<   2008年 11月 ( 64 )   > この月の画像一覧

1878.10.26(Sat)

 私の絵はこれまでのよりも良く出来ていた。裸体習作も良い。ムッシュ・T…がコンクールの審査役であった。ブレスロオが1等で、私が2等。
 まあ満足しなければならぬ。
 今朝ロベール・フルリが私の彫塑に対する計画について隅で私に話している時、私は子どものように無邪気な顔をしてほほを赤らめて手持ちぶさたにして立っていた。彼は話しながら微笑した。私も微笑した。それは新鮮なスミレの香りを私がかいだような、常に干からびて縮れている私の髪の毛が美しい陰影で満ちているような、また何を持っていたか知らないが私の手がおかしな姿勢をしているような、そんな気がしたからである。
 ブレスロオはいつも言う、私の手が物に触れる様子は美そのものである、私の手は古典的の意味から美しいとは言えないけれども、と。
 しかしこの美を発見するのは芸術家でなければ出来ないことである。ブルジョアと社交界の人は人が物を持つ様子などには気を付けない。それでいつも私の手などよりも太った平べったい手の方を良いとくらいに思っている。
 10時と11時の間に私は5つの新聞と2冊のデュリュイに目を通す暇があった。
 私はこんなに学校で成功していることが私のためにならぬことではないかと心配している。私はこのように順調に進んでいくことをほとんど恥じている。そうして「非常に良い」とか「大層良い」とか言われると自分で困難に打ち勝ったことも進歩したことも意識しなくなってしまう。──それでもブレスロオがそう言われるのを聞くと彼女が大芸術のごとく思われてくる。それでいくらか自分でも気を取り直しているのである。
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by bashkirtseff | 2008-11-29 10:23 | 1878(19歳)

1878.10.20(Sun)

 私は9時に馬車を命じて、私の女官なるマドモアゼル・エルスニツを従えて、聖フィリップ、聖トーマ・ダカン(底本:「トマス・ダカン」)、ノートルダム(底本:「ノオトル・ダアム」)を見に行った。私は頂上まで登って、鐘を見た。イギリスの娘たちのように。すると、そこに私の好むパリがあった。それは昔からのパリである。私は処々のブールバール(並木街路)やシャンゼリゼなどの、すべて新しいきれいな部分がきらいでたまらないが、それを避けてさえいればパリに住んでも幸福にしていられる。しかし郊外に出てサン・ジェルマン〔昔の王宮の跡/パリから13マイル/底本:「聖ゼルマン」〕などへ行くと全く別な感じがする。
 私たちはエコール・デ・ボザールを見た。腹が立って泣きたくなった。
 なぜ私はそこへ行って研究することが出来ないのだろう? この学校のような完全な教え方をどこで得られるだろう? 私はローマ賞の展覧会を見に行った。第2等は、ジュリアンの学生の1人が取った。ジュリアンは非常に喜んでいる。私は金持ちになったら女のために美術学校を建てようと思う。
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by bashkirtseff | 2008-11-29 10:12 | 1878(19歳)

1878.10.16(Wed)

 女たちのねたみを見ているとばかばかしくなるが、しかし苦痛でもある。けちで、下等で、みすぼらしい。私は人をねたむということはどんなことだかこれまで知らなかった。私はこれまで通りにしていられないのが残念なだけである。
 卓越したものに私は屈従する。残念ではあるが屈従する。しかるにこの人間たちは……話をするにも前から考えていたことよりほかは口にしないし、誰でも教師に褒められた人のことを話したり、今1人の人、それは私のことであるが、その1人の人のことを話したりする時には、微笑を見せなかったりするのである。それはアトリエの成功は何にもならないということを証明するためであろう。
 最後に、彼らはコンクールは茶番みたいなもので、ことにルフェーヴルには悪趣味があってつまらない写生を喜ぶだけであるとか、ロベール・フルリは色彩家でないとか、そんなことを結論してしまった。要するに教師は皆有名な人たちではあるが不十分であるというので、これはエスパアニュの娘とブレスロオとノグランの断定である。私も、彼らがアトリエの成功は何物でもないということには全然同意見である。何となれば永久に平々凡々で終わりそうで、そのくせ他の学生の目から見ると一流の美術家のように思われている実例がここにも2つ3つあるから。
 私は学生に嫌われ、教師には好かれている。
 これらの学生たちの言っていることは10カ月前に初めてのメダイユを取ろうと思っていたころに言ったこととまるで反対になっているのを聞くことは非常に愉快である。なぜ愉快であるかと言うに、それは世界中至る所で演ぜられる喜劇の1つだから。しかしそれは私の神経をいら立たせる。つまり私が正直な性質だからではなかろうか?
 こんなアトリエ内の争いは私がいくら理性を働かしても私を悩ましいら立たせる。私は彼らを後に見捨てようと思うほどに実際性急になっている!
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by bashkirtseff | 2008-11-29 10:10 | 1878(19歳)

