カテゴリ:1883(24歳)( 112 )

1883.11.01(Thu)

 私はグランド・ジャットで仕事をしようとしている。金色を帯びた樹木のある並木道、中ぐらいの画布。──ボジダアルは私と一緒に来た、幸いにも。と言うのは、私はちょうど祭日であるのを考えていなかったところが、着いてみると、私たちは遊船の乗客が黒山のように集まっているのを見いだした。そうしてロザリではおそらく介添え人として充分とは行かなかったろうから。それに、実に優れたこの島へ行ったり来たりして絵を描くのに都合が良いように、私はドイツのおばあさんみたいな着物を着ている。私の身なりを変えてしまうような2、3のメリヤスの着物。27フランで買った外套。それから編み物の黒いショールを頭からかぶり、足には布靴をはいて。
[PR]
by bashkirtseff | 2010-11-27 20:10 | 1883(24歳)

1883.10.28(Sun)

 私は何事も一心になってすることがないので腹立たしくなる。私はこう独り言を言う、さあフォンテーヌブロー(パリ郊外の森林地)へ行こう。そうして、──なぜそうする? もっと近いところにだって、毎朝馬車を駆って通えるようなところにだって、森のある場所をば見いだせるかも知れない。それに通っても良い。またなぜセーヌ川上の霧を描いてはいけないのか? それにまた……ついに私ははっきりとは何事も分からなくなり、何を私は欲しているのかも分からなくなる。
 またなぜアルカション(海水浴場)へは行かないのか、そこには東洋にも似て、そこで私は「聖女たち」を描けるだろうに? そうして同時に、ほかの場所へ行ったと同じくらいに習作もたくさん出来るだろうに? ──そうして彫刻は? もし私が旅行すれば、私の彫像は出来なくなってしまう。
 こうした様々な……不決断と手を断つため、私はボートに乗ってセーヌの霧を描こう。そうすれば私は幸福になれるだろう。
 私は午前1時に、とうとう自分は何か描きたくなって来たのだと言うために、起きてしまった! 私が苦しんでいたのは、何にもしたいという望みが起こらなかったからである。
 それは立ち上り立ち上る火炎のごとくである。それは自分の好きな人の、たちまちにして現れた姿のごとくである。感激であり、熱であり、歓喜である。
 私はそう思って一人きりで顔を赤くしている。
 私は10月の霊妙な色調を帯びて、その燃ゆるがごとき葉をつけたままの森林を描きたい! そうしてその中には1、2の人物を配する。バスティアン・ルパージュの「親父ジャック」にあっては、森が、今覚えているところによると、遠すぎた。あれは落葉していて、少し灰色がかかっていた。私は赤、金色、緑で……描きたく思う。
 けれどもこれはまだそこに私があると言って良いような絵ではないであろう。私という者を示してくれるものは「聖女たち」をおいてはない。……そうして私はまだそれに着手しちない。本当に、私はまだそれをしようともしない。
 それでは眠りましょう。
[PR]
by bashkirtseff | 2010-11-27 20:07 | 1883(24歳)

1883.10.22(Mon)

 私は本当にこの肺病が空想上のものであって欲しい。
 ある時代には、肺病であるのが流行だったことがあるらしい。だから誰も彼も肺病らしく見せかけようと努めたり、肺病だと信じたりしていた。ああ! もしもこれがただ単に想像だけのものであってくれたら! 私は生きていたい、私は。いつまでも、そうして何事があろうとも。私は恋愛には心を労さない。私には偏執もなく、浮薄さもなく、そんなものは何にもない。私は有名になって地上における善を享楽したい。……これは実に単純である。
[PR]
by bashkirtseff | 2010-11-27 07:59 | 1883(24歳)

1883.10.15(Mon)

