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1878.03.02(Sat)

 今朝ロベール・フルリに非常に褒められた。
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by bashkirtseff | 2008-06-29 22:26 | 1878(19歳)

1878.02.24(Sun)

 私はアトリエに行って、人は誰でも意思があって私ぐらいにもがいて、気違いじみた生き方をしたなら、成功しないはずはないということを証明したいと思う。
 ああ! それにしても何という道の遠いことだろう! 誰でもせっかちになってしまう。……私もせっかちになってしまう。それは当然なことだ。しかし、20にもなってから自分の力を示すことになっても私は遅くはないと思う。それに私は20にもなったら、私の希望が正当なものであるかないかが分かるだろう。
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by bashkirtseff | 2008-06-29 22:23 | 1878(19歳)

1878.02.15(Fri)

 明日はオペラに行きたくない。
 今日はいつものように絵を描いたが、自分でも不満足で仕方ない。いつかもこのことをロベール・フルリに話すと、土曜日に彼は私の裸体習作を直しながら言った。
 ──これはあなたが描いたのですね?
 ──そうです、ムッシュ。
 ──あなたはここへ来る前に全身を描いたことはないでしょう?
 ──ありません。
 ──あなたは不平がおありでしょう?
 ──ありますわ。
 ──早く進まないからというのでしょう?
 ──おお! そうなのです、ムッシュ。
 ──ところで、私があなたの地位にあったならば、私は満足していますがね。
 それはお世辞とも思われるほどの優しい上機嫌で言われたのであった。
 そうだ! 私はいつになったら肖像画が描けるようになるだろう? ……少なくとも1年、……私はそう望んでいる。
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by bashkirtseff | 2008-06-29 22:22 | 1878(19歳)

1878.02.13(Wed)

 私の絵は少しも進歩しない。私には何か不幸なことが起こりつつあるように思われてならぬ。何か私が間違ったことをしてその結果を心配しているような、あるいは何かの迫害を予期しているような、そんな心持ちである。つまらないことのようではあるが、私はとにかく気掛かりでならぬ。
 母様は幸福にしていないが、それは母様自らの欠点である。私には母様にぜひともしないでいてもらいたいことが1つだけある。それは私の物に手をつけたり、私の部屋を片付けたりしてもらいたくないことである。私が何と言っても母様はいつもほとんど病的な強情を持って、それをするのである。それがどんなに腹立たしいものであって、どんなに私の性急を増さしめ、どんなに私の物の言い方を必要もないのに粗暴にするのであるかを、あなたに知って頂きたいと思う。
 私は母様が実際私を愛していると信じている。私もまた実際母様を愛している。けれども私たちは2分間も一緒にいると、すぐに苦しめ合ったり涙を流し合ったりする。つまり、2人一緒になっていると苦しくなり、離れていると不幸に感じられるのである。
 私は絵のためには何もかも犠牲にして良いと思っている。それが私にとっては生活そのものであるから。そのことは忘れてはならぬのである。
 だから私は独立せねばならぬ。それがためにどうなるとしても構わない。
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by bashkirtseff | 2008-06-29 22:21 | 1878(19歳)

1878.02.12(Tue)

 私の席に着く時間を皆でだましておいて、1人のエスパアニュの娘とほかの2人の娘が、自分たちは私に何も言いはしなかった、間違えたのは私だと言った。このうそはすべてのうそと同様に私を憤慨させた。ことに私はスイスの娘たちのためにしてやったのに、彼らは私のために一言も口を利かなかったから、私は人道のためなおさら憤慨せざるを得ないのであった。
 私がそれを言うのは、それを知っておいてもらいたいからである。私自らは別に保護を受ける必要はない。私は自分が正しい時だけ抗議するのである。
 今朝は少しも仕事が出来なかった。ただ見ているばかりであった。午後はベルトが来たので私は休んだ。
 今夜はイタリア座で La Traviata(ラ トラヴィアタ)があった。アルバニ、カプウル、及びパンドルフィニ、皆大芸術家である。しかし私をば少しも満足させなかった。それでもさすがに最後の幕では私は死にたいとは思わなかったけれども、何もかも幸福になりつつあるのに自分だけはあんな風に苦しんで死ぬのだと思った。
 これは私の持っている1つの予感である。
 私は en bébé〔子どものように〕着物を着ていた。──やせて格好の良い体つきの者には似合わしい着物である。両肩に白いチョウ型の結びが付いて、首と両腕がむき出しになっているから、私はベラスケス(エスパアニュの肖像画家/1599-1660/底本:「ヴェラスケス」)の描いた子どものように見えた。
 死ぬ、と言うととっぴに聞こえるかも知れない。けれども私は自分でも死につつあると思っている。私は長生きをするはずはない。私は普通の型に従って作られた人間ではない。私はあるものをばかなりたくさんに持ち、あるものには欠乏している。これは続かない性格である。もし私が神であるならば、全世界が私に仕えているとしても、私は悪く仕えられていることを発見するはずだと思う。
 およそ私ほど気まぐれな、気難しい、性急な人間はないであろう。私の頭の中には、時々、いや、いつも、理性と平静の流れが通っている。けれども私にはそれを正確に説明することが出来ない。
 私の言いうることは、ただ私が長くは生きられないだろうということのみである。計画も希望も功名心もことごとく地に落ちてしまうのである。私はすべてのことにおいて自分を欺いてきた。
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by bashkirtseff | 2008-06-29 22:14 | 1878(19歳)

