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1879.11.19(Wed)

 今夜ロベール・フルリが尋ねてきて、私にいろいろ忠告を与えてくれて、それから私たちは私のアトリエでサモヴァルを取り囲んで楽しい宵を過ごした。彼はランプをどんな風にともせば良いかということを丁寧に私に教えてくれた。トニーは報酬も受けていなければ、その他の利害関係も持っていない。その上彼はまじめな人である。今夜彼はマダム・ブレスロオに言ったことを繰り返して、学校では彼女の娘(マドモアゼル・ブレスロオ)と私だけが才能があって、ほかの人は皆駄目だと言った。彼は一人一人を批評して、彼らの気取りを素っ気なく取り扱っていくのを見るのが私には面白かった。
 彼は私を陰でのみ褒める。けれども、きっと成功するからやめてはいけないと言って勧めてくれた。素人としてならば私はすでに才能を備えているが、もう少し高いところを望まねばならぬと言った。もう少し堅実な行き方をしたならもう少し進むはずだと言った。これからは特別に良く見てあげようと言った。家へも来て忠告してくれると言った。年中アトリエばかりにいないで、時々はモデルを連れて帰って家で描いたり、夜は塑像をしてみたりするが良いとも言った。彼はそのうちシャピユを連れてこようと言った。
 要するに私は全く彼の世話ばかりになっている。それで私は何とかしてそれに報いたいので、私の塑像を小さいのでよいからひとつ描いてくれるようにと頼んだ。そうしてこれがあまり高くかかりはしまいかと思ってせっかくの私の幸福が減ってきた。
 この人は絶えず話したり忠告したりして実に愉快であった。私を悩ますものは模写をすることである。
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by bashkirtseff | 2008-12-26 09:19 | 1879(20歳)

1879.11.15(Sat)

 私はゾラを賛美する。けれども誰でも言うことで私の言いたくない、また書きたくもないことがある。しかしそれは恐怖だと思われてはならぬから言っておきますが、1番悪いのは purge〔くだす〕という言葉である。私は canaille〔賤民〕とかそういった種類の言葉を用いることにはちゅうちょしないが、ただしあの小さなたあいもない汚い言葉は嫌でならない。
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by bashkirtseff | 2008-12-26 09:16 | 1879(20歳)

1879.11.14(Fri)

 もし数日間何にも書かないことがある時は、それは書くべきことがないからである。
 これまで私は人間に対して優しくしてきた。私は他人の悪口を言ったこともなければ、人が他人の悪口を言ったのを繰り返したこともない。どんな人でも私の目の前でそしられている場合にはその人を弁護した。ほかの人たちもその報いに同じことを私にしてくれるだろうという勝手な考えから。私は何人をも迫害しようとまじめに考えたことは1度もない。もし私が財産とか権勢とかを望んだとすれば、それは寛大、善意、慈善の心からであった。今から考えると自分ながら不思議ではあるが、しかし私は成功しなかった。
 もちろん私は往来でこじきに出会えば今後とても20スウくらいの金はくれてやるつもりである。なぜと言うに、こじきを見ると私はいつも涙ぐましくなるから。──けれども私は段々悪くなっていくように思われる。嫌な顔をしていても善良であれば美しくも見えよう。しかし意地悪で口やかましくていたずらなまねをすることは面白かろう。それは神に対しても同様であるから。そうして神は何物をも認めないから。
 その上、私たちは神は私たちの想像するようなものでないことを信じなければならぬ。神は多分自然そのものであろう。そうして人生のすべての出来事は機会によって支配されるのであるが、これが時々不思議な符合を生じるので、人は天意というものを信じるようになるのである。私たちの祈りとか、信仰とか、神との談話とか、……そういったものについては、私はすべて皆無用なものだと考えている。
 天地を動かすほどの知恵や力を心には感じながら、しかも自分は何物でもないとは、どうしたことであろう! 私は声を立てては叫ばない。けれどもこの苦悶は私の顔に書かれてある。黙っていると人は何事もないと思う。けれどもこの種の考えはいつも表面に現れるものである。
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by bashkirtseff | 2008-12-25 10:37 | 1879(20歳)

1879.11.10(Mon)

 私は昨日教会へ行った。私はニヒリストと言われたくないので、いつも教会へ行く。
 私は時々面白半分に、人生は通路に過ぎないと言ったりする。私は実際それを信じたいと思っている。それはすべての哀れなこと、悲しいこと、つまらないことで私を慰めてくれるであろう。全世界はいたずら者のために出来ている。私がこれらの下らない些事(さじ)にとらわれないでいるのは、毎日の雑談にこの嫌悪と驚きとを感じるからである。
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by bashkirtseff | 2008-12-25 10:33 | 1879(20歳)

1879.11.08(Sat)

