カテゴリ:1883(24歳)( 112 )

日付なし

 私は全く病気である。私は胸に大きな発疱膏を貼る。そのあとで、生きようとする私の勇気と私の欲望とを疑うならば疑いなさい。でも何人もそれを知らない、ロザリを除いては。私はアトリエの中を歩き回る。読書したり、話をしたり、そうしてほとんど美しいと言っても良い声で歌ったりしながら。私は良く日曜には何にもしないでいるので、こうしていても誰も驚かない。
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by bashkirtseff | 2010-09-01 07:34 | 1883(24歳)

1883.09.15(Sat)

 今朝、私はサロンにバスティアンを見に行った。どう言ったら良いだろう? それは美しさの中の美しさである。3つ肖像があるが、それは、今夜私たちと晩餐を共にしたジュリアンの言うところによれば、及びもつかないものである。そうだ、及びもつかないものである。かつてこういうものは一度も制作されなかった。それは生命そのものであり、魂である。そうして何物にも比べることの出来ないような技巧をもって描かれてある。なぜと言うに、それは自然そのものであるから。それにならって描こうとする者は狂愚である。
「実れる小麦」と題する小さい絵がある。麦を刈っている一人の男を背中から見せている。この絵は良い。
 実物大の2つの絵がある。「乾草」と「馬鈴薯を取り入れる女たち」である。
 何という色彩だろう! 何というデッサンだろう! 何という描法だろう! それは自然そのものの中でなければ見いだされない色調を持った一つの豊かさである。そうしてその人物は皆生きている。
 その色調は神聖なる単純さをもって互いに関連を持ち、そうして視線がその変化を真実の喜悦を持って追っている。
 私はそれがそこにあるとも知らずに、その部屋に入って行った。そうしていきなり「乾草」を見て足をとどめた。それは郊野の見えるように開かれた窓の前に立ち止まる時のように。
 人々は彼を正しく取り扱わない。彼はすべての人の100も上にいる。何ものと言えども彼に比ぶべくもない。
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by bashkirtseff | 2010-09-01 07:32 | 1883(24歳)

1883.09.13(Thu)

 私はスタンダールで、苦痛というものは理想化するとそれほど苦く見えないということを読んだ。最も正しい。私の苦痛をばどう理想化したものか? それは不可能である! 私の苦痛は実に苦くて実に平凡で、実にいとわしくて、この日記の中ですら、自分をひどく悩まさずには語ることも出来ない。時としては自分で聞いていてすら頭痛のするようなことをどうして言えよう? さて! 神のお旨はなされるように! この言葉は私から機械的に出たのであって、私はほとんどそう信じている。なぜと言うに、私は全く自然に、激しい苦痛もなく、自ら看取りながら、死ぬであろうから。
 私はそれを気にしない。と言うのは、私は目のことで悩まされて、この15日間というもの制作もしなければ、読書もしない。それだのに良くならない。私は動悸を感じたり、空を過ぎ行く漠としたものを感じたりしている。
 これは恐らく15日この方私が気管支炎にかかっていて、誰でも床につかないではいられそうもないのを、私は何でもない体のようにして出歩いたりしているからであろう。
 私はヂナの肖像に悲劇的な気分で働きすぎたから、髪の毛が白くなるかもしれない。
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by bashkirtseff | 2010-09-01 07:30 | 1883(24歳)

1883.09.08(Sat)

 良き一日である。私はルイの肖像を仕上げた。
 私はヴェルサイユに行った。そうして夜は、元帥を訪問した後、クレエルと私とは、毎晩そうするように、客間の床に寝そべった。毎晩そうするように、芸術に関する話を交わす。しかし今夜は特別に本当の親密さがある。そうして私は何よりも私の絵のことを考えている。それは……詩趣に満ちたものになるであろう、……落ち着いた、静かな、単純な、深みのある。
 私は美しい用語の欠乏に困っているのではありません。まあ見ていましょう。
 私の新しい絵は偉大なものになるかも知れない……単純な、静かな。
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by bashkirtseff | 2010-09-01 07:26 | 1883(24歳)

1883.08.29(Wed)

