カテゴリ:1875(16歳)( 12 )

1875.12.29(Wed)

 私の神様、もしあなたが私の好きなように生きて行くことを許してくださるなら、私は約束いたします、もしあなたが私を哀れんでくださるなら、私は巡礼たちがするように、カルコフからキエフまでかち(徒)で歩きます。もしあなたが私の大望を満足させてくださるならば、そうして私を幸福にしてくださるならば、私は約束いたします、エルサレム(底本:「ゼルザレム」)まで行きます。そうして道のりの10分の1はかちで歩きます。
こんなことを言うのは罪ではないでしょうか? 聖人たちも誓約をしました。けれども私は条件を付けようとしています。いいえ、神様は私の企てには良いことだと分かってくださるでしょう。またたとい私のすることが悪いとしたところで、許してくださるでしょう。なぜなれば、私の心は良いことをしようとしているのですから。
 私の神様、私を許してください。私を哀れんでください。私に私の誓約を実行するようにさせてください! 神聖なるマリア、私は愚かかも知れません。けれどもあなたは女でありますから、一層情け深く、かわいがってくださると思います。私をあなたの保護の下にお取りください。私は私の収入の10分の1を良い仕事のためにささげることを誓います。……もし私が悪いことをしたにしても、そういうつもりではありません。私をお許しください!
[PR]
by bashkirtseff | 2004-12-23 16:51 | 1875(16歳)

1875.12.28(Tue)

 私は寒くて、口が燃える。私は強い性情の者が、ニースみたいな町からちょっとでも苦しまされたり、いらいらさせられたりするのはつまらないことだということをよく知っている。頭を振って、軽蔑的に微笑して、もはやそのことを考えないようにすれば、それでたくさんだろう。怒って泣くのは、私には余計に楽しみになる。
 私は非常に神経過敏になって、舞踏曲でない音楽を聴くとすぐに涙が出る。またどんなオペラへ行ってごくごくの平凡な言葉を聞いても胸が痛くなる。
 こういう心持ちは30の女になら、ふさわしいかも知れない。けれども15で神経過敏になって、愚かしい感傷的な言葉を聞く度にばかのように泣くというのは哀れな話である!
 今し方私はひざまずいて、すすり泣きながら、両手を広げて、すぐ目の前に神がいるか何ぞのように、神にお祈りをした。神は私の言うことを聞いてくれる様子はなかった。それでも私は声を立てて泣く。なんだか神に対して生意気なことを言っているような気がする!
 私は今絶望して不愉快で、何事をも期待していない。たとい敵意あるニースの社会が皆私の前に来てひざまずいても私は動かないだろう!
 そうだ! そうだ! 私は足げにかけてやる! なぜと言うに、私はそれに対して何をしただろうか?
 私の神様、私は生涯をこんな風に過ごすのでしょうか?
 月曜日には射的祭があるはずだ。今では私はそんなものをば気にかけない。それなら以前は?
 私はすべての作家の才能を一人で集めて所有したく思う。それは私の深い絶望、私の傷つけられた自愛、私のあらゆるよこしまな願望というようなものをすべて真実に書き留めておきたいからである。
 私はただ出来そうもないことを望むだけである!
 私は往来で飢えて、子どもに打たれて、さまよい歩いている犬を見いだすだろうか、朝から晩まで自分の力以上の重荷を引いている馬を見いだすだろうか、水車小屋のロバ、教会のハツカネズミ、授業をしない数学の先生、失職の牧師などを見いだすだろうか、要するに私と比較されるほどにおしくじかれた、哀れな踏みにじられた、押さえ付けられた、悲しげな者を見いだすだろうか?
 私にとって一番恐ろしいものは、過ぎ去った屈辱が容易に私の心から滑り去らないで、いつまでも嫌な後を留めていることである!
 あなたは私の状態を理解することは出来ないでしょう。あなたは私の存在の中に入り込むことは出来ないでしょう。あなたは笑っています。……笑っています、笑っています! けれども泣いてくれる人もあるでしょう。神様、私を哀れんでください。私のお祈りを聞いてください。私はあなたを信じていることを誓います。
 私の性格のような性格があって、私の生活のような生活があるのだ!!!
 私は私の年ごろの楽しみをさえ持っていない! 私ははかまのすそを短くしたアメリカの娘でも持っているようなものを持っていない。私は舞踏をさえしない! ……
[PR]
by bashkirtseff | 2004-12-23 15:44 | 1875(16歳)