 私たちはサロンへ行く、ガヴィニ夫妻と、母と、私とで。とうとう今日、ムッシュ・ガヴィニは、バスティアン・ルパージュの肖像画がメエソニエのそれに勝ることに私と意見が一致した。これは私には6カ月の論争のたまものであった。でも私は非常に満足である。
 社交界の一人物の絵画に関する意見なんかが、何を私に良く加えうるであろう? これは内密な一つの小さな勝利である。誰でも、自分の考えを優勢ならしめるのは好きだ。使徒たちにあっては、それが熱情にまでも変わっていた。そうして、今でもそうした使徒はある。そうして誰でも若いときには、火のような感情にあふれている。自分の熱中しきっていることは人にも分かとうとする。いつかは、私もそうしたことに平気でいられるような時がくるであろう。私はすでに、ある種の事柄にかけては平気でいられる。
 それでバスティアン・ルパージュも、今は彼をまず軽蔑している世間の人たちからやがて迎えられるようになるであろう。私はと言えば、私はすべての人に対して有益であり、心地良いものでありたい。神の摂理を行い、世を救い、様々な幸福を右から左へと分かち与えたい。そうして同時に、おお、驚くべきことには! そうするのが私であると皆に知られたいなどとは、それほど願いもしないのである。私は天使である!
[PR]
by bashkirtseff | 2010-11-27 07:57 | 1883(24歳)

1883.10.09(Tue)

 ボジダアルの肖像は、私には良い……らしく思われる。ジュリアンは、これは恐らくは大成功だろう、これは非常に独創的で、非常に新しい、だからこれは学問のあるマネのように見えるだろうと言う。
 私にも、それは面白い作品だと思われる。体はほとんど正面に向かい、首は横向きになって、空を背景にして浮きだし、バルコンによっている。造船所、住屋、屋根、街路、辻馬車が見える。それは全体として非常に良く似ている作品である。しかし私は顔の中にさらにもっと何ものかが欲しく思う。頭蓋と胴体は非常に正しい、私の目にすら。
 バルコンにはのうぜんかずらが咲いている。彼は街路を見つめながら、その一つを指の間でつぶしている。しかし私は花の代わりにシガレットにしよう。片一方の手は、隠しに入れている。大きさは実物大の半分である。手にはまだ筆を加える余地がある。
 しかし、5時半頃、私は新月と共に少し赤みを帯びた空にある効果の出たのを見て驚く。ちょうど良い、ちょうど良い、私の「聖女たち」に欲しく思っていたものである。私は即座にその略画を描いた。こうした絵は非常にうまく行かないと出来ないだろう。こうした空を整頓させることは不可能である。私は今すぐにでもかかりたい。3週間たてば描きあがるだろう。とにかくかかってみたい。……コンカルノオでは10月よりも11月の方が天候が悪いということはあるまい。それから……何でも気乗りのしたものを、絶好の機会に乗じて描かねばならぬ。
 私が描こうと思っている空は出来た。これから南国へ、景色と植物を探しに行こう。モデルならここにある。私は南国へ行かねばならぬ、さあ、いつにしよう? 私は人物と空を──15日のうちに仕上げたら、そうして、一度彼地へ行った以上は、多分私は何か絵になるものを見いだすだろう。と言うのは、私は「聖女たち」の方は確信があるのでないから。それは成功するかも知れぬが、それには7年はかかるかも知れない。
 しかしこの空……おお! もしこれが小さなものに使うのであったら……しかし、否、私は実物大にしたい。その方がずっと人に迫るであろう。
 もう少し待つ? 多分。と言うのは、私は今まで良く待ったのだから。数カ月前だったら、私は粗末な制作をしてしまったかも知れない。私はそれを部分から描こうとしていた。そうしてそれに与えねばならぬ融合を充分に呑み込んでいなかった。それに私はまず第一に有名になり、そうしてその有名になった名前をもってでなかったら、この絵を展覧会には送るまいと思っていた。でないと看過されてしまう危険があるから。誰に相談したものだろう? 誰が率直になってくれるだろう? 誰が正しく見てくれるだろう?
 それはやはり私の唯一の友なるあなたでなければならぬ。あなたは少なくとも率直になってくれ、私を愛してくれる。そうだ、私は自分を愛している、私だけが。
 そうだ、子供を仕上げなければならぬ。それと一緒に送るように今一つの絵を描こう。ボジダアルを集会での冬の展覧会に出品しよう。そうしてヂナの肖像も同様に。
 そうして一つの彫像を制作する。これは夢である。でもそれは可能だ。
[PR]
by bashkirtseff | 2010-11-27 07:54 | 1883(24歳)

1883.10.06(Sat)

