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1877.08.30(Thu)

 私は黙っていたけれども、今夜ヴィイスバアデンで、ロシア軍がシプカを守っていてトルコ軍が負けている(少なくとも当分は)ということと、ロシア軍には援兵がたくさん出来たということを聞いた。
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by bashkirtseff | 2007-05-26 18:17 | 1877(18歳)

1877.08.29(Wed)

 イタリアが帝国から王国に変わって、最後に分裂したことに関してしばらく考えてみたけれどもよく分からないので、私はアメデエ・チエリ(オーギュスト・チエリの弟で、ゴオルとアッチラに関する歴史上の名著を書いた)の書物を持って森の中に入って読んでいると、私の知りたく思っていたことが分かった。
 ロシア人は悪い状態からさらに悪い状態へ進んでいる。私たちは戦争の記事を読んでみると、シプカの峠(ブルガリアからルーマニアに出る山脈中の通路)はまだロシア人の手に取られている。明日にもなったらば私たちはこの決断的行動の結果を知ることが出来るかも知れない。だから私は明日まで一言も言うまいと決心した。
 私は18歳である。それは考えられないことである! 私のまだ伸びない才能、私の感情、私の出来心、そんなものは18歳としては似合わしくなくなった。18歳で絵を始めるということを考えてみてください。人よりも一倍早く、一倍良く、何でも仕上げることが出来るとは思い込んでいるけれども。
 世間には人を欺くものがある。けれども私は自分を欺いていた。
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by bashkirtseff | 2007-05-26 18:15 | 1877(18歳)

1877.08.27(Mon)

 私は晩の祈祷(きとう)の文句にこんな一句を加えた。私たちの軍隊を守ってください! 私の神様!
 私は今心配でならぬと言っても差し支えないのである。けれどもこんな広大な利害の懸かっている場合に、私が何とか言ったところで何になるだろう? 私はいいかげんな同情を憎む。もし私に多少の奉仕が出来るなら、私は戦争のことについて言いたいことがある。私はある事情の下においては、私たちの皇室、私たちの大公たち、私たちの親愛なる皇帝を称賛することをもって満足している。
 形勢は私たちの方が悪いという。私はこの干からびた野蛮な国のプルス人のうちに、反逆者が一杯になってくるところを見たい。プルスの軍隊は豊穣(ほうじょう)なフランスの土地を進軍している。そうして進むに従って町があったり、畑があったりして、食うもの、飲むもの、盗むものがそこには充満している。私は彼らをバルカンに這入らしてみたい!
 私たちも実際に戦うのだということを考えてみなければならぬ。彼らは一般に人を買って、屠殺(とさつ)するのである。
 私たちの勇敢な兵士たちは、訓練された動物のごとくに死んでいる。例えば英雄のごとくに。
 しかし全世界は口をそろえて今日のロシア人のごとき戦いを見たことがないと言っている。歴史が語るであろう。
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by bashkirtseff | 2007-05-26 17:53 | 1877(18歳)

1877.08.23(Wed)

 私は今シュランゲンバード(プルスの山地の一小市/底本:「シュランゲンバアト」)に来ている。
 どうして、なぜ? それはこうである。私がほかの人たちと別れてしまって、どうしたわけだか知らないが、一人で困ってしまったからである。私たちは苦しまねばならないから、一緒に苦しんだ方がよい。
 みんなはシュランゲンバードの下宿屋(パンシオン)みたいなところに来ているけれども私は公爵夫人(バロンヌ)の宿のことは十分に知っているので、自分はバーデハウス(浴舎)の部屋をもらいたいと言い出した。ここで得られるうちではそれが最上の家であるから。
 叔母と私は入浴するために便利にできた二部屋をバーデハウスに取った。
 フォオヴルに休養を命ぜられた。私はこの地で休養している。私はもう回復しているとは思わない。不愉快なことになると私は決して自分で間違った判断はしない。
 私はじきに18になる。18という年は35の人から見ればわずかなものであろうが、私にとってはわずかなものではない。私は若い娘としてのこれまでの短い年月において、楽しみは少しきり持たないで、苦しみばかり持っていた。
 芸術! もし私がこの魅力ある言葉を私の目の前の遠いところにでも持っていなかったならば、私は死んでいたに違いない。
 しかし芸術のためには、人は何物をも要しない。私たちはただ私たち自らに信頼するのみである。もし私たちが屈従するならば、それは私たちが何物でもなく、生きる必要のないことを示すのである。芸術! それを私は遠いところにある大きな光のごとく想像する。そうしてそれ以前のすべてのものを忘れて、ひたすらにその光のみを見詰めて、押し進もうと思う。……しかし、おお! 否、否、神様、私を恐れさせないでくださいまし! ある恐ろしい考えが……ああ! 否! 私はそのことは書くまい。私は自分で苦しい思いをするのは嫌だ! 努力せねばならぬ。けれどももしかして、……いや、もう言うことは何にもない。すべては神様のおぼしめしに任せるよりほかはない!
 私は2年前シュランゲンバードに来たことがあった。そのときと今と何という相違だろう!
 そのときは私はあらゆることを希望していた。今は何事をも希望していない。伯父エチエンヌも、彼のオウムも、また来ている。何もかも2年前の通りである。ライン川に沿って同じ道を、同じブドウ畑や同じ廃跡や、同じ城郭や、同じ古塔などを眺めながら、……
 さてシュランゲンバードには緑陰の巣とも言うべき美しいバルコンがたくさんあるけれども、廃跡とか、小さな、きれいな近代的の家の私を楽しませるものは一つもない。私は美と魅力の見いだされるところには、それを認めたいと思うけれども、南国を除いては私の愛するものは何にもない。
 世界中でそれに比較されうるものがあるだろうか? 私はそれを何と言って表現してよいか分からないけれども、私より以前に多くの詩人たちがそれを確言し、多くの学者たちがそれを実証している。
 私はいつもの「つまらないたくさんなもの」を持ち歩く習慣によって、どこへ行っても、1時間もたつとかなり居心地が良くなるのである。衣装棚、文房具、マドリーヌ、数冊の良い書物、足暖炉、私の写真など、こんなもので私の宿屋の部屋も居心地が良くなる。何より私の好きなものは4冊の大きな赤い字引と、大型の青色のリブ(リヴィウス)と、小型のダンテと、中型のラマルチーヌ(底本:「ラマルチイヌ」)と、それからカビネ型の油で描いた、紺のビロードの枠のついた、ロシア革のケースにはまった私の肖像と、それだけである。これだけのものがそろうと、私のビューロー(書き物台/底本:「ビュウロオ」)はたちまち立派に見えだして、さらに2本のろうそくがその光を、目に心地よきこれらのやわらかい色の上に落とすと、私はドイツにいても腹が立たなくなる。
 ヂナは本当に良い……優しい娘である! 私は彼女が幸福にしているのを見るのが、どんなに好ましいだろう!
 それにつけても一言! ある人たちの生活は何という気の毒なごまかしだろう!
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by bashkirtseff | 2007-05-12 16:43 | 1877(18歳)