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1880.10.01(Fri)

 私たちのところへ訪ねてきたロシアの人たちが、私にロシアの出来事を話してくれた。その人たちの長女は、試験の日に大公が見えるというのに、大公の訪問を受けるよりも試験を早く通過したいと言ったために、警察の厳重な監視の下におかれたという。別の日に彼女は近視眼だから鼻眼鏡を掛けていると、女が眼鏡を掛けるのは新思想の証拠だと言って警察に呼ばれたこともあった。一語のために追放されたり、毒殺されたり、流刑に処せられたりする。警官が夜家宅捜索をして、それほど危険でない場合にはヴャトカ(底本:「ヴィアトカ」)あるいはペルミ(シベリアに近きロシア東南地方/底本:「ペルム」)へ送り、危険の場合にはシベリアあるいは絞首台へ送るのである。ロシアではどの家族でも、流刑に処せられたりとか絞首されたとかあるいは少なくとも監視の下におかれたとかしない者が1人でもある家はないということである。探偵組織が完全に行き渡って、自分の家で話しても、親類同士で話しても、官憲の耳に達しないで済むことは決してない。
 気の毒な国である。ある時私は自分がそこへ行かないことをひきょうだと自ら責めたことがあった! しかし行くことは可能であろうか? 社会主義者は殺人や奪略を行う凶漢どもである。政府は専横でかつ愚妹である。この2つの恐るべき分子が互いに争って、賢明な人たちはその間に押しつぶされている。その娘は2時間ほど話した後で私に向かって、私の言った10分の1のためだけでも私は監獄に入れられるか首を絞められるかするだろうと言って、もし私がロシアへ行けばそれきりだと言った。
 それでも私はもしその美しい国の人民の権利が相当に重んぜられて、そこで有用な人間となることが可能になって、また「検閲がやかましすぎる」と言ったために流刑に処せられるようなことがなくなるならば、行ってみようと思う。
 こんなことを思うと心が躍動する。私は社会主義の害悪をも政府の害悪と等しくこれを憎むものであるが、公明正大な自由党を作ることは一体可能なことであるだろうか?
 ああ! もし私の絵のことさえなかったら、……
 おお! フランス人は自分たちが幸福でも自由でもないと言って不平を鳴らす! 今では恐怖時代のフランスにあったと同じことがロシアにも行われている。手1つ動かしても、言葉1つ発しても、人は命を失わねばならぬ。ああ! 人は相当に幸福になりうる前に、まだまだしなければならぬことがいくらもある!
 「われわれは今女を解放しようとしているが、」少デュマは言う、「それが終わればわれわれはさらに進んで神を解放するように試みねばならぬ。そのときはこの3者、すなわち神、男、及び女の間には完全な理解ができて、われわれは一層明瞭に見ることが出来、一層確実に進むことが出来るであろう。」
 婦人問題はもっとも忌むべき問題の1つである。人はこの問題以外のすべてのものは進んだと思う時は、気抜けのしたような心持ちになる。デュマの小冊子 Les Femmes qui Votent et les Femmes qui Tuent〔投票する夫人と棄権する夫人〕を読んでみなさい。デュマの偉大なる才能もこの小冊子においてはもはや私を感動させない。もっとも、男ははるかにまだ高い地位を持っていて、女に対して強力であるけれども。しかし大体から見るとその中には相当によい点もある。
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by bashkirtseff | 2009-01-31 18:08 | 1880(21歳)

1880.09.29(Wed)

 昨日から私は非常に新鮮な、透明な、美しい、自分ながら驚くような顔をしている。そうして目も輝いて生気に満ちている。顔の輪郭までが一層きゃしゃに完全になったように見える。ただ誰も見る人のない時にそうあるのが残念である。こう言うとばかばかしく聞こえるかも知れないが、半時間も私は鏡の前で自分の姿に見とれていた。こんなことがあってからずいぶん久しいことである。……
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by bashkirtseff | 2009-01-30 18:57 | 1880(21歳)

1880.09.28(Tue)

