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1881.05.06(Fri)

 私は今朝サロンへ行って、ジュリアンに出会った。彼は私をルフェーヴルに紹介した。ルフェーヴルは私の絵には良いところがあると言った。──私はまだ小さい娘である。
 家では今に起こることになっている変化を皆が話し合っている。私は家の者がうるさくてたまらない。父は時々途方もないことを考えている。彼は自分でそんなことを信じてもいないのに、それを固持して、すべては私がこの夏をロシアで過ごすことを同意するかしないかによると言う。
 ──世間の者におまえはおまえの家族から離れて生きていないことを見せてやりたいのだ、と彼は言った。
 私はこれまで家族から離れて生きていたことがあっただろうか! 私を責任者にしようとするこの仕組みはいとうべきものである! さて私の盃は満たされた。私はそのことを話しだして涙を流さないではいられない。彼らは何事もしないであろう。またすることも出来ない。それで私は気長く待って成り行きを見ようと思う。しかし少なくとも私は旅行しないつもりである。私はここにじっと(!!!)していて、この腕いすに掛かったままでいらいらしていることが出来る。ここは肉体的に居心地がよいから。
 おお、この倦怠、おお、この惨めさ! 私の年ごろでこんな気持ちになるのは自然であろうか? これは性格を不具にしないであろうか? 私を悲しくするところのものはこれである。もし私がある喜びを得るとか、あるいは幸運を得るとかしたならば、私はそれを受け楽しむことが出来るであろうか? 私はひとりでに現れてくる機会を利用することが出来るだろうか? 私にはもはや人と同じように物を見ることが出来ないように思われる。また……しかし、それはもうどうでも良い。
 日が暮れると私は全く疲れ果てて半ば眠ったようになって、神聖な階調が頭の中を通り過ぎる。──その階調はオーケストラの旋律のごとく高低を造って進み行く。けれども私の意力からは全く独立して。
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by bashkirtseff | 2009-02-24 19:35 | 1881(22歳)

1881.05.01(Sun)

 アレクシスが早く来た。彼は2人分の入場券を持ってきた。それで私のと一緒にすると4人行けるわけである。ムッシュとマダムと私とアレクシスと。私は自分の服装にあまり満足しない。ネズミの黒っぽい毛織物に、きれいではあるが平凡な黒い帽子、私たちはすぐに私の絵を発見した。それは特別室の左手の第1室の第2列目であった。私はその場所が気に入った。そうして私の絵が大層良く見えるのに驚いた。それは良い絵ではない。私はひどく見えるだろうと思っていたのに、そうでもなかった。
 けれども何かの間違いから私の名前がカタログに落ちていた。(私はそれを注意して訂正してもらった。)誰でも最初の日には良く見ることが出来ない。すべてを早く見たいと思うからである。アレクシスと私は、右と左を良く見るために両親から少し後に下がっていると、そのうち見失ってしまった。私はアレクシスの腕を取った。私は両親から自由になって、恐れなく歩いた。大勢の知り合いの人たちに出会って、数多くの喜びの言葉を受け取ったが、それは少しも無理に出たものとは思えなかった。それは極めて自然なことである。その人たちは、絵のことが分からないので、かなり大きな絵の中にたくさんな人物があるとそれを非常に良く見たのである。
 1週間前私は1千フランを貧民に寄付した。誰もそのことを知らない。私は自分で事務所へ行って、礼も言われないうちに急いで逃げ出した。事務員は私がその金を盗んで持ってきたと思ったに相違ない。その金に対する報酬は天が私に与えてくださる。
 ボジダアルと連れだって歩いていたアベマが私の絵に満足したという言づてを私にした。それは男の絵のように強くできているうんぬんと言って。数分後に私たちはサラ・ベルナアルのその有名な友達と出会って知り合いになった。
 彼女は非常に品の良い娘で、私は彼女に褒められたことを喜ばしく思った。ことにボジダアルの話によると、彼女はBと近ごろ仲が悪くて、彼女が今年出した絵を好まないと言っているそうであるから。
 私たちはそこで朝飯を食べて、美術の中で6時間を過ごした。私は絵のことについては何にも言うまいと思います。ただ私はブレスロオの絵を非常に高く感じたということだけを言っておきたい。非常な美である。しかし無造作な描き方と愚かな絵の具の盛り上げである。鳥のつめのような指と、岩の裂け目のような穴の空いた鼻と、恐ろしいつめと、堅さと、絵の具の浪費と。実際それは印象派のにおいがして、バスティアン・ルパージュの模倣である。
 あなたは自然の中のどこでこんな染みとこんな透視を見たことがありますか?
 しかしそれにもかかわらず、この絵には美がある。人は皆バスティアン・ルパージュのウォルフの肖像と「こじき」の間に挟まった3つの首を見ている。
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by bashkirtseff | 2009-02-23 22:07 | 1881(22歳)