日付なし

 この日記は私の全生涯を含む。私の最も平静な瞬間は、私がこれを書いている瞬間である。恐らくそれは私の唯一の静かな瞬間であろう。
 もし私が若くして死ぬならば、私はこれを焼こうと思う。けれどももし私が年取るまで生きていたならば、世間に発表されるだろう。もし私が思い通りに言ってよいなら、私は一人の女の全生涯、あらゆるものに対する彼女の全思想の写真というものが、まだ一つもないと信ずる。それは面白いものであろう。
 もし私が若くて死ぬなら、そうしてもしこの日記が運悪く焼かれなかったら、読者は言うだろう。かわいそうな子ども! 彼女は恋をしていた、それで彼女の失望も生じたのだ! と。
 人々にそう言わせるがよい。私はそれを打ち破ろうとはしない。なぜならば、私が言えば言うだけ、彼らは私を信じないだろうから。
 人類ほど卑賤な、愚昧(ぐまい)な、不純なものが何かあるだろうか? 確かに! 何物もない! ……人類は堕落のために造られたのだ。……おや、私は人類の堕落のことを言おうとしていたのだ。
 朝の3時である。叔母の言うところによると、私は起きていても何にもならないそうだ。
 ああ! 私は待ち遠しい。私のときは来るだろう。私はそれを信じたい。けれどもそれは決して来ないだろう。私はただ待つだけである……。いつまでも待って……待って……待って……いるだけである! ……
 私は怒っている。泣かなかった。私は床の飢えに横たわらなかった。私は落ち着いている。それは悪い印である。怒り狂う方がまだよい。
[PR]
by bashkirtseff | 2004-12-23 15:30 | 1875(16歳)

1875.12.27(Mon)

 私は不思議な夢を見た。私は手にたて琴(リル)を持って、高い城の上で遊んでいた。たて琴は絶えず糸が緩んでいたので、私はたった一つの音をも弾くことが出来なかった。──私はなお昇り続けた。そうして広々とした地平線と、黄と赤と青と銀と金の不思議な雲の塊が、裂けたり、混じり合ったりするのを見た。それから雲はみんな灰色になって、その後で再びきらきらと輝いた。私はまだ昇り続けて、眺めるのが恐ろしいほどの高さに行った。でも私は恐れなかった。雲は暗くなって、凍ったように見えた。そうして銅のように輝いた。それからすべてぼんやりになった。私は糸の緩んだたて琴をまだ持っていた。そうして私の後ろにははるかに一つの赤い玉が懸かっていた。それは地球であった。
[PR]
by bashkirtseff | 2004-12-23 15:21 | 1875(16歳)

1875.10.15(Fri)

 忘れていた! 叔母は果物を買いにニースの町にあるサン・レパラテ教会(底本:「ルパラアト」)の先まで出掛けた。
 市場の女たちは私の周りに群がってきた。私は低い声で Rossigno che vola (飛ぶウグイス)を歌った。女たちは熱狂的になって、年取った人たちは踊りだした。ニース人の中で覚えた歌を皆歌った。要するに大受けであった。リンゴ売りの女たちは Che bella regina! (美しい女王様)と言いながらあいさつをした。
 私はなぜに一般の人々がいつも私を愛するか、私がまたあの人たちと親密な気がするか分からない。私は自分のことを女王だと思っている。私は情け深く彼らと話す。そうして今日のようにちょっとした歓迎を博した後で立ち去る。もし私が女王であったなら、人民は私を崇拝するだろう。
[PR]
by bashkirtseff | 2004-12-23 15:13 | 1875(16歳)

1875.10.09(Sat)

 もし私がマダム・ド・ロングヴィユのようにブルボン家の王女に生まれていたとしても、かしずく人には伯爵たちがあり、親や友達には国王たちがあるとしても、生まれ落ちてから私の前でお辞儀ばかりしている頭と、私を喜ばせるに熱心な廷臣たちを持っていたとしても、紋章の模様以外のものは歩いたことがなかったとしても、王者らしい天蓋(てんがい)の下にのみ眠っていたとしても、皆いくらかずつ著名であり高慢であった代々の先祖を持っていたとしても、まったく、私がそういうものをことごとく持っていたとしても、現在の私以上に誇りがあり、尊大になれようとは、思われない。
 おお、私の神様、私はあなたにどんなに感謝するでしょう! あなたから私へ来たこれらの思想が、私に正しい道を守らせ、そうして私が目指していく輝く星から一瞬間でも私を振り向かせないようにしてくださるでしょうか?
 私は現在ではまったく進んでいないように思われる。けれども私は進むであろう。そうしてそんなささいな原因のために、それほどの美しい句を改めるのはつまらないことである。
 ああ! 私は自分のつまらなさに飽きてしまった! 私は自分の無為のために細り、自分のこの暗黒の中にしぼんでいる。日光が欲しい、日光、日光! ……
 どこからそれは私に照って来るのだろう? いつ、どこで、またどうして? ただそれが来てくれさえすれば、そんなことはどうでもよいが。
 私の誇大妄想の瞬間には、すべてのものが私には注意するに及ばないような気がしだして、私のペンは陳腐な言葉を書くことを拒む。私は私の周囲のあらゆるものを無限の軽蔑を持って考える。それからため息を持って自分自身に言う。さあ、勇気をつけなさい。今こそ私をよく導いてくれるときである。
[PR]
by bashkirtseff | 2004-12-21 22:08 | 1875(16歳)