 昨夜から楽しい日が始まった。私はの夢を見た。彼は病気で醜く見えた。けれどもそれは少しも気にならなかった。──私はその時初めて、人が愛するのは美のためではないことを知った。──私たちは以前のように友達のごとく話し合っていた! 私はただ1つのことを望んだ。それは私たちの友情が続かれる限りいつまでも変わらないでありたいということである。
 それはさめている時でも私の夢であった。要するに、私は昨夜ほど幸福に感じたことはなかった。
 サンタマンドが昼食に来た。お世辞の雪崩。私はああでありこうであると言って。この冬は私の周りに、élite〔卓越した人たち〕の一団を作ろうと言っていた。彼は有名な人たちとか相当の人たちとかを連れてくるつもりである。私はそんなものをば望まない。私はただ笑ってばかりいた。
 少デュマは、若い娘たちは恋をしないでただ選択をするのみだと言っている。なぜと言うに、彼らは恋はどんなものであるかを知らないから、と言っている。してみると、一体恋をばどこへ置くつもりでしょう、ムッシュ・デュマ?
 人は大概何らかの思想を持つ程度には物事を知っている。……ムッシュ・デュマが恋と呼ぶところのものは単に恋の結果でありかつ自然的完成に過ぎないものであって、決してそれだけで独立した完全なものではない。少なくとも相当に礼節ある人にとっては。「しばしば避け難き結果である。そうしてそれなしではいかなる恋も可能でない。」と同じデュマは言っている。彼はまたそれを「愛の最後の表現」と呼んでいる。それを私は承認する。けれども若い娘に恋がないというのは無意義である。私は自分ではそれについて何にも知っていない。けれども恋には、嫌いなものに対しては、その中に人を近寄せないあるものを持っており、愛する時にはその中に「愛の最後の表現」を持っているように私には感じられる。
 それからまた時々心の中に生々しい空想がわくことがある。あなたには私の意味するものがお分かりでしょうが、……それは男が近寄せないような態度でない時である。しかしそれは恋とは関係のないものである。何よりも私を恐れさせるものは、私が何とも感じない人の唇の上に接吻することである。私にはとてもそんなことはできないだろうと思われる。
 しかし愛する時には、ああ! それは……全く別問題である。例えば、昨夜私は夢の中で愛した。時としてはさめている時にも私にはそんなことがあった。さて、それは実に純潔で、実に温情に富んで、実に美しい。恋は壮大で純粋な感情で、その中にあるすべてのものが清浄である。
 ムッシュ・デュマのは客観的なものではなく、ただ感じられたことの結果に過ぎない。そうして人がすでに愛しているものをますます愛するための一手段に過ぎない。
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by bashkirtseff | 2009-01-30 18:56 | 1880(21歳)

1880.09.17(Fri)

 昨日私はまた耳を診てもらいに医者のところへ行った。彼はこれだけ重大になろうとは予期していなかったことと、以前からこのくらいしか私は聞こえなかったのではあるまいかということを言った。それを聞いて私は全くがっかりした。実に恐ろしいことだ。私はもちろんつんぼではないけれども、かすみを隔てて物を見るようにしか聞こえないことは事実である。例えば、私には目覚まし時計の刻む音が聞こえない。恐らくすぐそばまで行かなければ2度とそれを聞くことはできないだろう。これは実に不幸である。時としては、対話の間にも聞き落とすことさえたくさんある。……しかし、まだめくらやおしにならないで済んだことを私は天に感謝したいと思う。
 私はものを書く時に全くかがんでいる。そうして座っていようとすると、恐ろしく体が痛む。こうなるのは泣いた結果である。皇太子の死んだ時に私はこれと全く同じ痛みを感じた。私は今朝から泣き続けている。
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by bashkirtseff | 2009-01-30 18:53 | 1880(21歳)

1880.09.10(Fri)

 叔母の非常な感動。ドクトル・フォオヴルは1週間前に私の肺を調べて異常を発見しなかったが、今日再び調べてみて気管支が侵されていることを発見した。彼は病気の重大になることを先見しなかったので、まじめくさった、感情的な、多少当惑した顔をした。それから肺病患者に用いる処方となって、肝油やら、ヨードを塗るやら、熱い牛乳を飲むやら、フランネルを着るやら、……。そうして最後に彼はドクトル・セエあるいはドクトル・ポオテエンのところへ行くなり、彼らを呼ぶなりしてみてはと忠告した。あなたは叔母の顔がどんなであったかを想像することが出来るでしょう。私はただおかしくてならなかった。私は長い間そういった種類のあることを懸念していた。冬になると決まってせきが出た。今でもまだせきが出てのどが詰まっている。
 その上、もし私に何事も生じなかったら不思議であろう。私は何か重大なことが起こって、それで片が付いたならば満足するであろう。
 叔母は驚いており、私は喜んでいる。死は私を驚かさない。私はそれで片が付くことを欲している。……どうぞあなたは知っておいて下さい。……だから私はフランネルも着なければヨードも塗らないつもりである。私は良くなりたいとは思っていない。その心がなかったなら、私は自分でしたいと思うことをするだけの健康と生命をば持つであろう。
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by bashkirtseff | 2009-01-30 18:51 | 1880(21歳)

1880.09.07(Tue)

