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1877.12.09(Sun)

 ドクトル・シャルコオが今帰ったばかりである。私は診察の席にいて、後で医者同士が話し合っているところにも立ち会った。それは私だけが平静に落ち着いていた人間であって、第3番目の医者か何ぞのような顔つきをしていたからである。とにかく彼らは今までは最後のことまでは考えていない。
 お気の毒な祖父様、彼が今もし亡くなったら、どんなに悲しまねばならぬだろう。なぜと言うに、私たちはよくけんかをしたから。けれども祖父様のご病気はしばらくのことであろうから、私は自分の性急な心持ちを償うこともあるだろうと思う。私は一番悪い間彼の部屋に残っていた。本当を言うと、私が病人のそばにいるのはいつもその病気が重大であるという証拠になっている。それは必要でない看護というものが私にはきらいであるから。そうして私はいまだかつて自分で不安を感じない時に不安な顔をして見せたことはなかった。あなたも見る通り、私は自分を褒める機会を決して見落とさない人間であります。
 私は左の目で新月を見た。それが私を苦しめた。
 どうぞ私が祖父様に対して乱暴なことでも言ったように思わないで下さい。私はただ祖父様を一人の対等の者として取り扱ったまでのことです。けれども何しろ病気であるから──しかも重い病気であるから、私は今となって後悔しております。そうして一言もものを言わないで何もかもこらえることが出来たならばよいと思っています。
 私たちは皆祖父様のそばを離れないでいる。なぜと言うに、誰でも出て行くと祖父様はすぐ帰ってくれるようにと頼むのである。ジョルジュもそばにいる。ヂナも離れないでいる。そうして何にものを言わないでいる。母様は心配して病気になった。ワリツキは、親愛なワリツキは、あちらへ行ったり、こちらへ行ったりしている。病人の面倒を見ながら、慰めたり、不平を言ったりしながら。
 私は今一言もものを言わないで何もかもこらえることが出来たならば良かろうと言った。私は虐待されている気の毒な人間のように思われる。こらえねばならぬことと言っては、別に何にもなかった。それでも私はいらいらしてならなかった。そうして祖父様も同じような気持ちになっていられたので私は我慢が出来なくなって、少し鋭い返事をしたりした。そうして自分の方が悪いことが何度もあった。
 私は横じまの外とうに包まれた天使のような真似はしたくない。
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by bashkirtseff | 2008-03-13 22:01 | 1877(18歳)

1877.12.08(Sat)

 芝居を見に行った。非常におかしくって、人々は絶えず笑っていた。私は時間を浪費したことを後悔する。
 この週間は仕事が良くできなかった。
 アトリエの中にはお話しせねばならぬようなことがたくさんある。けれども私は私のアトリエの仕事を一生懸命にしているから、その他のことには何にも煩わされないようにしている。それは私以下のことである。私は今夜後悔している。私は仕事をしなかった。私が笑ったことは事実である。けれどもその内部の満足は私にとって何にも役に立たない。だからそれは不愉快である。私に楽しい心を与えなかったから。
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by bashkirtseff | 2008-03-12 23:13 | 1877(18歳)

1877.12.05(Wed)

 今日は終日暗くて絵が描けなかった。それで私はフィンランドの娘と2人でルーブルへ出掛けた。彼女はどこかイギリスの婦人家庭教師といったようなところがあるので、私は私の海豹のずきんと地べたに届くばかりの外とうの意気を喜びながら歩いていった。
 美しいものを、分かる人と一緒に見ることは本当にためになる。
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by bashkirtseff | 2008-03-12 23:11 | 1877(18歳)

1877.11.30(Fri)