日付なし

 依然として非常に美しい。この空気は愉快である。月は清く照らし、木は黒ずんでいる。ニースはきれいである。世界における最も美しい景色も、私の窓に有する景色ほどには私を喜ばさないであろう。天気はよい。けれども、悲しい、悲しい、悲しい。
 私は私の心理学的の小説をぽつぽつ読み続けようと思う。
 人はなぜ、誇張なしに話が出来ないのであろうか? 私の陰鬱(いんうつ)な反省は、もしもう少し落ち着いた反省であったら、適度であろう。私の表現の仕方があまり激しいので、自然でなくなった。
 純潔な魂、高貴な行動と真実な心がある、けれども彼らは発作によって現れる。そうして非常にまれだから、普通の世事と混入してはならない。
 多分人々は、私はあるもののために苦しまされているからこういう思想に浸っているのだと言うかも知れない。けれどもそうではない。私は私の平静の懊悩(おうのう)は持つが、特別のものは何もない。私がこの日記に記した以外のものは、何にも探さないでください。私は細心に、一つの思想も、一つの疑問も省いてはない。私は私の乏しい理解力の許す限り忠実に私自身を再現した。それでもしあなたが私を信じないなら、私が話していること以外に、またその後に、何物かを探そうとするならば、すればするほどあなたのために悪くなる。あなたは何にも見いだせないでしょう! なぜなら、何にもないのだから。
[PR]
by bashkirtseff | 2004-12-21 21:48 | 1875(16歳)

日付なし

 そうしてこれは実際神様の神聖なるお恵みを証拠立てる。なぜなれば、もし私がこの世界の嫌悪に完全に引き込まれてあるときには、上なる天にはただ神様、下なる地にはただ私を見るであろう。この信念は私に一層の力を与える。私は平凡なものにはただ触れるのみで、彼らの上に超越する。そうして多くの飢えた犬のように、お互い同士戦ったり、むさぼったり、きれぎれに裂いたりする人たちのためを思って、その卑劣を気にしないのが私の幸福だと考えるであろう。
 言うことはこれで十分である! 何のために私は自分を高揚しているのだろう? またどういう風に? おお! 幻影! ……
 私は精神的にますます高く向上する。私の魂は偉大である。私は無限大のことが出来る。しかしそれが何になるだろう? 私が世の中から知られない、薄暗い隅に生きている以上は!
 今では私は、私の同類の生物を真から悲しんでいる! けれども私は彼らを軽蔑はしない。反対に彼らを求める。彼らなしでは世界は空虚である。けれども、けれども──私は彼らの真価において彼らを評価する。そうして彼らを有用にしたいと思う。
 多いということそれはすべてである。私が気にするのは少数の優れた人々である。私はその確かな勝利を世界に期待する。
 それを考えると……あの永遠の倦怠(けんたい)であるが、しかしどうしても必要である……我々をして待たしめよ! と言う言葉に戻らねばならぬ。……ああ! 私にはこの待つということがどんなに難しいことだか、それが人々に分かってくれさえしたら!
 けれども私は生活を愛する。その苦悩を、その快楽と同様に愛する。私は神を愛する。そうして彼の世界を愛する。その卑賤(ひせん)にかかわらず、恐らくすべてのその卑賤のためにすら。
[PR]
by bashkirtseff | 2004-12-21 21:45 | 1875(16歳)