1878.10.14(Mon)

 ──下は満員です。ジュリアンが言った。あなたの裸体習作を持って降りましょう。お出しなさい。
 こんなことは何でもないことだとは思うけれども、それでも私はうれしかった。
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by bashkirtseff | 2008-11-28 09:44 | 1878(19歳)

1878.10.12(Sat)

 私の裸体習作は実に、実に、実に良いと言われた。
 ──ああ! あなたは本当に天才があります。やればどんなことでも出来ます。
 私は賛辞に慣れてしまった。(これはただ形式のために言うのであるが。)R…の言ったことが真実だという証拠は、皆が私をねたんでいるのでも分かる。そんなはずはないとは思いながらも、それでも私は苦しい。彼らがそんなことを私に言う時には、ことにそれを言うのがR…の様なまじめな人である場合には、その中に何かが含まれているに相違ない。
 ジュリアンはどうかと言うに、彼はもし私が私の評判を皆聞いたらば気が変になるほど喜ぶだろうと付け足して言った。
 ──あなたは今に得意で酔っておしまいになりますわ。女中はそう言った。
 私はいつもこの日記を読む人が、私は金持ちだから人にへつらわれているのだと思われはしないかと心配している。それはどうでも良い。私はほかの人たちと同じ金しか払いはしない。ほかの人たちには勢力のある友達もあれば、教師をも良く知っているから、その上あなたがこの日記を読むころには私の成績はすでに疑われなくなっているだろうから。ああ、少なくとも私はそのくらいの報酬は得なければならぬ。
 人がその成績で尊敬されているのを見ることは喜ばしいものである。
 R…はカロリュスのまねを始めだした。彼は行ったり来たりする。(彼は世界博覧会で大賞牌を得た人である。)彼は絵を直したり、シガレットをふかしたり、ひじ掛けいすにかけたりして、話し込む。それを気に留めない。彼は私を生徒としてかわいがってくれてることを、私は良く知っている。ジュリアンもそうである。
 この間スウェーデンの娘が私にある忠告を与えた。するとジュリアンは私を自分の部屋に呼んで、私は持って生まれたままの傾向で描いて行くが良い、初めは弱い絵になるかも知れないが、それでも私自らの絵である、「もしあなたが人の言う通りになるようだったら、どうなってしまっても私は責任を負いません」と言った。
 彼は私に彫塑をやってみるように希望している。そうしてデュボア〔有名な彫刻家/このとき49歳/1829-1905〕に見てもらおうと言った。
 今日私はパリに来て初めて馬車で遠乗りをした。着物を着替えて、髪を上げて、急がないからゆっくり時間をかけて小ぎれいに身じまいをした。そうしてヂナは母と家に居残ったから、私は上座に腰掛けた。馬の方へ背中を向けて乗るのは、愉快ではなくて苦痛である。これから土曜日ごとに私はこうしようと思う。あなたもいらっしゃるか知れないがボアへ行ったりするのは愚である。今日私は久しぶりに私自らに戻った。私は成功した。皆私を見た。
 私は喪服を着て、羽根のついたフェルト帽をかぶっていた。全体の効果が上品で気が利いていて単純であった。
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by bashkirtseff | 2008-11-28 09:43 | 1878(19歳)

