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1877.08.18(Sat)

 私はホメエルを読むたびにいつも叔母をトロヤの火事のエキュウブ(ヘカベーの母)に比較しては怒られた。古典に傾倒することは、退屈なことであり、また自慢にならぬことであるかも知れないが、しかし古代の作家から受ける影響を脱することは出来ない。私たちはいつも同じことばかりを言ってはいられないし、また私たちが職業的称賛者の書いた物を口まねしたり、私たちの先生の言った言葉を繰り返したりすることをばしたくない。ことにパリではそういったようなことは話に出してはならぬ。
 けれども、どんな近代劇でも、どんな小説でも、どんな俗受けのする喜劇でも、例えばデュマでも、ジョルジュ・サンドでも、私にはトロヤ落城の叙述ほどに深い自然的な印象を与えて、それほど生き生きした回想を持っているのは一つもない。
 私は自分もあの恐怖に加わっており、あの叫び声を聞き、あの火を見ながら、プリアム(ヘクトルの父)の家族や、祭壇の後ろに隠れていた気の毒な人たちと共にいるような心持ちであった。そうして祭壇からは町を滅ぼす不吉な火の輝きが立ち上っているようであった。……
 そうして誰かクレウス(エネアの妻)の幽霊が出るところを読むとき、軽い戦慄(せんりつ)を抑えうるものがあるだろうか?
 しかし私はヘクトルがけなげにも城砦の下に出てアキル(アレキウス)に追われながら、三度町の周囲を駆けた時のことを思うと……笑いだしてしまう。……
 それからその英雄が、死んだ敵の足に革ひもを通して、同じ城砦の周りを三度引きずって歩いたことを思うと、私は、いたずら小僧が木馬に乗って、大きな木剣を振り回しているのを思い出す。……
 私はなぜだか分からないが、ローマより外では私の世界大の空想を満足させ得られるところはなさそうに思われる。……
 そこにおいては、あなたは文明世界の絶頂に立っているがごとく感じるでありましょう。
 私は Journal d'un Diplomate en Italie〔イタリア駐箚(ちゅうさつ)一外交家の日記〕を投げ出した。このフランスのしゃれ者は、この極端なる開明人は、この平凡なる称賛者は、ローマのことになると私を怒らしてしまう。フランス人はいつもその指と鼻眼鏡との間にきゃしゃに持たれている一つの長い道具で物を解剖しているように私には思われる。
 ローマは、都市としては、私が婦人として自分を想像していたようなものであらねばならぬ。以前にほかのもののために用いられた言葉は、われわれのことに使用されると、……それは冒涜になる。
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by bashkirtseff | 2007-02-14 07:30 | 1877(18歳)

1877.08.17(Fri)

 私はローマをほかにしては、どうしても住まれない。私の健康は実際目に見えて悪くなりつつある。少なくとも私は少しも望みを持っていない。私はまだローマにいなかったためなら、生涯のうちの2年くらいを割いても良いと思う。
 不幸にして私たちは、もはや実行の必要がなくなって、初めて実行の方法が分かるのである。
 絵のことは私をきちがいにする。なぜと言うに、私には大きなものを作り上げるだけの材料はありながら、研究ということにかけては、学校へ上がったばかりの小さい子供ほどにも出来ていないから。
 けれども私は後世の人たちが私の作り上げたものを失った恨みをば、私の家族の上に向けられるように希望する。
 あなたは今でも私は社交界へ入りたがっていると思いますか? もうそうではありません。私は失望してしまいました。私は、例えば不平家が共和主義者になるように、今では芸術家になろうとしております。
 つまり私は自分で自分をののしっているものだと考えています。
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by bashkirtseff | 2007-02-03 17:24 | 1877(18歳)

1877.08.12(Sun)

 私はこの家の部屋女中アントワネット(底本:「アントアネット」)の肖像を描いた。彼女は大きな輝いた青い目をして、極端に無邪気な優しい表情をした美しい顔であった。写生はいつでも成功する。けれども仕上げは研究していないから不可能である。
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by bashkirtseff | 2007-02-03 17:02 | 1877(18歳)

1877.08.07(Tue)

 私はボン・マルシェ(パリの町/底本:「マルセエ」)でわれを忘れて酔ったようになっていた。私たちは知り合いの人たちと晩さんを共にした。そうして笑って話をした。けれども……やはり……私は悲しくてならない。
 あり得べからざることである!! 恐ろしい、どうすることも出来ない、忌まわしい言葉!!! 死ぬるということ、私の神様、死ぬるということ!!! 死ねる!!! しかも後には何にも残されないで? 犬のように死ねる!! ただわずかにその墓石の上に名前を記されたばかりで死んだ10万人の女たちのように死ねる! ……
 神様のおぼしめしを知ることが出来ないとは、私は何という愚か者だろう! 神様は私に何もかも打ち捨ててただ芸術に一身をささげるようにとおぼしめしていらっしゃる! これから5年たっても、私はまだ若くて美しいだろう。……でも、そこいらにたくさんあるような平凡な芸術家になったらどうだろう?
 世間のことは心配することはない。けれどもそこに生涯を打ちはめて、成功しなかったら?
 パリにもよそと同じようにロシア人の植民地(コロニー)はある!! 私を刺激するものは、そういったつまらない考えからではない。なぜと言うに、彼らは私を失望させるのみで、彼らのことを考えていると、私は自分の偉大というようなことが、考えられなくなるから。
 仲間がなかったら人生はどんなだろう? 孤独だったら何が出来るだろう?_ この考えは、私をして全世界を、私の家族を、私自身をさえ汚さしめる! 生きる、生きる! ……神の母なる清きマリ、主イエス・キリスト、私をお助け下さい!
 それにしても一身を芸術にささげるためにはぜひともイタリアへ行かねばならぬ!!! そうだ、ローマへ。
 この花崗(みかげ)の壁、それに私は今額をたたき付けている! ……
 私はまだいつまでもここにいることになるであろう。
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by bashkirtseff | 2007-02-03 17:00 | 1877(18歳)