 私はこの暑さにも関わらず始終咳をしている。そうして今日の午後は、モデルの休みの間、長いすの上で半ば眠りかけると、私は自分が寝ていて、自分のそばに大ろうそくが灯っているのを見た
 これはこうしたすべての凶事の結末であるのかもしれない。
 死ぬ? 私はそれが非常に怖い。
 だから私は死にたくない。それは恐ろしいことであろう。私は幸福な人たちはどうしているのか知らない。しかし私は神に何物も期待しなくなってから、かなりにかわいそうなものになっている。そのすぐれた隠れ家がなくなった上は、もう死ぬよりほかに仕方はない。神なしには、詩も、愛情も、天才も、恋も、野心もあり得ない。
 情熱は私たちを不安の中に、希望の中に、欲望の中に、思想の激烈さの中に投げ込む。人ははるか彼方にあるものを求める。感激と祈りをもって近づき得る神を求める。何事でも願えれば、何事でも語り得られる神を求める。私はあらゆる著名の人たちが、恋したり、非常に野心を燃やしたり、あるいは非常に不幸だったりした場合に、神に救いを求めたかどうかを告白してもらいたく思う。
 普通の生まれつきの者だったら、たとい利口であっても、学問があっても、神なしに平気でいられる。しかしひらめきを持っている者であったら、たとい彼らは、あらゆる学問に通謀していようとも、また、たとい彼らが理性からは疑っていようとも、彼らは情熱から信じることがあるはずである。少なくとも時折は。
 私には学問があるというわけではない。しかし私のあらゆる省察はこうした方面に向かっている。──すなわち、私たちが信じよう教えられている神は一つの創作である。ある宗派の、また他の宗派の神、そうした神について言うことはない。
 しかし天才ある人々の神、哲学者たちの神、私たちみたいにただ単に聡明な人間の神、その神が、もし私たちの言うことを聞いてくれないとするならば不公平である。もしまたその神が意地悪だとするならば、私にはその神のなすべきことが何であるか分からない。
 しかしもし神が存在しないとするならば、あらゆる国民の間に、またあらゆる時代において、至る所に神を崇拝しようとする必要はなぜあるだろうか? あらゆる人々の天性となっているこうした熱望に対して、また、私たちをして崇高な存在を、偉大なる主を、神を、探し求めるに至らしめるこの本能に対して、何一つ適応するものがないということが可能であろうか?
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by bashkirtseff | 2010-08-22 06:57 | 1883(24歳)

1883.08.27(Mon)

 私は「釣りを垂れる漁夫」をイスキアの福引きに出した。福引きの品物はセーズ街のプチ(小展覧会)に陳列される。漁夫もよく、水もよい。私はこれほど良く出来ていようとは思わなかった。ああ! 心境! ああ! 環境! 私たちは全く愚かである。芸術が何の役に立とう。群衆はそんなものはちっとも理解しない。それにあなたは群衆を愛しているのですか、あなたは? そうです。それは、更により以上の嘆賞を得るため、万人から理解されるような高名を欲しているからです。
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by bashkirtseff | 2010-08-22 06:53 | 1883(24歳)

1883.08.21(Tue)

 否、私は40になるまでは死なないだろう、マドモアゼル・コリニョンみたいに。35ぐらいになると、私は病身になる。36か7くらいになると、ひと冬床について、亡くなってしまう。私の遺言は! それはサン・マルソーとジュール・バスティアン・ルパージュとから、一つの塑像と一つの絵とを乞うだけにとどまる。──花で囲まれた、目立つ場所にある、パリのどこかの礼拝堂に置くように。そうして、毎日の忌日には、そこでヴェルヂ(当時有名なイタリアの作曲家)とベルゴレエズ(18世紀のイタリアの作曲家)のミサが歌われたり、その他の音楽が奏されたりする。年忌ごとに、永久に、もっとも有名な歌手たちによって歌われるのである。
 そのほか、私は芸術家に、──男たると女たるとを問わず、賞金を残すことにしよう。
 そんなことに心を労する代わりに、私は生きていたい。でも私には天才がないから、そうして死んでしまったほうがましだ。
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by bashkirtseff | 2010-08-22 06:51 | 1883(24歳)

1883.08.20(Mon)

 私は歌っている。月がアトリエの大窓から差し込んでいる。良い晩である。誰でも幸福になり得るはずである。そうだ、恋する機会さえあれば。誰を恋するのだろう?
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by bashkirtseff | 2010-08-22 06:49 | 1883(24歳)