 私はとうとうマンドリンをアトリエに持ち込んだ。皆この優しみのある楽器を喜んだ。──これまで聴いたことのない人たちには殊にそうであった。夕方、休みの時間に私が弾いてアメリがピアノで伴奏をしていると、先生が入って来て立ち止まって聴いていた。
 彼がどんなに喜んでいたかをあなたにお見せしたいほどであった。
 ──なるほど私は今までマンドリンはギターみたいにきいきいかき鳴らすものだとばかり思っていましたが、良い音を出すものですね。こんな音の出るものだとは思いませんでした。そうして大層面白い形をしていますね! ああ! これからはマンドリンの悪口は言わないことにしましょう。ああ! 面白かったです。あなたがお笑いになるかも知れないが、確かに心をかきむしられるようですね。本当におかしなものだ!
 ああ! 気の毒な人、あなたもそれでは感じたと見えますね!
 この同じマンドリンは私がある夕方家で大勢の婦人紳士の集まりの前で弾いた時は少しも成功しなかった。それでも彼らは満足してもしなくても皆お世辞を言うような人たちばかりであった。
 輝かしい光と、白いイカ胸と、おしろいは、美観を壊すに十分である。これに反してアトリエの閉ざされたる場所と、夕方の静けさと、薄暗い階段と、疲労と──これらのものはすべてあなたをこの世の中で甘美な、不思議な、楽しい、心地よいものに対して感銘を受けさせるように仕向けるものである。
 私の仕事は恐ろしい仕事である。1日に8時間働いて、その上歩き回ってばかりいて、かつ仕事そのものが多大の慎重と知的努力を要する。およそ自分で何をしているかということを考えないで、すなわち、比較したり、回想したり、研究したりすることなしに、絵を描くほど愚かなことはない。けれどもそんな風にして描いていたら、少しも疲れるということはないだろう。
 昼間が長くなると共に、私はもう少したくさん仕事をしよう。早くイタリアへ帰りたい。
 私は成功せねばならぬ。
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by bashkirtseff | 2008-03-10 23:00 | 1877(18歳)

1877.11.27(Tue)

 ムッシュ・ジュリアンはムッシュ・ロベール・フルリ、ブーランジェ、及びルフェーヴルの決定に対して多少心を悩まされた様子で私たちのところへ来た。私は彼の言葉を出来るだけ正確にあなたに知らせましょう。
 ──皆さん、試験委員はマドモアゼル・デルサルト(フランス少女)に賞牌(しょうはい/メダイユ)を与えた後で、たった6名きり合格されませんでした。そのほかの方はこの次のコンクールを受けるという資格だけ与えられました。最後の3名はくじを引くことになりました。言うまでもなく、これは婦人の感情を害すまいとするためである。
 ある一つの声が私に向かって、お前もそのくじを引く1人だろうとささやいた。それは極めて当然のことかも知れぬ、けれども私は腹立たしくなった。
 ムッシュ・ジュリアンは皆に多大の感奮を与えたその話の後で、さらに続けていった。
 ──私は誰がその6名であるかということを言うわけに行きませんが、あなた方のうちで誰か私の言う通りをここに書いて下さい。1番は誰です?
 ──マドモアゼル・ウィク。
 ──2番は?
 ──マドモアゼル・バン。
 ──3番は?
 ──マドモアゼル・ブレスロオ。
 ──4番は?
 ──マドモアゼル・ノルトランデ。
 ──5番は?
 ──マドモアゼル・フォルシャンメエ。
 ──6番は?
 ──マドモアゼル・マリ! ポーランドの娘が叫んだ。
 ──私ですか、ムッシュ?
 ──そうです、マドモアゼル。
 ──でも、おかしいわ!
 私は最初の6名の中に入った。アメリもジラアルもポーランドの娘も私の下になった。私は一等後からアトリエに来た人間で、10月の3日から始めたばかりだのに。嫌になっちまう!
 皆が私のところへ喜びに来た。マドモアゼル・デルサルトはあらゆる種類のお世辞を並べ、彼女と妹のマリは私たちのことを今度のコンクールの障壁だと言った。
 ──あなたがわずかな時日の間になさったことは4年もかかってやっと賞牌をもらいだしたよりいくら良いか知れませんわ。
 成功、何といううれしいことだろう!
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by bashkirtseff | 2008-03-09 21:06 | 1877(18歳)

1877.11.26(Mon)

 とうとう私は今日から解剖学を学ぶことになった。絵が済むとすぐ、4時から半まで。
 ムッシュ・キュイエが教えてくれる。彼は私に美術学校を見せてくれると約束したマティアス・デュヴァルからよこされたのである。私はもちろん骨から始めた。私の一つの引き出しの中には脊椎骨がいっぱい入っている、……実物の。
 あとの2つの中にはナープルその他のにおい紙や訪問用名刺などが入っていると思うと嫌になる。
 アトリエから帰ってくるとムッシュ・キュイエが客間の暗がりの中に待っていた。そうして向かい側のいすの上には母様とマルキュアルがかけていた。マルキュアルは海軍司令官の中でもごく派手な人で、10日間帰っていたのであるが、木炭の粉だらけになって、脊椎骨を握っていた私の手に接吻した。私は自分で勉強するためにそれをアトリエから盗み帰ったのであった。
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by bashkirtseff | 2008-03-09 20:46 | 1877(18歳)

