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1878.01.04(Fri)

 どうして私の昔からの性質はこんなに眠ってばかりいるのだろう! それはほとんど跡形もなくなった。時々過去の思い出が昔の苦しさを呼び覚ます。けれども私はすぐと気を転じる。……何に? 芸術に? それは楽しみなことである。
 それならこれが最後の改変であろうか? 私は長い間一生懸命になってこの目的を、すなわち自分をのろうこともなければ、人をのろうこともなしに、毎日を過ごして行かれるこの生活法を探し求めていたのであるが、今でもそれを発見したとは信じられない。
 私が黒いブラウスを着ていると、殿堂(タンブル)のマリ・アントワネットに似ている。
 私は自分の望ましく思っていたものになりつつある。自分の力を信じ、外面は穏やかになって、煩わしさとか、争いとかを避けて、必要でないことはなるたけしないようにしている。
 要するに私は少しずつ自分を完成している。私が完成という言葉で意味することを良く理解して下さい。完成というのは、私のことに限った意味の完成である。
 おお! 時よ! それは何事にも必要である。
 時はそれが障害となる時には、この上もなく恐ろしく、この上もなく心をくじかせる、この上もなく打ち勝ち難きものとなる。
 私にはどんなことが降り掛かってくるとしても、今では以前に比べてはるかに用意が出来ている。以前は私は全く幸福ではなかったということを白状しなければならなかったのが腹立たしくてたまらなかった。
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by bashkirtseff | 2008-04-29 22:32 | 1878(19歳)

1877.12.31(Mon)

 何だか気持ちがすぐれない。祭日を休まなかったから、それで私は気がすぐれないのであろう。スイスの娘たちの家へ降誕祭の木を見に行った。輝いて愉快であったけれども、私は10時まで仕事をしたので眠くてたまらなかった。私たちは運命を占わせた。ブレスロオは花輪をもらいだし、私はローマ賞をもらいだすということであった。そうしてその他の人たちは失敗するということであった。それにしても、全く不思議である。
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by bashkirtseff | 2008-04-26 20:26 | 1877(18歳)

1877.12.30(Sun)

本文なし
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by bashkirtseff | 2008-04-26 20:25 | 1877(18歳)

1877.12.29(Sat)

 今日はムッシュ・ロベール・フルリに大層気に入られた。彼は少なくとも半時間は私の描いている実物大の2本の足の前に立っていて、また私にこれまで一度も絵を描いたことはなかったかとか、本当に真剣になって絵を学ぶつもりであるかとか、いつ頃までパリにいられるはずかとか聞いた。彼は私にどうして成功するようになったかと尋ねて、始めて油で描いたのを見たいと言った。私はただ慰みに描いていたと答えた。彼がいつまでも私のそばにいるので、皆が話を聞きに集まってきた。そうして皆の(多分)驚いている中で彼は私に絵の具を使いたければすぐ始めても良いと言った。
 それに対して私はそれほど絵の具が使ってみたいというのでもないということと、どっちかと言えば線画を完全にしておきたいということを答えた。
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by bashkirtseff | 2008-04-26 20:25 | 1877(18歳)

1877.12.22(Sat)

 ロベール・フルリが私に向かって言った。──誰だって自分で満足するということは決してないものです。
 そんなことをジュリアンも言った。実際私は自分で満足したことがないから、その言葉がまた考えられるようになった。ロベール・フルリはその他さまざまの喜ばしいことを言ってくれたが、その後で私はそう言って下さってありがとうと言った。その訳は、私はもう全く自分というものが嫌になって、気抜けして、失望していたところであるから。そう言うと彼はびっくりして目を見張った。
 実際私は気抜けしていた。私の描いたものが人を感心させなくなってから、私は気抜けしてしまった。これは甚だしく不幸なことである。
 事実は私は未聞の進歩をしたのである。彼はいつも私が異常の才能を持っているということを繰り返した。私の描くものは「よく似る」とか、「全体の調子がよい」とか、「線が正しい」とか言われた。「これ以上どうしたいというのです、マドモアゼル? あまり分からないことを言うんじゃありません。」彼はそう言って言葉を結んだ。
 彼は長い間私の画架の前に立っていた。
 ──もうこのくらい描けるようになれば、彼は言った、始めに首を指し、それから肩を指して、こんな風に肩を描くには及ばないのです。
 スイスの娘たちと私は変装してボナ(宗教画、肖像画家/当時44歳/底本:「ボンナア」)のところへ行って男性として画室に入れてもらえまいかと頼んでみた。もちろん彼は50人の若い男性は少しも監督の下に置かれていないのだから絶対に不可能なことだと言って断った。その次に私たちはムンカクシ(私はどうつづるのだか知らない)というウンガリアの画家のところへ行った。この人は立派な家を持っていて、非常に才能のある人だ。スイスの娘たちは12カ月前に紹介状を持って訪ねていったことがあるというので、彼は良く知っていた。
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by bashkirtseff | 2008-04-26 20:23 | 1877(18歳)

