柔らかい白絹とカチーフを持っていった。それは私の大好きなもので、5カ月もちゅうちょしていたが、天は必ずそれに報いてくれるだろうと思ってこの絶大の犠牲をなすことを決心したのである。この打算がすべての価値を奪い去った。あなたは私が弱くて、やせて、青ざめて、死にかけて、いや、死んでいると考えられますか?
 そんな状態になることはあまりに恐ろしいことではありませんか? しかし、少なくとも、若くて死ぬということは世界に哀れみの心を起こさせるでありましょう。私は自分の運命を考えると自分ながら心を動かされます。いや、そんなことはあり得ないことに思われます。ニース、15歳、3美神、ローマ、ナープルの物狂い、絵画、野心、無限の希望、そうしてついに棺の中に入るのである。何物をも得ないで、恋さえもなくして!
 私の思ったことは正しかった。私のような体で子どもの時からこんな生活をしてきた者は、生き永らえることは不可能である。年取るまで生きるということは、あまりに多くを意味するであろう。けれども世の中には私が夢想したよりもはるかに幸運な人がいる。
 ああ! 何ほどの悲しみはあっても、その中に一味の喜びは感じられる。私の思ったことは正しかった。唯一の恐ろしい痛手は自愛の痛手である。その中には何物もなく、それは死よりも悪い。しかしその他の物は? ああ! 神、死、希望なき愛、分離! すべて生である。ああ! 私は今泣きそうになっている。私の健康は救うべからざる程度に壊されて、まさに死なんとしている。ああ! しかし私はそれを嘆いているのではない。私は耳のことを嘆いているのである! それからブレスロオがある。しかしブレスロオも1つの重荷である。至る所で打ち負かされ、至る所で拒まれている。
 やはり死をして来たらしめた方がよい!
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by bashkirtseff | 2009-10-23 08:00 | 1881(22歳)

1881.07.26(Tue)──パリ

 とうとう戻ってきた! ここにいるのが生活である。ほかの場所と同時に、私はアトリエを訪ねてみた。皆が歓呼と接吻をもって迎えてくれた。私はアトリエが何より好きであり、特にジュリアンの友情と助力を得ることを心掛けているので、彼に冷淡な迎え方をされはしないかと心配していた。それは私が鏡を壊したりしたからであった。しかし災いが来るとしても、それはこの方面からではない。トニーも無事である。
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by bashkirtseff | 2009-10-21 07:48 | 1881(22歳)

1881.07.21(Thu)

 私たちは今聖ウラジミルの言葉に従うと「ロシアのすべての町の母」と呼ばれる神聖な都市キエフに来ている。聖ウラジミルは自ら洗礼を受けて、その後で、すべての人に望むものも望まないものもことごとく洗礼を施すためにドニエペルに入れた。そのうちのある者はきっとおぼれただろうと私は思う。しかし愚人たちのもっとも悲しんだことは、彼らが洗礼を受けるときに、同時に川に投げ入れられた彼らの偶像の運命であった。ロシアのことに関しては美と富について知られないことがまだ多くあるから、私が今ドニエペルは世界中で1番美しい川の1つであり、その沿岸は絵のようにきれいだと言ったならば、あなたはこれまで知らなかったことを聞いたことになるでありましょう。キエフは不規則に立てられた混溷(こんごん)の町で、山の手と下町との間には非常に険峻(けんしゅん)な街路がある。どこへ行くにも距離が遠いので愉快ではないが、しかし興味はある。昔の町については何物も残っていない。その当時のロシアの文明は、技術もなければ堅牢もなしに建てられた、つまらない、教会堂で満足していた。その結果として、今では何らの遺物も存在していない。もし私が誇張して言うならば、この町には住宅と同じ数の多くの教会堂があると言い得る。寺院と修道院はおびただしい数で、1つの小さい町に3つも4つもあって、多くの円屋根が金色に光っている。壁と円柱は白く塗られて、蛇腹と緑色の屋根をしている。中には正面全体に聖者の生活を描いたものもあるが、すべてどこまでも単純に出来ている。
 私たちはまずラヴラに行った。ここはロシアのあらゆる部分から毎日幾千という巡礼が集まってくる修道院である。
 内陣と礼拝堂とを区画している画像帷幄(いあく)には銀で彩られたさまざまの画像が描かれてある。神壇と扉には銀の象眼が施してあって、聖者たちのひつぎと同様にかなりの金額のものであろう。その他枝燭台も燭台も皆銀の装飾である。僧侶たちは宝石のいっぱい詰まった袋を持っていると言われている。彼らはロオトシルド家に劣らぬほどの金持ちだと言われている。
 ピエール大帝とニコラス帝は彼らから千万ルーブルを借りて返さなかった。そうしてそれは当然である。あなたの国の僧侶たちは貧民に物を与えるが、私たちの国の僧侶たちは誰に何物をも与えない。そうして巡礼たちがどれだけ多額の金を持ってくるかあなたには想像はつきません。仮に、1人の巡礼が1日に1スウ(約2銭)ずつ持ってくるとしても。またミサを唱えてもらったり、ろうそくを上げてもらったりするために莫大の金が消費される。それから、画像や神前に供えたメダイユなども売られる! 非常に珍しいのは狭い低い塋窟(えいくつ)で、地下の穴だけにしけて真っ暗である。皆小ろうそくをともして入っていく。僧侶が案内に立って、聖者たちの死骸(しがい)の入った開いたひつぎを見せる。死骸はまだ朽ちていないが、それは干し固められてある。それを彼らは奇跡だと呼んでいる。
 母様は例えるものもないほどの熱心をもって祈った。ヂナと父は私のために祈ったことを私は良く知っている。
 けれども奇跡は成就されなかった。あなたはお笑いになりますか? 私はどうかと言うに、そのことをほとんど信じています。教会とか、遺骨とか、ミサとかいうようなものには私は重きは置きません。けれども私は祈りをば信じています。ことに私の祈りをば信じています。今でもなお私は信じています。私の願いは聞かれなかったが、いつかそのうちには聞かれるだろうと思います。私はただ神のみを信じています。しかし私の信じる神は私たちの言うことを聞いて心配してくれる神であろうか?
 神はすぐ教会で私を治してくれることはないであろう。私はそんなことをされるにはふさわしくない。けれども神は私を哀れんで、医者を励まして、その医者が私を治してくれるだろう。……しかし、あるいは、ついには……でも私は祈ることはやめないだろう。
 母は神前に供えた画像や遺骨を信じている。……実際母は異教徒風の信仰を持っている。非常に信心深い、そうしてあまり卓越していない人間たちのように。
 もし私が画像や遺骨の力を信じるならばあるいは奇跡が現れたかも知れない? しかし、実際、ひざまずいて祈ったところで何にもならなかった。私はどこへでもひざまずいてただ神に祈るということなら良く理解している。神はどこにでもいる。……しかしどうしてこんなものが信じられるのか? 拝物教は神を低め神を災いするものであると私には思われる。多くの人には、巡礼の大部分には、神は全く目に見えない。奇跡を働くと言っても一片の干し固められた肉があるきりで、祈るとか祈りが聞かれるとか言っても木製の偶像があるきりである。……私が間違っていて、彼らが正しいのであろうか? もっとも心の明るい人は正しくなければならぬ。……私の神は少なくとも実際の信仰に必要だと言われるこんなミサとは反対のものでなければならぬ。……
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by bashkirtseff | 2009-10-21 07:45 | 1881(22歳)