 私は外国人の受けている印象を自分で実感してみるために、私たちの有名なツルゲーネフの一つの小説を、一気にフランス語で読み通した。
 彼は偉大な作家であった。非常に鋭敏な精神を持っていて、極めて繊細な解剖をしている。一箇の詩人であり、一箇のバスティアン・ルパージュである。その風景の美しさも、ちょっとした感情の書き分けも、バスティアン・ルパージュのようである。
 何という崇高な芸術家であろう!
 ミレーだ! 全く、彼はミレーと同じように詩的である。こうでも言わないと私の言うことが分からないかも知れない馬鹿者たちのために、私はこうした不条理な言葉を用いるのである。
 音楽であれ、文学であれ、何事においてあれ、偉大で、詩的で、美しく、微妙で、真実なものはすべて、私をこの驚くべき画家へ、この詩人〔バスティアン・ルパージュ〕へと連れ戻す。彼は一般人からは卑俗だと思われているような様々な主題を取ってきて、そこから最も深奥な詩を抽出する。
 雌牛の世話をしている一人の少女や畑で働いている一人の女より以上にありふれたものがあるからだろうか?
 それがどう仕上げられたか?
 しかし何人といえどもそれを彼のごとくに仕上げはしなかった。彼の仕上げ方は正しい。そうだ、300ページを1枚の画布のうちに入れてしまっている。しかし私たちが彼を理解しているのは15人ぐらいである。
 ツルゲーネフも百姓を描いた、哀れなロシアの百姓を。そうしてそれをば何という真実さで、何という素朴さで、何という誠実さで描いているだろう! そうしてそれは和やかである、詩的である、偉大である。
 不幸にして、外国人にはその点は了解され得ない。外国人の間では、彼は主に社会相の研究によって知られている。
[PR]
by bashkirtseff | 2010-11-26 22:14 | 1883(24歳)

1883.10.06(Sat)

 あの親切な、あの善良な、あの卓越したロベール・フルリが、私の絵を見に来る。親切な、善良な、卓越した! そうした彼が私に酷評を下さなかったことはお分かりになるでしょう。最初の言葉はこうであった、──これは非常に良く出来ている。
 私はすぐ彼を遮った。
 ──否、ムッシュ、もしあなたが私に程良い挨拶をして下さるのでしたら、私はありがたくはありません。あのこわいジュリアンは、皆が私には手加減をして言っている、私は何にも知らない、などと申しています。
 ──いや、ごめんなさい、マドモアゼル。私はいつもあなたを本当に真面目な生徒として、全く真剣に労作している方として、扱って来たのです。
 ──ムッシュ・ジュリアンは、私が何にも知らない……などと申しています。
 ──そうしてあなたは彼のからかいを真に受けていらっしゃるのですね?
 そう言ってこの快活な人は、私の人の良さを心から笑った。……
 最後に彼の言ったところはこうである。──これは非常に良く出来ている。特別に良く出来た部分がある。(私は言葉通りに引用しておく。)私にもおそらく到底これ以上に良くは描けないだろうと思われるような部分がある。右手の子供と、前景に後ろ向きになっている子供は、申し分はありません。──しかし背景は右側を明るくする必要があります。そうすると、多分私の描いた子供たちの全体の効果が非常に良くなるであろう。私は子供たちにはもう手は加えないつもりであるが、ただ2つの目だけはもっと黒くなくしなければならぬ。
 これは2時間の制作である。
 私は狂喜すべきはずであっただろう。でも私は狂喜しない。と言うのは、私の卓越せる師の意見に、私は興していないから。私はもっと良く描ける。……私の仕上げたものが、では、良く出来ていないと言うのか? 充分とはいかない。……私はこれ以上に良く見ている。私は見ている通りに描くべきであった。
 一般の観衆は何と言うであろう? これは注意をひくだろうか? どうして分かるものか? 彼はこれが良いと思っている。ニースへは送るな、パリで発表するため取っておけ。──彼はこれが良い出来だと言う。良いというのは比較的な言葉である。そうして私は比較的な良さなんかをこの作で欲していはしない。これは他の画家のものとしてなら良い出来である。しかし私にとっては、しかし全人類にとっては? これは力強いものであるか? 彼は小さな人物の背中は完全に描けていると思っている。ズボンを通してそのかわいい両足が感じられると彼は言った。それはしっかりと地に立っていて、そうしてすべてが……
 彼は多分、私が解剖学以上の悪知恵を絞ったものとでも信じているのだろう。
 私は何にも考えないで自然を写したのである。かつ、私には、才能は無意識的なものであるということが思えるのである。
[PR]
by bashkirtseff | 2010-11-24 21:35 | 1883(24歳)

