<   2008年 02月 ( 5 )   > この月の画像一覧

1877.11.18(Sun)

 夜私は自分の化粧台を写生してみた。その前にロザリの立っているところを写生してみた。その2つがうまくくっついて、実物らしいところが出た。配合が気持ちよくいった。もう少しよく描けるようになったらば、私はもう一度、今度は油で描いてみたいと思う。化粧台と化粧室付きの女中を描く時に、愛の神とか花とか壊れた花瓶とか羽ぼうきとか、その他そういった種類のものを添えないのはこれまで、見たことがなかった。
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by bashkirtseff | 2008-02-09 19:23 | 1877(18歳)

1877.11.17(Sat)

 ムッシュ・ロベール・フルリは肖像に満足しなかった。しかし私は概して肖像はよく似るから、また人は自分の持っている品質をば失うものではないから、このことはあまり心配にはならない。私はまた始め直すつもりである。
 競技試験が決定した。競技者が18人あって、私は13番だから、私の下にまだ5人ある。だからそれほど悪くはない。あのポーランドの娘が1番である。実に不公平だ。
 私は裸体習作で褒められた。
 私はいろんな種類の解剖模型と頭蓋骨を買って、それらのものを切開する場合のことを終夜考えてみた。
 あなたは何を持ちたく思いますか? 私は疲れてしまった。この手はもう絵を描くこととたて琴を弾くことよりほかには役に立たなくなってしまいました。
 けれども、ブレスロオに負けるなどは思いも寄らぬことだ。
 私の写生は一番に出来た。
 ──1時間でこれだけ描いた。ムッシュ・ロベール・フルリが叫んだ。まるで人間業とは思えないほどですね!
 私はこういうこともあなたにお知らせしなければならぬ。ムッシュ・ジュリアンやその他の人たちが男子のアトリエで、私には女らしい筆触もなければ、女らしい風もなければ、女らしい能力もないということと、これだけの才幹と力と、否、暴力とさえ言い得るが、それを絵の上に受け継いで、仕事をするのに根気強いところのあるのは、家族の何人の血を受けたものか、それを知りたいということを話したそうである。
 それにしても、私にまだ構図(コンポジション)が出来ないというのは不思議ではあるまいか?
 私には自分の形の釣り合いを取ることも分からない。私はアトリエで一つの風景を描いてみようとした。しかし、構図が出来ない。それは何物にも似もつかない、もちろん私は全然それを自分の頭で、想像で、描いてみた。ところが私は自分の描く人間がどんな歩き方をしているかというようなことには少しも構わなかったのである。否、……これは全く不思議な話である!
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by bashkirtseff | 2008-02-09 19:22 | 1877(18歳)

1877.11.16(Fri)

 私は気の毒なシェッピをアベニュー・ド・ラ・グラン・ダルメの下宿に訪問した。全く芸術家的の屋根裏であるが、どことなしに金持ちらしく見える清潔さがある。
 ブレスロオとその他数人の芽生えの芸術家たちもそこに住まっている。
 部屋の中には写生やら、習作やら、その他興味のあるものがたくさん置かれてある。この芸術的な事物との結合、この空気のみは、私に気持ちの良いものである。
 私はブレスロオほど知識がないことに対してどうしても我慢していられない。……事実を言うと、……私はこれまですべてのことについて少しずつは何でも知っていたけれども、一つのものの中に深く入り込むことがなかった。心配なのは絵においてもそうではあるまいかということである。しかしそうではない。私の勉強している道を、私は良く転回して行くに相違ない。人が以前にあることをしなかったと言うことは、人がそれをなし得なかったという理由にはならない。新しいことを始めるごとに私は疑惑に陥る。
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by bashkirtseff | 2008-02-09 19:15 | 1877(18歳)

1877.11.15(Thu)

 私たちは競技試験(コンクール)として一つの首の写生を1時間で描いた。
 結果は日曜日に決まるはずである。私は、しかし、あまり気にしてはいない。仮に私が最後になるとしても、それは公平であろうから、私は1カ月勉強したばかりである。ほかの人たちは皆、大まかに見積もっても、すなわちこのアトリエ以外で勉強したことを計算しないでも、少なくとも1年は勉強している。彼らは絵描きを職業にしているので、一生懸命に勉強してきたのである。
 私が一番恐れているのはブレスロオというやつである。彼女は驚くべき才能を持っており、容ぼうも悪くはない。私は彼女がきっと道を切り開いていくだろうと思っている。私は彼女がジュリアンのアトリエで、500日も描いていたとは考えられない。それに私はたった30日である。言葉を変えて言えば、彼女はジュリアンのところだけでも私の15倍以上仕事をしている。もし私に真の才能があるとすれば、私は6カ月たったら、彼女と同じくらいな仕事が出来るようになるであろう。世間には不思議なことも生ずるであろう。けれどもこの種類のことにおいては、奇跡というものはあり得ない。しかし奇跡は私の求めるものである!
 私は1カ月の終わりに最上になれなかったのは不満である。
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by bashkirtseff | 2008-02-09 19:12 | 1877(18歳)

1877.11.14(Wed)

 私は今日書物と石こう模型を買いにレコオル・ド・メドゥサン〔医学校〕の近所まで行った。ヴァッセの店へ行ったのである。ヴァッセでは、あなたも知っている通り、各種の解剖模型や頭蓋骨(ずがいこつ)などを売っている。さて私はそこで友達から多数の利益を受けた。彼らは私のことを美術学校の解剖教授をしているムッシュ・マティアス・デュヴァル(底本:「マチア・ヂュヴァル」)、その他の人たちに話して、その内のある人たちは私のところへ教えに来ることになった。
 私は面白かった。往来は学校から出てくる学生で一杯になっていた。何という狭い往来であろう。楽器店やその種類のあらゆる店が並んでいて。ああ! いやになっちまう。私はカルチェ・ラタンの魅力、と言って良いだろうが、それを今初めて理解することが出来た。
 私は今私のそばには封筒よりほかに女らしいものを何にも持っていない。その封筒は甚だしく女性的である。その他の物は全く別問題である。こういうのは私だけではない。すべての女が皆私と同じだと私には思われる。
 私にカルチェ・ラタンの話をしてくださいな、まあよかったわ! 私がパリと妥協したように感じられるのはカルチェ・ラタンだけである。例えばイタリアへでも行ったように思われて、もっとも、言うまでもなく、イタリアは全く別種の趣を持っているけれども。
 社交界の人たち、またブルジョアとして知られている人たちは、決して私を理解しないであろう。私が話しかけているのは、彼らに対してではなく、私たちの仲間の人たちに対してである。
 不幸な娘たち、私の言うことを聞いて下さい!
 例えば、私の母などはあんなものの並んでいる店に私が入っていくと恐怖を感じています。おお、あんな物とは何であるか? それは「裸体の百姓たち」である。ブルジョアよ! 彼らは今に私が美しい絵を描いたなら、詩が見られることだろう、花が見られることだろう、果実が見られることだろうと期待するだろう。彼らは決して汚い物を見ようとは思わないであろう。
 私はただ目的のみを見る。私は目標を望んでまっすぐに進む。
 私は書物屋やその他の店に行くと、私の気取らぬ服装のために、ブレスロオまたはその階級の人と間違えられることがあって面白い。彼らは私を見ても以前とは全く異なった、愛想良い、なれなれしい態度で応対する。
 ある朝、私はロザリと馬車に乗ってアトリエに行った。御者に私は20フランを1枚やった。
 ──おお! お嬢さん、お釣りがありませんがねえ。
 実に面白かった!
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by bashkirtseff | 2008-02-07 22:38 | 1877(18歳)