1881.04.23(Sat)

 Bの肖像をトニーのところへ持っていった。彼は最初非常に良く整っていると言ったが、2、3の注意を与えて後、私ぐらいまだけいこの浅い人としては驚くべく良くできていると言った。
 ──全く実に良く行ってます。もしこのままで進んでいったら……
 しかし私は勉強を続けるつもりだと言って彼の言葉を遮った。自分に出来る限りまだいくらでも勉強すると言って。
 私は魅せられたようになった。実に良く行ってる! 見事である! してみると、私は単に良く進んでるというだけではない。……ああ! 私はまだ息をしている! 私はすでに卓越した学生の仲間に入っているのだ。……ああ、本当に、何という幸運だろう!
 肖像はきれいに出来ている。B…は白い麻布の着物の、短い膨らんだ袖のついたのを来て腰にセキチク色のリボンを結んで、麦わら色の肩掛けを両腕までかけて、左手に1つのバラの花を持っている。首は正面の顔を真っすぐにして、半ば薄い陰影で、半ば光である。背景は中間のねずみがかった緑色で、暖かく透明である。私が自分にいくらかでも才能を作り上げたのだとは思わないでください。まだそこまでには行きません。けれども整頓が手際よく、女が美しく、仕事の日数も少ない者としては実に良く行っている。
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by bashkirtseff | 2009-02-21 13:34 | 1881(22歳)

1881.04.06(Wed)

 私は9時まで父のために出られなかった。父は私に今日は仕事をしに行くなと言った。けれども私は描きかけの胴に興味が向いていて、出掛けないではいられなかった。それで晩さんまで厳粛な家族の人たちの顔を見られないであろう。晩さんが済むと家の人たちは芝居へ出掛けるはずで、私1人が留守をするのであろう。
 父は芸術家とはいかなるものであるかを理解しない。また芸術が名誉をもたらすことをも理解しない。私は時々彼はただそんな概念を持っているような顔をするのみだと思うことがある。
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by bashkirtseff | 2009-02-21 13:32 | 1881(22歳)

1881.04.05(Tue)

 驚いた! 父が来た。私はアトリエに呼びに来られた。父は食堂に母と並んでいた。母は1千の愛の注意を父の注ぎかけていた。ヂナとサン・タマンもそこにいて、この夫婦の幸福を楽しそうに眺めていた。
 私たちは皆で出掛けた。ムッシュとマダムとべべ(赤ちゃん)とで。私たちはムッシュのために買い物をして、それからボアへ行き、それからちょっとカラゲオルゲヴィッチ家を訪問した。
 彼は言うまでもなく母を連れ帰りに来たのであろう。けれども私はまだ何事も知らない。私たちはあまりに興奮している。
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by bashkirtseff | 2009-02-19 14:31 | 1881(22歳)

1881.04.03(Sun)