1878.10.09(Wed)

 ジュリアンの学生たちが美術学校(エコール・デ・ボザール)のコンクールで得た成功は彼のアトリエに良い地位を与えることになった。
 学生は十分以上にいる。銘々がローマ賞か少なくとも美術学校賞を得るつもりである。
 婦人のアトリエもこの栄誉を分け前している。そうしてロベール・フルリはルフェーヴルやブーランジェと対立している。何につけてもジュリアンは言う。──下〔階下の男学生〕ではどう言うでしょうね? とか、私は下の学生諸君に見せてやりたいと思っています、とか。
 私は実際自分の描いた物が下に持って行って見せられることの名誉を望んでいる。あなたにはお分かりでしょうが、下へ持って行って見せるというのは、女でもこのくらい出来るということを知らせるためか、あるいは、彼らがいつも女は駄目だと言っているから彼らを憤慨させるためかである。とにかく長い間私は自分の絵が下へ持って行かれることの名誉を望み考えていた。
 さて! 今日ジュリアンは部屋へ入ってくると、私の描いていた裸体習作を見ていたが、こう言った。
 ──それを良く仕上げなさい。私が下へ持って行って見せてやりますから。
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by bashkirtseff | 2008-11-27 10:15 | 1878(19歳)

1878.10.07(Mon)

 愚かな人たちは私が第2のバルザックになりたいのだと思うかも知れない。私はそんなことは考えていない。しかしあなたにはなぜバルザックが偉いかお分かりですか? それは彼が何でも自分の思うことを、恐れも気取りもなく、極めて自然に書いているからであります。誰でも知識のある人ならどんな風にして書いたらば良いかということを彼が知っていたくらいには知っているはずである。しかるに彼と同じように書けた人がないのはどういうわけであろうか? すべての人に与えられた同じ能力でも現れては全く別の結果を生じている。
 否、ほとんどすべての人が必ずしも同じことを考えたとは思えない。けれどもバルザックを読むと、その真実、その自然が、誰でも自分の頭の中にもその通りの考えが以前からあったように感ぜしめられる。
 しかし私のことを言うと、これは100度もあったことであるが、あることを話したり考えたりしているうちに、自分の頭の中にあったような考え、自分の頭の混沌から引き離すことの出来ないような考えで恐ろしく悩まされることがあった。私には今1つ言うことがある。それは私が何か正しい聡明なことを言っていながらも、人に理解されそうもないと思われることである。
 おそらくは実際人は私が理解してもらいたいと思うようには理解してくれないものであろう。
 おやすみなさい、皆さん!
 ロベール・フルリとジュリアンは私の上に大きな希望を築き上げている。例えば、私を大懸賞でも取りそうな馬か何ぞの様に大事にしている。ジュリアンは褒めると私が付け上がってくるだろうということをいつも手まねでほのめかしてばかりいるけれども、反対に私は褒められると励みになるということを彼に断っておいた。それは事実である。
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by bashkirtseff | 2008-11-27 09:59 | 1878(19歳)

1878.10.05(Sat)

 今日はロベール・フルリがアトリエで私たちの絵を見てくれる日であった。さて私は大変な驚き方をした。彼は、おお! おお! ああ! ああ! おお! おお! と幾通りもの調子で叫んだ。そうして言った。
 ──あなたは今度は絵の具で描くんですね?
 ──そうじゃありません、ムッシュ。私は一月に一度だけ絵の具を使ってみようと思うんですの……
 ──いや、大丈夫。もう始めてもいいでしょう。絵の具でやってみなさい。いいところがあるようです。
 ──絵の具の使い方が間違っていたんじゃないかと心配致しましたわ。
 ──その反対です。全く進歩しました。続けてやってみなさい。そう悪くもないようです。うんぬん、うんぬん。
 その後で私は長いこと教訓を与えられたが、それによっても私の場合はアトリエでの評判通り、有望でなくはないことが分かった。アトリエでは私は皆に好かれてはいない。少しでも私が成功すると、B…は見てもおかしくなるほどの恐ろしい顔を私に与えるのである。
 しかしロベール・フルリは私がこれまで絵の具で描いたことがなかったというのを信じようともしないのである。彼はいつまでも私のそばにいた。直したり、話したり、タバコをふかしたりしながら。例えば彼はカロリュスででもあるように。
 それから余分の忠告を幾つか与えてくれた後で、私は去年のコンクールでは何番目だったかと尋ねた。それで2番だったと私が答えると、……
 ──今年はきっと、彼が言った、あなたは……
 ふむ?
 おかしな話である。彼は私がメダイユを取るだろうと言うことをすでにジュリアンに話しているのに。
 結局私は静物の研究をしないで実物からすぐ絵の具で描いて良いという許しを容易に与えられた。私は石こうを飛ばしたように静物をも飛ばすのである。
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by bashkirtseff | 2008-11-27 09:56 | 1878(19歳)