日付なし

 家の中がごたごたしているのは、私にとって非常に煩わしい。これらの家政上の事柄、これらの家具のない部屋、この寂寥(せきりょう)と悲惨の空気、こういったものが、私の心を引きちぎる! 私の神様、私を哀れんで、私にお力を貸してすべてのことを整頓させてください。私は一人きりです。叔母のことなどは、どうなろうと同じです。家は崩れたければ崩れるがよい、庭は干からびたければ干からびるがよい。……小さなことは言わないとしても、私の関係している範囲内でも、これらのわずかな家政上のことを怠慢にしておくのが、私を興奮させたり機嫌を悪くさせたりする。……私は周囲が趣があって、きらびやかで、居心地が良くなってさえいれば、善良で、愛想良くて、愉快である。しかし何を見ても空虚で寂寞(せきばく)であると、私までが空虚で寂寞になってしまう。ツバメは巣を営み、ライオンには穴がある。それに、彼らよりもはるかに優秀な人間はどうして、何にも出来ないのだろう?
 私は優秀と言ったが、ただしそう言ったからとて私が人間を尊敬していると取られては困る。私は人類に対して甚大の軽蔑(けいべつ)を持っている。しかも確信を持って。私は人類から何らの善をも期待していない。人類は私の求め望むものを持っていない。──善良で完全な心を持っていない。──善良な人間はばかである。利口な人間は狡猾(こうかつ)か、でなければあまりに自分の才知にとらわれすぎて善良になれない。かつあらゆる人間は、本質的に利己的である。試みに自我主義者の中に善を探してみなさい。私欲と狡猾と、陰謀と、せん望のみである!! 野心家は幸福である。それは高貴な熱情であるから。私たちは時々虚栄と野心から他人に良く見られようとする。それもそうなれないよりはましである。
 さて、あなたの知恵はこれでおしまいですか? ──現在ではまあそうです。──こんな訳で、少なくとも私は幻影が少なくなるかも知れない。下等なことを見ても苦しまなければ、低級な行為を見ても驚かなくなるだろう。そのうちにはきっと、私が男を見いだしたと思うような日が来るだろう。けれども悲しいことには私はその日を間違えるであろう。私はその日を今から先見している。私はそのとき迷わされるであろう。私は今はっきり見ることが出来るから言うのである。……しかし、それならなぜ生きているのだろう? 世界のものはことごとく下等でくだらないものばかりなのに? ……なぜだろう? と言うも私には世界がそういう風に見えるからである。と言うも、要するに生活と言うものが非常に美しく見えるからである。それに生活の底まで行き着かなくとも、人間は幸福に生きていられる。友情とか感謝とかいうものをば信じなくとも、誠実とか正直とかいうものをば信じなくとも、私たちは勇敢に人間の小さなことから昇り離れて、それらのものと神の間をさまよおうではありませんか。生活の中で何でもつかまれるものは熱心につかみなさい。仲間の人に害を加えてはいけません。快楽は一つも失わないようにしなさい。気楽な、元気の良い、華々しい生き方をしなさい。どこまでも、立ち上がって、出来うる限り他人の上に立ちなさい。力強くなりなさい! そうだ、力強く! 力強く! 構わず力強くなりなさい! ……そうすればあなたは恐れられたり、尊敬されたりします。そのときにはあなたは強くなります。それが人間の幸福の高さです。なぜなれば、そうなるとあなたの仲間の人間は、憶病とかその他のことから、鼻を擦り寄せてばかりいて、かみつくことはしないから。
 私のこういう風な議論を聞くのは不思議ではありませんか? そうです、しかし、私のような若い犬によってなされるこれらの議論は、この世界が価値あるものだと言う一つの有力な証拠である。……ちょっとの間に、これほどまでに私を悲しませたのは、実際野卑と害心に満たされているのでなければならない。私はほんの15である。
[PR]
by bashkirtseff | 2004-12-19 21:46 | 1875(16歳)

日付なし

 私は自分の好きな人を皆公爵と比較してみた。すると不思議にも、あらゆる場合に私は自分の前に完全にあの人を見る。それを私は神に感謝する。なぜと言うに、あの人は私の光である。おお! 何という相違だろう! 実にありありと私は思い出す! ……私の幸福はあの人を見ることにあった。私はテラスの上に立っていて、時々あの人の通るのを見て、大喜びで帰って来ることなどもあった。私はコリニョン(家庭女教師)の腕の中に身を投げて、彼女の胸に顔を隠した。彼女は私のする通りにさせておいて、やがて静かに起こして、私の日課をさせた。まだすっかり混迷して、喜びに酔っているままで! 喜びに酔うというその句を、おお、私はどんなに良く理解したであろう! と言うのは、私はそれを経験したのである。私はあの人を同等のものとしては見なかった。私は一生懸命であの人を知りたいと思ったことなどはなかった。あの人を見る……ただ見ること……それが私の願うすべてであった! 私は今でもあの人を愛している。多分いつまでも愛していることだろう! ……あの人のことを思うだけでもどんなに美しいことだろう! ……その記憶はどんなに純粋なものだろう! ……あの人のことを思い出すと、私はニースのこの泥沼から離れて、高められる。私はあの人を愛している。このことを思い出すと私はあまり書けなくなる。私は考える。私は愛する。それだけである。
[PR]
by bashkirtseff | 2004-12-19 21:02 | 1875(16歳)