1883.10.01(Mon)

 15日前に死んだ私たちの大作家ツルゲーネフの遺骸は、今日ロシアへ送られた。停車場で、盛大な告別式。ムッシュ・ルナン、ムッシュ・アブウ及びド・ヴィルウボフというロシア人の告別の辞があった。このロシア人はフランス語を非常によく話して、外の人たちより以上に感動させた。アブウは低声で私にはほとんど聞こえなかった。私はサン・マルソーの胸像で見てその顔を知っていた。ルナンは非常に良かった。そうして最後の告別の言葉は震えていた。ボゴリウボフもまた告別の演説をした。要するに私は一人のロシア人が、かの最も尊大なフランス人によって敬意を払われるのを見るのが得意である。
 私は彼らを愛している。しかしまた彼らを軽蔑している。
 彼らはナポレオンをサン・テレエヌ(セントヘレナ)で死なせた。それは巨大な、奇怪な、唾棄すべき罪であり、永遠の恥辱である。……
 他の国民の間にあっても……そうは言っても……セザル(シーザー)を殺戮した。要するに、デュマ・フィスが実に正しく言っている通り、古代においてなら祭壇を設けて祭られたかも知れなかったラマルティーヌをさえ彼らは侮辱した。
 それから、更に個人的な今一つの遺憾を言うと、彼らはバスティアン・ルパージュの才能を認めていない。──私たちはツルゲーネフの告別式の後、サロンへ行った。そうして私は、その絵を情熱の爆発、内面の爆発をもってでなしには見ることが出来ない。あるいは、私は彼に恋していると思われたかも知れない。
 メエソニエ! しかしメエソニエは一個の手品師に過ぎない!
 彼はほとんど感激に境するような実に偉大な驚愕を引き起こさせるような風に、様々な顕微鏡的な絵を描いている。……しかし彼がこの細小の価値を脱出するやいなや、彼の描く顔が1センチメートル以上の大きさを持つやいなや、それがこわばってきて、平凡なものになってしまう。しかし誰もあえてそれを言う者はなく、皆が賛嘆する。もっとも、今年のサロンに出ている彼の画布はすべて良い出来で正しく描けているにはいるけれども。
 しかしそれが芸術だろうか?
 クウアヴサン(古代の楽器・今のピアノ)を奏でていたり、あるいは馬に乗っていたりする着衣の人物や……
 要するに多くのジャンリスト(風俗画家)はこうした絵をたくさん描いている。
 私が彼の絵のうちで驚きと美しさとを見て取ったのは、まず第一にアンティーブ街道の「戲毬者たち」である。これは、たとえ服装は古代のものになっているにもせよ、実物から取った情景である。またこれは空気と日光のあふれている絵である。そうして実に小さくて、人をびっくりさせてしまうような絵である。
 ついでは彼自身と彼の父が馬に乗って、同じ街道を行ってる、と私は思う絵。次には「銅版画彫工」。──動作と表情とが甲どころを捕まえていて、真実である。考えている、制作している、そうしておそらくは夢中になっているこの男は、私たちの心をそそり、私たちの興味を惹きつける。そうして細部が実に奇怪である。──窓から眺めているルイ13世時代の一人の騎士が、同じくらいの形で、さらに動作が正しく、働きが人間味を帯びていて、自然で、単純で、要するに人生の一部である。
 その外のものはすべて私はかなり入念な良い風俗画のとして類別する。そうしてそれらは、私が上に挙げたような傑作なしでは、メエソニエを光栄あらしめるには足りないであろう。
 彼の肖像画は、首がたった2センチメートル位でも、もう厚紙で出来ているようである。そうして大きくなればなるほど、余計悪い。
 私は敬礼して通り過ぎる。彼は私の心には永遠に触れないであろう。しかしバスティアン・ルパージュの肖像画を見よ! 多くの人たちは、もし私がこの方がメエソニエのよりも非常に勝っていると言ったりしたら、大声を上げて叫びたてるかも知れない。けれども、それは争うべからざる一つの真実である。
 しかしねたむ者はすべて、彼らの危険視している人をば打ちのめすため、一般に認められている老大家の名声を棍棒代わりに使う。バスティアン・ルパージュの肖像画に比ぶべきものは一つとしてない。彼の画面については異論もあるでしょう。……それはそうでしょう。あなたには分からないのかも知れません。──しかし彼の肖像画は! 世界開闢(かいびゃく)以来今日に至るまで、誰もこれ以上のものを仕上げた者はなかった。
[PR]
by bashkirtseff | 2010-11-24 07:43 | 1883(24歳)