 今日は雨。……私の生涯のもっとも不愉快な事件が頭の中を群がり過ぎる。その中には遠く過ぎ去ったことでありながら、それを思い出すと、急に体の痛みを覚えるように飛び上がって両手を握り絞らないではいられないようなものもある。
 私の周りのすべてのものは変化しなければならぬという私の発見は必要なことである。……私は自分の家族が嫌いである。私には叔母や母様の言うことが言わない先から分かっている。またどんな場合にも彼らのすることが分かっている。彼らはサロンで、プロムナードで、海岸でどんな顔をするか、それを考えると、私は歯を食いしばらないではいられない。……例えば、ガラスのきしむ音を聞かされるように。
 私の周りのものは皆変化してしまわねばならぬ。そうして私もいま少し落ち着いてきたら、彼らを相当に愛することができるであろう。しかし彼らは私を ennui〔倦怠〕で殺しそうである。私が何かの皿を拒絶すれば、彼らは驚いた顔つきをする。また彼らは食卓に氷を用いないためにも、それが私の気に触ると思う時は、あらゆる手段を実行する。また彼らは私の開けた窓を閉めるために泥棒のように忍び足で来る。その他1千のささいなことが私をいら立たせる。しかし、私はこの家に属するすべてのものにつかれたようになっている。
 何より不安なことは、こんな孤独の中で私はさびてしまいはしないかということである。この黒い気分が知能を濁らして私の頭を裏返しにしてしまう。私はこんな黒い雲が永久に私の性格の上に覆いを掛けて、私を苦い酸っぱい陰気な人間にしてしまいはしないだろうかと恐れている。私はそうなることを望まない。ただそれを恐れて、心は沈黙の間に悲しみに沈みそうである。
 私の挙動は完全だと言われている。年取ったボナパルト党の人たちがアドリイヌにそう言ったことがある。……否、私にはいつも一種の不安がのし掛かっているように思われる。私はいつも悪口を言われたり、軽蔑されたりして、名簿の中に書き込まれることを恐れている。……そうしてそのうちのどれかは、たとえ人は何と言おうとも、離れなくなるに相違ない。……否、私の家族は彼らが私をどんなにしたかということを少しも考えない。私の悲しみが私を驚かすのは、ただ女に欠くべからざる明るい性質が永久になくなりはしないかという心配のみである。
 なぜ私は生きているか? 何の役にここで私は立っているか? 何を私は手に入れたか? 名誉でもなければ、幸福でもなく、また平和でさえもない! ……
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by bashkirtseff | 2009-01-29 16:52 | 1880(21歳)

1880.09.02(Thu)

「そのほか、彼は多く読書して、人が自ら負うところの深甚真摯の教えを得た。これはいやしくも才能の人が20歳と30歳の間に求めたものである。」このバルザックの言葉は私を喜ばせる。
 今度私はリュ・ドゥ・ラヌラグ(底本:「ラヌラア」)のパシ45番地に1つの庭園を借り入れた。それは外光の習作を描くためで、1本の木の下にイルマを裸体にして、等身大で始めた。
 まだ相当に暖かい。それで私は急がねばならぬ。これが人生である。要するにそれでも結構である。私はどうしてこんなに何となしに不安を感じるのだか自分でも分からない。私には何だか煩わしいことが起こりそうに思われてならぬ。独りで閉じこもって仕事をしていながら自分で安心な気持ちになっていたい。……しかし人間は愚かでかつ悪意のある者だから、あなたがどこの隅に隠れていても、あなたを捜し出して煩わしさを与えようとする。
 それにしても何事が起こるのであろう? 私には分からないが、あるいは考えだされたものとか、あるいは誤り伝えられたものとかであるかも知れない。それが私に対して繰り返され、私を苦しませるであろう。……
 それともあるいは何か卑しむべきことが起こるかも知れない。さほど重要ではないが、ちょっとした恥辱になるようなことが。例えば、私の不幸のような。──それ故私はビアリッツに近づかないようにしている。
 ──なぜいらっしゃらないの。マダム・G…は言った。いらっしゃいよ。お母さまと叔母さまへは、私から話してあげますわ。……本当に、ビアリッツへいらっしゃいな。本当に立派ですよ。いろんな人に会えますわ。
 笛〔たわごと〕だ! 社交界の言い方で言うならば。私は1人でいさしてくれるなら、パシの庭園にいつまでもいたいと思っている。
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by bashkirtseff | 2009-01-29 16:47 | 1880(21歳)