 門番の女の肖像を仕上げた。そうして非常に良く似ている。それはこの下宿で無限に喜ばれた。娘も、婿も、孫娘たちも、妹たちも、皆大喜びである。
 不幸にしてトニーはこの熱心に加わらなかった。彼は悪くはないと言って褒めた。……しかしもっとうまくいきそうなものだと付け加えて。私が絵の具よりも線の方に才能を多く持っていることは拒まれない。線、組み立て、形、すべてこれらはひとりでに出て来るけれども、絵画的の一面は同じ程度に容易には発展しない。彼はこんな風にして私が暇をつぶしていることを好まない。私はこの状態から脱して、これを償うべきことを何かしなければならぬ。
 ──あなたはただなすり付けているのです。あなたは非常に才能があって、有望なだけに、甚だ困りますね。
 ──私だって困っているのです、ムッシュ。でも、私にはどうして変えていったら良いか分からないのですもの。
 ──このことは早くからお話ししたいと思っていたのです。あなたはあらゆる方法でやってみなければいけません。多分出口を見いだすことだけが問題なのでしょうから。
 ──何をしなさいと私に言って下さい。模写とか、彫塑とか、生物とか? 私は何でも言って下さることをいたします。
 ──何でも言うことをやってご覧なさい。ねえ! そうしたらきっと切り抜けることが出来ましょう。この次の土曜日に私の所へ来て下さい。また詳しく話しましょう。
 私はずっと以前に土曜日に彼の所へ行くべきであった。生徒たちは皆そうしているのである。確かに彼は良い人である。
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by bashkirtseff | 2008-12-24 09:54 | 1879(20歳)

1879.10.30(Thu)

 フランスは面白い愉快な国である。暴動と、革命と、流行と、機知と、美と、純化の国である。簡単に言えば、生活に興味と刺激とを与えるあらゆるものの国であるけれども、まじめな政府や有徳の人(言葉の昔からの意味において)を求めても駄目である。また愛の結婚を求めても駄目である。また真の芸術を求めても駄目である。フランスの画家は皆立派ではある。けれどもジェリコー(ドラクロワと並び称された画家/1791-1824/底本:「ゼリコオル」)と、現在においてはバスティアン・ルパージュを除いては、神聖な霊感というものが欠けている。そうして決して、決して、決してフランスは、イタリアやオランダがある特殊のものにおいて制作したようなものを制作しえないであろう。
 フランスは女にいんぎんなことと快楽の多いことにかけては美しい国であるが、その他のことにかけては……しかしほかの国は尊敬すべき堅苦しいところがあって退屈なことがあるが、フランスだけは常に何物かを持っている。私がフランスについて不平を言うのは私が結婚していないからである。……フランスは若い娘たちにとっては不名誉な国である。ただしこの言葉はあまり強い意味で使ったのではないが、2つの動物を結合することにおいて見られる冷静な皮肉は、フランスで男と女を結婚させることにおいてもっとも良く見られる。
 商売、取引、投機は適当の場所に用いられれば名誉ある言葉にもなるが、結婚に用いられれば不名誉な言葉となる。しかしフランスの結婚を表すのにこれ以上に適切な言葉はひとつもない。
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by bashkirtseff | 2008-12-24 09:51 | 1879(20歳)

1879.10.29(Sat)(もとのまま)

 私の絵は非常に非常に良くできた。昨日私たちは席の競争として「1時間の略画」を描いた。それが今朝トニーの閉じ込められている小さい部屋に並べられた。けれども彼は順番をつけることは不可能だと言って、1時間の制作などはつまらないことだと言って、絶対にそれを拒み、後ろ向きになってでたらめに順番をつけようと言った。もしこれがあまりまじめでないのならば、むしろ面白い話である。私たちは戸口で聞いていた。
 ──マドモアゼル・マリ、彼は言った、あなたはまだ若い方です、あなたを1番にしても実は良いのですが、しかしこんなものは何にもなりません。この次あなたの1週間の仕事を見せてください。それによって順番を決めましょう、こんなものは無意義です。
 第3番はコンクールとして私には甚だ良い地位である。
 ガンベッタがパリに帰ってきた。
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by bashkirtseff | 2008-12-24 09:50 | 1879(20歳)

1879.10.11(Sat)

 今週の中ごろ私は描きかけの首をやめてしまった。それで、ロベール・フルリは大きいアトリエから小さいアトリエの方へ入って来た時に、私は時計の後ろに隠れた。けれども彼は私を見て、友情のあるしかり方をした。そうして私が答えていると、彼は行ってしまった。私の方を振り向いてかぶりを振りながら。それで彼は前の方を見なかったので戸口に鼻を突き当てた。そうして私は笑いだした。そんなわけで彼は私の胴を直す時も非常に冷淡で、褒めるような言葉はひとつも言わなかった。この次には私はもう少し成功するかも知れない。今は哀れにかき乱されていらいらしているのみである。もしジュリアンが構図の点で少しでも私を慰めてくれなかったならば、私は絶望して床の上に倒れたかも知れなかった。毎週土曜日になると私はひどく感情を刺激される! ……もし教師たちが私の苦痛を察したならば、何にも言わないくらいな親切は持ってくれたであろう。
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by bashkirtseff | 2008-12-24 09:48 | 1879(20歳)