1883.09.26(Wed)

 不満な点の忘れられた今では、私はただ父については、良いところがあったこと、独創的なところがあったこと、才気があったことなどばかりを思い出している。彼は果断な人であった。そうして世俗の目には、軽はずみで、風変わりな人間のように思われていた。少し冷酷なところと、ずるいところもあったにはあったであろう。…… でも、どこに欠点のない人があろう、私自身とても? ……実際、私は自分を責めて、父の上を泣いている。
 もしあのとき私が出かけてさえいたら……。それも体裁からだったのかも知れないが。感情はそこにはなかったのだから……
 それはどっちにしても同じように褒むべきことであっただろうか? 私はそうは思わない。
 私はそうした感情を持たなかった。だから神はその点で私を罰するであろう。でもそれが私の過ちだろうか? それから今夜の和やかなこの心持ちも考慮に入れてもらえないだろうか?
 私たちは、良かれ悪しかれ、私たちの真実の感情に責任があるだろうか?
 自分の義務をば果たせ、と、あなたは言う。それは義務の問題ではなかった。わたしたちは今感情のことを語っているのである。そうしてあのとき私は出かけようとする必要を感じなかったのに、どうして私は神に裁かれるだろう?
 そうだ、私は今夜のような情熱をもっと早く感じなかったことを悔やむ。今や父は死んでしまって、取り返しがつかない。そうして私は死にかけている父のところへ行くべき私の義務──なぜと言うにそれは私の義務であったから──を履行することが、私にどんなに値したであろうか? 私にはそれが分からなかった。私は自分が全然罪がなくはないと感じている。私は義務を果たさなかった。それは果たさなければならなかったのである。これは永遠の悔いである。そうだ、私は良い振る舞いをしたのではなかった。だから私はそれを後悔している。そうして私はそれを自分の前に恥じている。これは非常に苦しいことである。私は弁解しようとは思わない。が、母が、あのときそのことを私に言って下さるべきだったとは考えてもらえないでしょうか? ああ! もちろんそうです! 彼女は私を疲らすのを恐れていたのです。それから、こうした理由もあった。「マリが母と一緒だとする。そうすると、2人を6カ月も彼の地にとどまらせることになるかも知れない! もしマリがこちらに居残ることになれば、母はそれよりも早く戻って来られるだろう。」
 そういう風に家族の側では推論した。ああ! 人は常に何らかの影響を被るものである、それとは知らずに。
[PR]
by bashkirtseff | 2010-09-01 07:40 | 1883(24歳)

1883.09.18(Tue)

 私のことを書き立てていていたロシアの新聞は、世間の人たちにも少しは私のことを気にかけさせるようにしたらしい。そうして外の大勢の人たちにあって、大公妃カトリイヌも私のことを気にかけていてくれるらしい。母は彼女の侍従や彼女の家族とは交際があった。だから私を女官に任命しようと真面目に打ち合わせがされた。
 しかし大公妃に紹介されることが必要である。要するに、この問題に関してはそうしたことまですべて打ち合わされてあった。でも母は、自分がこちらへ帰ってしまって、すべてを成り行きに任せてしまったのだからいけなかった。
 それから……私の美しい魂は一人の妹の魂を求めている。私には決して女の友達は出来ないであろう。クレエルは、私には少女の友達は出来ないと言う。と言うのは、私は少女としての小さい秘密もまた小さい身の上話も持ってないからである。
 ──あなたは余りに善良で、隠すようなことを何にも持っていらっしゃらない。
[PR]
by bashkirtseff | 2010-09-01 07:36 | 1883(24歳)