1880.08.22(Sun)──パリ

 8時。何という気持ちよさに私のアトリエは見えることだろう!
 私は週間絵入り新聞やらその他の小冊子やらを読んでみた。……何もかも落ち着いていて、旅行などをしなかったようである。
 午後2時、私は自分の心を煩わしくするものは芸術家の耐え忍ばねばならぬすべての種類の煩わしさに等しいものだと思ってわずかに自ら慰めて(!)いる。なぜと言うに、私は貧乏というものも、親の圧制というものも感じていないから。……そうしてこれは多くの芸術家の苦しんでいる点ではあるまいか?
 才能だけでは私は成功しないだろう、もしそれが天才の躍動とならない限りは。……しかしそんな躍動は3年間も研究して偉大なる天才についてもなお得られなかった。ことに今のごとく、周囲に多くの才能がある場合でさえも。私は良い思い付きが浮かんでも、卒然として、夢を見ているか何ぞのごとく、つまらないことをしてしまう。……私は自分を軽蔑しかつ憎む。すべての人(その中には私の家族をも含む)を軽蔑しかつ憎むがごとく。……おお、家族……例えば汽車に乗ると叔母はいろいろな小さい政策を労して私を窓の開いていない側に腰掛けさせようとする。私は争うのが嫌になって言うことを聞くが、ただし向こう側は開けたままにしておくという条件で。しかし私が眠ると彼女はすぐにそれを締め切ってしまう。私は目が覚めると、靴で窓をけ破ってしまうと言って怒鳴り出す。けれども、もう私たちは着いていた。それから朝飯の時に私が物を食べないと言って心配そうな顔つきをしたり、芝居か何ぞの様に目をつぶったりする人がある。もちろんこの人たちは私を愛している。……しかし私には、人が愛する時はますます理解が出来るものだというふうに思われる! ……
 心からの怒りは人を雄弁にする。
 雄弁な人、もしくは政府に対して怒っていると信じている人は、壇上に立って自ら1つの名声を作る。しかし女には自分の勝手に立たれる演壇がないのみならず、女は自分の父、義理の父、母、義理の母、その他自分を終日落ち着かせない人たちに煩わされる。女はいくら怒っても、自分の化粧卓の前で雄弁になりうるに過ぎない。結果は──ゼロである。
 そんな場合に……母はいつも神のことを話しだす。もし神様のおぼしめしならば、とか、神様のお助けによって、とか。
 うちの人たちはあまりしばしば神に呼びかけるので、小さい義務は大概皆どこへか行ってしまう。それは信仰でもなければ、もちろん帰依などではなく、1つのマニアであり、弱点である。ものぐさな、無能な、懶惰な人たちの憶病さよ! すべて神の言葉を持って自分の感情を覆い隠さんとするほど不作法なことがあるだろうか? もしその人が神を信じているならば、単に不作法なだけでなく、また罪悪でもある。何事かが起こると決まっていれば、必ず起こるであろう、と彼女は言う。自分で確証することの煩わしさを避けて、また後悔する心配のないように。そうしてもし何事でも皆前もって決まっているとすれば、神は1つの立憲的主宰者であり、私たちの自由意思であり、不徳であり、また徳であるにとどまらねばならぬ。
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by bashkirtseff | 2009-01-28 12:03 | 1880(21歳)

1880.08.19(Thu)

 私は今朝は何にもできない。目も頭も疲れている。それでも日曜まではここにいなければならないのである。
 もう今日は時間がない。明日は金曜日である。もし金曜日に立つことになるとこんな場合に決まってある面倒なことが起こるかも知れないと思う。
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by bashkirtseff | 2009-01-28 11:59 | 1880(21歳)

1880.08.18(Wed)

 今日は長く乗りすぎた。──5時間馬の背中にいたのと、人を疲らすような治療法とで私は全く弱ってしまった。
 私はこの治療法の結果がこの土地の下らない医者が私を非常に弱っていると言ったその言葉を実証することになりはしないかと恐れている。実際彼は私に向かって、この治療法をやり通せば21回の入浴をしても耐えうるように強壮になると言った。医学は嫌な学問である。
 私たちはサンシの頂上まで登った。この嫌なモン・ドールを取り囲んだ山脈で、そこから見下ろすとモン・ドールは平たく見えた。サンシの頂上からの眺望は実際に壮大なもので、私はそこから日の出を見たいと思った。遠い水平線は地中海を思い出させるような青い色をしているが、そこがここにおいてのすべての美である。足で登ることは非常に疲れるが、ひとたび頂上に達すると、世界中を取ったような気持ちになる。
 そこには私たちと同じように遊びに来た人が大勢いた。彼らは皆自然を損なった。
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by bashkirtseff | 2009-01-28 11:58 | 1880(21歳)