1877.11.24(Sat)

 今夜アトリエはアメリと私とジュリアンとラ・ボンヌとロザリと、それきりであった。
 ムッシュ・ジュリアンは男の学生のコンクールと私たちのそれと、それから男の学生の描いたカリカチュールを取りにやって男たちに見せた。
 私たちはその絵を眺めながら、火曜日にムッシュ・ロベール・フルリ、ルフェーヴル(肖像画家、当時41/底本:「レエフヴル」)及びブーランジェ(底本:「ブウランゼエ」)によって与えられる真実の決定を予想してみた。
 ブレスロオとフランスの少女(この人はもう4年間アトリエに通って、いつも横顔ばかり描いているが、少しも天才のひらめきはない。しかし欠点のない絵を描く)と、それから今1人の娘との間に競争があるだろう。ポーランドの娘アメリと頑丈なゼンニが絵をしまいに行った。ジュリアンは私にこんなことを言った。
 ──あなたは多分良い成績は得られないでしょう。それは、もう3年も4年もアトリエに通って実際に進んだ腕を持っている人たちと競争するからです。ですが、あなたの首は写生としては確かに最上の一つです。ちょっと類例のないものです。誰でも良い大家に見せて、実物からこんな絵が描けるまでにはどのくらいかかるものでしょうと聞いてご覧なさい。私は保証します。1年以内で描けるという人は1人もないでしょう。しかしまだ完全なものでないことは言うまでもありませんが。
 そういって彼は私の絵をあのフランス少女の絵と比較して一つの教訓を与えてくれた。
 ──あなたのアカデミーには、大変な欠点がありますが、今の絵には目立つほどの悪いところはありません。あなたが1月と3週間たったばかりで、人物を幾つも立たして、こんなふうに、しかも実物から対象を作ろうとなさったことを人に話すと、その人たちはあなたにからかわれているというかも知れませんね。
 ──だって、ムッシュ、私は自分で満足していられないのですもの!
 私がそう言った時は、実際私はそう思っていたのである。
 ──満足していられない?
 ──ええ! 私はもう少し良いものが描きたいのです!
 ──今のままでお続けになったらえらいものが出来ましょう。今まで描いたものだって、さっきも言いましたように、確かに類例のないものですからね。
 彼は大勢の人がいる時には決してそんな言い方はしなかった。それは一つの騒動を引き起こすからであろう。
 そうだ、私はきっと悪い成績ではあるまい。あんなやつらは私が絵を始めてどんなに日が浅いかということを知らないのだ。彼らはモデルを見ないから、似ているか似ていないかの判断がつかないのだろう。
 私には少しの励ましが必要であった。なぜと言うに、今朝は気が沈んで仕方がなかった。
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by bashkirtseff | 2008-03-09 20:44 | 1877(18歳)

1877.11.23(Fri)

 あのブレスロオが一つの構図を仕上げた。──「月曜日の朝」あるいは「モデルの選択」。アトリエ中のものが皆描いてある。ジュリアンが私とアメリの間にいる。それから誰々。
 描き方も正しければ、遠近法も良く、顔も似ていて、何もかも出ている。
 誰でもこのくらいのものが出来れば、大芸術家になれることは確実である。
 あなたにはお分かりでありませんか? 私は嫉妬しているのです。それは刺激になるから、悪いことではありません。
 しかし私は描きだしてからまだ6週間にしかならぬ。ブレスロオは私よりも先に始めているから、いつも私の上にいることであろう。でも2月か3月たったらば私は彼女と同じくらいには描けるようになるだろう。本当によく描けるようになるだろう。その上、私にはよい競争者が出来たので喜んでいる。ほかの人たちばかりだったらば、私は眠くなってしまうであろう。
 ああ! 6週間仕事をしたばかりで大家のごとき絵が描きたいと思うのは恐ろしいことであった。
 祖父様が病気なので、ヂナが熱心に付き添ってくれている。ヂナも大きくなって美しくなった!もし神が彼女に少しの幸福をも与えて下さらなかったら、……嫌になってしまう!  私は善良の神に失礼なことを言うかも知れぬ。
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by bashkirtseff | 2008-03-09 20:41 | 1877(18歳)