1878.01.29(Tue)

 私には今度のコンクールが真剣に気になってならないものだから、気の毒なロザリは私を奮い立たせるために超人的の努力をしなければならなかった。
 私は賞牌(しょうはい)を得るか、しからざれば最終の仲間の中に入れられたいと思っていた。
 ところがどちらでもなかった。私は2カ月前と同じ地位にとどまっていた。だから失敗である。
 ブレスロオに会いに行った。彼女はまだ病気である。
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by bashkirtseff | 2008-06-01 21:50 | 1878(19歳)

1878.01.28(Mon)

 明日はコンクールの決定する日である。私は悪い地位を得やしないかと心配している。
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by bashkirtseff | 2008-06-01 21:49 | 1878(19歳)

1878.01.12(Sat)

 ワリツキが今朝の2時に死んだ。
 昨夜彼に会った時彼は私に向かって、半ば冗談のごとく、半ば悲しそうに“Addio, signorina”〔さようなら、お嬢さま〕と言って、イタリアを思い起こさせた。
 私が自我主義もしくは怒りからでなくて涙を流したのは、おそらくは今日が初めてであろう。どこまでも無害で、どこまでも善良であった人の死には、特別に人を動かすあるものがある。彼は誰にも害を加えたことのない忠実な犬のようであった。
 1時頃に彼は少し快くなっていた。それで婦人たちは皆部屋に退いた。彼が息苦しくなった時は叔母だけがそばについていた。それで叔母が顔に水を吹いてやらねばならなかった。
 少し気持ちが良くなると彼は祖父様にぜひともおいとまごいがしたいと言って立ち上がった。けれども彼が廊下まで出ると、もう力がなくなって、わずかに3度自分で十字を切って、ロシア語で「さようなら!」と大きな声で言うだけのことが出来た。母様とヂナが目を覚まして、彼のところへ駆け付けてみると、彼は叔母とトリフォンの腕の中に倒れていた。
 私はそれを思い出してみることも出来ない。それは不可能に思われる。それはあまりに恐ろしい。
 ワリツキは死んだ。それは取り返しのつかぬ損失である。あんな性格の人を実生活において見いだすということは、ほとんど信じられない。
 私たちの家族の皆に対して、犬のように懐いていた。そうしてあくまでプラトン的であった。おお! 実に、どこまでも私というものの無かった人である。
 あなたは書物ではそういった種類の人のことを読んだでありましょう。私はどうかしてあの人に私の思っていることを伝えてやりたかった。神様が私たちのあの人について考えたり、話したりしていることを、どうにかしてあの人に知らせて下さることを私は望む。あの人は今どこにいるか知らないけれども、どうにかして私の言っていることを聞いてもらいたい。仮にあの人がこれまで私に対して不平があったとしても、今では私のこの深大な尊敬と友情と悲哀のために私を許してくれるだろう!
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by bashkirtseff | 2008-06-01 21:48 | 1878(19歳)

1878.01.07(Mon)

 私は自分の芸術の将来を信じているのだろうか、信じていないのだろうか?? 2カ年は生涯ではない。2カ年たった後でも、また懶惰と娯楽と旅行の生涯に帰ろうと思えば帰られる。……けれども私の望むことは有名になりたいことである!
 私はきっと有名になってみせる。
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by bashkirtseff | 2008-06-01 21:44 | 1878(19歳)

1878.01.06(Sun)

 そうです! 私はあなたの意見に同意します。時は過ぎ行きます。それを以前私が過ごしたいと望んでいたようにして過ごせるならば私にとっては何よりうれしいことでしょう。けれどもそれは不可能なことでありますから、私の才能の結果を待つことにしようではありませんか。それでも遅すぎるということはないだろうと思います。……
 私たちは引っ越しをした。今度の居所はアベニュー・ド・ラルマ、67号である。私の窓からはシャンゼリゼの馬車の通行が見える。私は客間兼用のアトリエをもらいだした。
 祖父様は運ばれてきたが、見るのも痛々しいほどであった。彼が部屋に運び込まれるとすぐヂナと私はそのそばへ行って世話をしてあげた。お気の毒な祖父様は私たちの手を接吻した。
 私の寝室はナープルを思い出させる。祖父様の部屋ではガラスが一枚壊れていた。
 そうだ。私の部屋はナープルを思い出す。もう旅行の季節が近づいてきた。何だかまた以前の私の懶惰(らんだ)の柔らかい霧が覆いかかってくるようだ。……駄目だ! ……
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by bashkirtseff | 2008-06-01 21:44 | 1878(19歳)