1878.10.03(Thu)

 今日私たちは国際的な、戯曲的な、音楽会のマチネーで4時間ばかりを過ごした。まずアリストパネスのものがあったが、驚くべき服装で、筋をはしょって、悪く変更して、実にいとうべき演出であった。
 立派だったのは「クリストファー・コロンブス(底本:「クリストフ・コロム」)」という戯曲的暗唱をロッシがイタリア語でしたことであった。何という声、何という調子、何という表情、何という自然さであったろう! それは楽器よりも美しかった。イタリア語を理解せぬ人にとっても立派に思われたことと思う。
 それを聞いているうちに私はほとんど彼を崇拝するような心持ちになった。ああ! 何という偉大な力が言葉の中にこもっていることだろう。その言葉が単に暗唱されたばかりで、真の雄弁というでもないのに!
 その次に美しいムネ・シュリー〔フランスの俳優/1841-1916/底本:「ムネ・スリ」〕の暗唱があった。……しかしこの人のことは言わないことにしよう。ロッシの暗唱は高い芸術である。彼は大芸術家の心を持っている。帰りに私は彼が出口で2人の男と話しているのを見たが、平凡な風采であった。彼は俳優には違いないが、彼のごとき芸術家には日常生活の中にも性格のすぐれたところがあるに相違ない。私は彼の目を見て、彼が平凡人でないことを知った。けれども、その魅力は彼がものを言う時のみに現れる。……ああ! しかし、不思議ではある。……芸術をあざけるニヒリストたちがあることを考えると!
 何というつまらない生活だろう! 私は聡明であったら、これから脱出することを知り得たかも知れなかった。しかしただある人の声を信用するのみであった。そのある人というのは私自身のことである。どこに私は自分の英知を証拠立て示したであろう!
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by bashkirtseff | 2008-11-27 09:55 | 1878(19歳)

1878.09.30(Mon)

 初めて正式に絵の具を使ってみた。私は静物の研究をすることになっていたので、あなたも知っていられる通り、青い瓶にミカンを2つ添えたのと、別に男の足先と、これだけに絵の具を使った。
 私は古い物を描くことはやめにしたが、静物の仕事などもしなくてよかりそうである。
 私はコリニョンに男になりたいと書いてやった。自分でも何かになれるだろうとは思っている。けれども女袴などを着ていて何が出来ると思いますか? 結婚だけが女の唯一の仕事である。男には36の機会がある。女には1つきりない。それも賭博台の上に積み立てられた金のようなもので、その金は取られるに決まっている。人は女だって同じことだと言うけれども、そうではない。取られてばかりいるのである。しかし、年中夫の洗濯のことばかりにどうして構っていられよう? 私は女の現状に対して今日ほど腹立たしく思ったことはこれまでに一度もなかった。男女平等というようなことは理想の夢であり、かつそれは悪い形式であり、男と女ほど懸け離れた2つの生物の間に平等というようなものがあるはずはなく、それを要求するほど私は気違いじみてはいないものである。私は何物をも要求しない。なぜと言うに、女はすでに持つべきものを皆持っているから。けれども私は女であることを恨めしく思う。なぜと言うに、私の身の回りには封筒よりほかに女らしいものは何1つもないから。
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by bashkirtseff | 2008-11-26 14:47 | 1878(19歳)