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日付なし

 私たちが競馬から帰ってくると、一人の紳士が前部屋に待っていた。あれはどうした人? と尋ねようと思っていると、ロザリが私のところへ駆けてきて、私をわきの方へ連れて行って、
 ──早くいらっしゃい。でもびっくりなさっちゃいけませんよ。
 ──どうしたの?
 ──あれは国王の随員の方で、もう3度も見えられたのです。国王のお言い付けでおわびにおいでになったのですよ。
 次の瞬間に私はその人の前に出ていた。そうして私たちは皆で客間へ入った。その人はイタリア語で話した。私は自分でもイタリア語が自由に話せるのが自分ながら不思議であった。
 ──マドモアゼル、その人が言った、私は国王の使いとして、国王が昨日あなたにご迷惑をお掛けしたことをどんなに気の毒に思っていられるか、それをお伝えに参ったのです。陛下はあなたが母上におしかりを受けられたことをお聞きになりました。母上は国王がお困りになったとお考えなされたのでしょう。ところがそうではなく、国王はお喜びなのです。国王は一日そのことをお話しになって、夜になると私をお召しになり、こう言われました。「あの若い婦人のところへ行って、私に対する厚意を良く礼を言ってくれ。あの人の優しい心持ちが私の心を動かした、ということを伝えてもらいたい。あの人にも、あの人の家族にもよろしく言ってくれ。怒っているどころではなく、私は喜んでいるのだ。あの人のお母さんに(sua mamma)そう言ってくれ。私は決して忘れないと言ってくれ。」こう言われました。国王はこの心持ちはあなたの優しいお心から出たものだとお分かりになって、大層喜んでいられます。国王はあなた方は外国人でいらっしゃるから別に何らの目的もおありでないことを知っていられます。それで殊に心を動かされたのです。国王はそのことばかりお話になって、あなたがそれがためにご迷惑を受けておいでだろうから、早く行っておわびをせよとのことでございました。
 「母様」は、私がおはねの罰として24時間閉じ込められていたことを伯爵デエンホフに話させた。うわさがすぐに広まった。殊にヂナが母様と外へ出た時私がバルコンの窓の後ろに隠れていたので不思議に思われて。
 私はデエンホフの話を何度も妨げていたが、ついにはうれしさと感謝の洪水が止めどなく流れ出てしまった。
 ──国王が私に安心させようという考えからあなたをおよこし下さったことは本当にご親切でございますわ。私は無考えで、本国にいるような気で、……そうして私たちの皇帝にお会いしたような気でいましたのです。本国では私が皇帝とお話ししたことがございました。(これは事実である。)私は自分の致しましたことが少しでも国王のご迷惑におなりではないかと思い惑いました。きっとお気に障ったことだろうと心配致しました。あんな失礼なことを致しましたから、驚きのことだったと存じまして。……
 ──国王は bella ragazza 〔美しい娘/ベラ ラガッツァ〕のことになると驚きどころじゃありません。私は国王の名によってあなたに繰り返し申し上げますが、陛下は気を悪くなさるどころではなく、非常に満足していられます。──これは陛下ご自身のお言葉です。私の言葉を交ぜて申し上げているのではございません。国王はあなたをご覧になって大層お喜びでいられました。国王は昨年ローマであなたをご覧になられたのです。それから謝肉祭にはナープルでご覧になられたのです。……しかし伯爵デエンホフの名前を記憶していられて、これは大層お嫌いでいられます。何でも余計なことを言って陛下がお別れになる時にあなたの邪魔をなさったそうで。
 私はこういう事実を承認しなければならぬ。デエンホフは怖くなって戸を閉め切って出てこなかったことを。これは以前に見たことのない事実で、あまり興奮していたから再び国王にお目にかかるというようなことは考えもしなかったのであろう。
 ──私がただ今まで申し上げたのは国王の代理としてでありまして、国王ご自身のお言葉をお伝えしたのでございます。
 ──それなら、ムッシュ、どうぞ私の言葉をも国王へお持ち帰りを願います。私もうれしくて非常に名誉と致しているということと、国王のお心尽くしを何より有り難く感謝致しておりますことと、いつまでも国王のご親切をばお忘れ致しませんということと、私が非常に幸福と光栄を感じていることと、これだけをどうぞよろしく国王にお伝え下さいまし。私はまるで生意気な娘のようなまねは致しましたが、国王はお気を悪くしてはいらっしゃらないで……
 ──喜んでいられるのです、マドモアゼル。
 これは私の一番うれしい思い出となるであろう。王族がこれほど親切でこれほどいんぎんである時、どうして尊敬しないでいられよう? 国王や、王子ウンベエルや、女王マルグリイトに対する愛が私には良く理解することが出来る。
 それで最後にその紳士は母様に、国王へ持って帰りたいから名刺を下さいと言った。
 今ではもう私は何人が何を言っても怖くなかった。高らかにはやし立てよ!
 国王が怒っていないから私は今有頂天になっている。
 国王が私の手に接吻したといううわさがオテル中に広まった。
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by bashkirtseff | 2006-10-07 15:03 | 1877(18歳)