1879.10.01(Wed)

 書物が届いた。私はマダム・アダム(フランスの有名なジャーナリスト、1879年に彼女は Revue Nouvelle を創刊した/当年43歳)の評論の第1部となっている200ページを読んだところである。
 それは私を転倒させた。4時にアトリエを出て新しい帽子をかぶってボアへ散歩に行った。その帽子は注意をひいたが、しかし今ではそんなことに私は気を取られない。マダム・アダムは非常に愉快な婦人だと思われる。
 私はこんな実際問題に私の哀れな頭が影響されることをあなたが十分に理解して下さると信じています。昔風の忠節といったようなことになされるべきことが何にもない。今でも私はスミレを愛する。けれどもただ花として愛するのみである。
 私は共和制の方へ、新思想の方へと進んでいく。今日は全く Revue Nouvelle のことばかり考えている。私がある一定のときに公爵ナポレオン(ナポレオン1世の末弟、始め共和主義に同意してフランスを追われ、帝政崩壊後、代議士となり、1879年皇太子の死後、この人の子がボナパルト家の嫡流となった)に傾倒するように果たしてならないかどうかということが誰に分かるだろう。この人は私にはナポレオン3世よりも好きである、そうして実際に偉いところがあると思われる。あなたに理解して頂かねばならぬが、私は冗談を言っているのではない。私は進めるだけすでに進んでいるのである。私たちは時と共に動かねばならぬ。ことにそうすることの拒み難き必要と欲求を実際に感ずる場合には。
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by bashkirtseff | 2008-12-23 12:52 | 1879(20歳)

1879.09.17(Wed)──パリ

 今日は水曜日である。幸運の日である。17日はさらに幸運の日で、その日に私は今彫刻を始めようとしている。私は仕事場のことについていろいろと調べてみた。
 ロベール・フルリが昨日学校へ来た。あまり直されるところはなかったので、彼は私にいろいろと忠告を与えて、私は構図、線、似ることなどには特長があるが、これまで欠点となっていた一面を勉強したらどうだと言ってくれた。
 それで、今私は絵を描く代わりに、ガスの光で塑像をこね上げている。私が色を無視しないことはあなたにはお分かりでしょう。なぜと言うに、日中私は絵の具で描いている。そうして日が暮れるとすぐ塑像にかかる。これはもう確定したのであるか? そうです、確定したのです。私はアマンダ(強壮なスウェーデン人)と散歩に出ると、彼女はトニー(昨日私に非常に親切であった)を訪問して生徒たちのうわさをしたことを私に話した。トニーは、A…はいつまでも線と構図でうまくいかないだろうと言ったそうである。実際彼女は飛んだ絵を制作する。膨れた頭とか曲がった目とかいったようなものを。次にブレスロオについては、十分の進歩をしていないとトニーは言った。するとジュリアンは、彼女の才能は忍耐そのものだと付け加えた。エンマは利口ではあるが怠け者で、かつ開けない考えを持っている。それから私は非常に才能があって、同時に熱心で、勉強家で、まじめで、驚くべき急速の進歩をなして、非常に良い線を出すと言われた。要するに「賛辞の合奏」であったそうだ。それならば本当に相違あるまい、ほかの人に言ったことであるから? とにかくそれを聞いて私は勇気が出た。私はまだまだ勉強して、うまくなろうと思う。
 私は田舎へ行きたい。木や草の茂った、例えばシュランゲンバードのような、あるいはゾーデンのような、ただしあの退屈なむき出しなディエップなぞとは違った、本当の田舎へ行きたい。皆は私が田舎を好まないと言う。私はロシアの田舎は好まない。けれども木や新鮮な空気は非常に好きである。どこか青々とした香気の良いところなら2週間ばかりも過ごしてみたいと思う。私はローマへ行きたくてならない。けれどもローマのことはなるたけ言わないようにしている。この日記の中でも。このことを思うと興奮するから、そうして私は静かにしていたいのだから。
 私が田舎生活のことを思い付いたのはテュイルリー公園を横切っているときであった。けれどもどうしたなら私はそれに耐えられるだろう? 私は田舎は好きであるが、むき出しの吹きさらしの海岸は嫌いである。……しかし2週間も私の家族と一緒にスイスに行っていたなら、たまらなく退屈になるだろう。うるさいこと、言い訳のしくら、それからあらゆる家事上の何やかやと。
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by bashkirtseff | 2008-12-23 12:49 | 1879(20歳)