パッチが昨日のように生気のある歌い方をしたのを聞いたことはなかった。彼女の声は力と新鮮と光輝で満ちていた。シシリの夕べのボレロ(エスパーニュ風の舞踏曲)はアンコールされた。
 私の神様! 何という美しい声を私も昔は持っていたことでしょう! それは力強く、戯曲的でかつ蠱惑(こわく)的の声であった。それはあなたの背中に寒けを感ぜしめるような声であった。それに今では、何物も残されてなく、何物もうわさされなくなった。
 ──私は良くなるだろうか? 私はまだ若い。多分良くなるだろう。……
 パッチは心に触れない。けれども彼女は人を泣かせることが出来る。彼女の声を聞いていると私は花火を思い出す。昨日はある個所で彼女は驚くべき音律の洪水を注ぎだした。純粋な、光輝ある、微妙な! ……
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by bashkirtseff | 2009-02-19 14:30 | 1881(22歳)

1881.04.01(Fri)

 4月ばかの冗談ではないが、私は女王である。ジュリアンが昨夜真夜中すぎに、ルフェーヴルのところからの帰りに、私のところへそのことを言いに来てくれた。私たちはアトリエでポンスを飲んだ。今日ボジダアルは私が頼みもしないのにチヂエエル(下の若い男学生)から聞いてきたと言って、私が2番であることを確言した。本当とは思えないほどによいことである。
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by bashkirtseff | 2009-02-19 14:29 | 1881(22歳)

1881.03.30(Wed)

 私はアトリエに行かないで済むように、10時まで眠がっているようなふりをしていた。私は非常に惨めである。
 ここにジュリアンの返事がある。それは私をいくらか慰めてくれる。……まあ考えてみてください。いいえ、絵が不合格になったとしたら私はどんなであろうか! あなたには想像がつかないでしょう。そのときはもう……。実際私はただ自分に対して不平を言うだけである! そうして私には、自分の不幸の原因であるのと、他人のために苦しむのと、どちらがより多く悪いか分からない。……ああ! それは胸を打たれた弾のようでもあろうか。私にはどうしたらよいか分からない。……けれども、私は希望を持っていなければならぬ。……
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by bashkirtseff | 2009-02-19 14:28 | 1881(22歳)

1881.03.29(Tue)

 私はアトリエでブレスロオはもう合格したということを耳にした。そうして私の絵についてはまだ何のうわさも聞かない。今日は12時まで仕事をして、それから買い物に行った。それが非常に長く感じられた。
 私は世界中のあらゆる沈黙の議論をし尽くして、熱病と頭痛のみを得た。表面は平静にしているけれども。
 しかしあのばかなロザリが、私の不安を書いたトニーへの電報を打つのに家の人たちに金を出してくれるようにと言ったので、その電文を読まれてしまった。実にいやなことである。私はアトリエに行くことも出来なければ、ここにいることも出来なくなった。おお! 私の家族! ……
 私はあなた方に苦しめてもらいたくはないのである。
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by bashkirtseff | 2009-02-19 14:27 | 1881(22歳)

1881.03.24(Thu)

 私は寝台の下に歴青のつぼを発見した。これはロザリが私の健康を心配してある占い者の忠告に従って置いたものである。私の家族はこの機転を召し使いとして甚だ感心なことだと思っている。母はことに感動している。けれども私はその中の水を寝台の下のじゅうたんの上に返して、ガラス窓を1枚壊して、仕事部屋で寝た。腹が立ったからである。
 それは私の着物を乾燥することと同様にうるさいことである!
 私の家族は私が自分で寒い目を見ているのは深い考えがあるごとく想像している。それは非常にうるさいので私は時々布団を掛けないでいることがある。すると彼らはいくら言っても駄目だという証拠にそれをしてしまう。おお! この人たちは私をどこまで怒らせるのだろう。……
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by bashkirtseff | 2009-02-19 14:26 | 1881(22歳)