1877.12.15(Sat)

 期待されていた通りブレスロオは非常な成功をした。絵が大層良くなったのである。私はどうかと言うに、頭は大変に良いそうで、裸体も悪くないとは言われる。
 私は……自分でもなんと言って良いか分からない。ブレスロオは3年勉強しており、私はたった2カ月きり勉強していない。考えてみると、つまらないことだった。ああ! 3年前から始めていたら、たった3年で良い、3年と言えば長い年月ではない、私は今ごろは有名になっていたものを!
 アトリエでは1つの喜劇が始まっている。皆で金を出し合わせてムッシュ・ロベール・フルリとムッシュ・ジュリアンに皆の写真を贈ろうということになった。ちょうどそのときエスパアニュの娘は、自分が首席だと思い込んで、ブレスロオに失敬な態度を見せたので、ブレスロオが激しい答え方をして、それで学生たちが2組に割れてしまった。
 スイスの娘たちは、5人とも、一心同体となって、エスパアニュの娘に口を利かなくなった。ウィリアム・テル(底本:「ヴィルヘルム・テル」)の子孫の人たちは写真の寄贈を拒絶して、とうとうすっかり怒ってしまった。私は彼らを皆控室へ呼んで、そんなまねをするのは愚ではありませんかと話してみた。彼らは先生に対して失礼な申し出をして、同時にエスパアニュの娘をそれだけ重く考えさせて喜ばせていたのだから。
 それで彼らは決心を考え直すことになった。そのとき私はエスパアニュの娘を自分の優越者と絶対に認めないことを知らせてやるために、今朝9時になったらば金箱を開けてみることにしようと言い出した。恐ろしいエスパアニュの娘はまだ来ていなかった。皆は私の言い出したことに賛成して、それを実行することになった。私が数えてみたらば107フランと1スウあった。それで私はその結果を報告に計算室へ出掛けた。
 ──マドモアゼル・A…は見えていますか? と私は、その娘に絵を習わせているリンゴ売りみたいな女に尋ねられた。
 ──いいえ、マダム。
 ──不思議ですね。私はあの人だとばかり思っていましたが、……
 ──生徒が皆して集めた金なのですよ、マダム。だから皆してその結果を知りたいと思って、皆の見ているところでお金箱を開けたのです。さよなら。
 エスパアニュの娘が来た。彼女は何にも言わなかったが、私はまた1人敵が出来たのを誇りうる。私はそんなことを何とも思っていないことをも誇りうる。
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by bashkirtseff | 2008-04-12 22:04 | 1877(18歳)

1877.12.12(Wed)

 1時に司祭と副司祭が来て、祖父様に最後の塗油式を施した。母様は泣きながら声高く祈っていた。司祭たちが帰ると私は食事に行った。人間の中には必要からとは言いながらどんなに多く野獣的なものが残っていることだろう。
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by bashkirtseff | 2008-04-12 21:59 | 1877(18歳)

1877.12.11(Tue)

 祖父様は口がきけなくなった。この人が、ついこの間まであんなに丈夫で、あんなに精力があってあんなに若々しかったこの人が、今ではまるで死骸(しがい)のようになって横たわっているのを見ると……恐ろしくなる! ……
 私は相変わらず骨を写生している。私はブレスロオや、シェッピやその他、スイスの連中と今までより良くなっている。
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by bashkirtseff | 2008-04-12 21:58 | 1877(18歳)