1883.08.17(Fri)

 誰も私の臆病を信じていない。けれどもそれは極端な高慢によって説明される。
 私は自分から切り出すのは、怖くて、恐ろしくて、絶望である。人から言い出してもらわねばならぬ。無鉄砲な瞬間に、私は自分から切り出そうと決心する。それがかつて成功したためしがない。ほとんど常に遅すぎて、はずれてしまう。
 私は一つの絵を出品したいとか描きたいとか思っていることを言い出す前に、何度も何度も青くなったり赤くなったりする。人に笑われているようにもあり、自分は何にも知らないようにもあり、自分は差し出がましくこっけいなようにもある。
 人が(言うまでもなく芸術家であるが)私の絵を眺めているとき、私は3番目の部屋まで逃げていく。言葉をも、瞥見をも、私はそれほどまで恐れている。それでも、ロベール・フルリは、私がそれほどまで自信がないなぞとは思ってはいない。私が高慢らしく話すから、彼は、私が自ら高く持して、自ら大才を許していると信じている。従って、彼は私を励ましてくれることを必要とは思っていない。もし私が、自分の躊躇していることや自分の恐れていることを、彼に言ったとしても、彼は笑うであろう。私は彼に一度そのように言ったことがあった。彼はそれを冗談に取ってしまった。これは私が種をまいた恐るべき誤謬である。バスティアン・ルパージュは、私が彼を非常に畏敬していることを知っているようであり、また彼は自ら神なりと信じているようである。
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by bashkirtseff | 2010-08-22 06:48 | 1883(24歳)

1883.08.16(Thu)

「大きな不幸」と言ってはあるいは誇張になるかも知れない。しかし今起こったそれは多分、理性ある人たちによってすら、したたかに打たれた棍棒の一撃とも思われるような、まさしくそうした大きな不幸と見なされるであろう。……
 そうしてばかげている。……私のあらゆる不幸がそうであるように。
 私は最後の期限なる8月の20日に、3年ごとに開かれる展覧会に私の絵を送ろうとしてた。ところが、それは20日ではなく、今日の16日で、その期限は切れるのである。
 私は鼻に疼きを感じ、背中に痛みを感じ、両手が言うことをきかない。
 打ちのめされた後は誰でもこうであるに違いない。
 そうした後で、私は自分のあらゆる不幸を泣くため化粧部屋に身を隠す。──誰からも嫌疑をかけられない、唯一の、そうしてあまり英雄的でない場所に。
 もし私が自分の部屋に閉じこもっていたなら、そうした打撃の後にあっては、理由を察しられてしまう。私は目をつぶって、子供か野蛮人みたいに、唇をゆがめて、心から泣くために、身を隠すようなことをしたのは、これが初めてだと思う。……
 そうしてそれから? それから、私は目が平静通りになるまでアトリエにとどまる。
 私は一度母の両腕に抱かれて泣いたことがあった。そうして人と共に分ちた悲しみは、痛ましい屈辱であったから、それから幾カ月もの間、私はもう何人の前でも自分の心痛を泣いて見せることはしなくなった。怒って泣くとか、あるいはガンベッタの死を悼んで泣くのなら、何人の前でもかまわず泣ける。しかし自分の弱さを、自分の貧しさを、自分のみすぼらしさを、自分の屈辱を並べ立てるのであったら、断じて泣けない! もしそうすれば一時は慰められるとしても、他人に打ち明けたことを永久に悔いることになる。
 あなたにお話しした場所で泣き崩れながら、私は私のマドレーヌの目つきを発見した、──彼女はもう塚穴は見つめていないだろう。何にも見つめていないだろう。ちょうどさっきの私みたいに。人の泣いていたあとの、あの一杯に見開いた目。
 そうだ、そうだ、そうだ!
 神は不公平である。もし神があるならば、私は神の責任を誰に訴うべきだろう? 私が疑うと神は罰する。神は私に疑わせるようなことばかりする。そうして私が疑うと、私を打つ。そうして私がどこまでも信じたり祈ったりしようとすると、私に堪え忍ぶことを教えるように、さらに一層きつく私を打つ。
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by bashkirtseff | 2010-08-22 06:45 | 1883(24歳)