カテゴリ:1883(24歳)( 112 )

1883.12.31(Mon)

 元帥夫人とクレエルは昨日公爵夫人マチルドと晩餐を共にした。そうしてクレエルはルフェエヴルが彼女にこう言ったと、私に話して聞かせる。彼は私に才能のあることは知っている。非常に確実な才能である。私はかなり異常な人物である。私は毎晩社交界へ乗り出していく。そうして、おまけに、私は有名な画家たちに監督されたり、指揮されたりしている、と(知った風に)言ったと。
 クレエルは彼をまともに見つめながら言った、──どういう有名な画家なのです、ジュリアン? ──ルフェエヴル? ──否、バスティアン・ルパージュ。──クレエルが言うには、まああなたは思い違いをなさっていらっしゃいますよ、ムッシュ。彼女は滅多に外出しないで、いつも仕事をしておいでです。バスティアン・ルパージュとおっしゃるが、彼女は彼とは自分の母の客間でお会いするきりで、彼の方でも決して彼女のアトリエへ上がっていくようなことはございません。
 本当にかわいらしい、この小さい娘は。そうして彼女は真実を言った。なぜと言うに、あなたはよくご存じのはずです、おお私の神よ、あのジュール(ジュール・バスティアン・ルパージュ)の悪魔が何の私の足しになるものでしょう。しかしルフェエヴルはそれを信じているようだ!
 2時である。もう新年だ。劇場で、正12時に、時計を手にして、私はただ一語で祝した。それは書いても話しても、美しく、響きよく、荘厳な、酔うような言葉である。すなわち、
 La gloire! 〔光栄!〕
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by bashkirtseff | 2010-12-05 12:11 | 1883(24歳)

1883.12.29(Sat)

 おお、哀れ! 何という暗い、わびしい、絶望の幾日が続くことだろう。あの口さがない悪口、それを言わせたり、信じさせたり、作らせたりするのである。……
 しかし私は何一つ不徳なことをばしなかった! それに考えると!!
 ああ! 私の友人たちよ、すべての物が消えても良いが、せめて外容だけは保存してもらいたい!
 要するに、そうした最低にみじめさが、私をいわうようなき不幸にしている。
 つまらないことを話しても正しい場合はある。けれども間違った点は甚だしい。
 苦い、軽蔑すべき、些細なことで、私に覚えのないこと、それを今では直すことも出来ない。おお、哀れ!
 わびしい、絶望的な、暗い今日この頃ではある! 皆が私のことを非難する。……
 そうして私は何もしなかった、自分に対しても、人に対しても。クレエルとヴィルヴィェイユは仕事をしている。私は書斎の隅でこれを書きながら泣いている。
 火を消されたような日もあれば、私たちが消された火のようになった日もある。私も消された明かりである。
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by bashkirtseff | 2010-12-05 12:04 | 1883(24歳)

1883.12.23(Mon)

 真の芸術家は幸福であり得ない。まず第一に、彼らは、彼らこそは、大多数の群集が自分たちを理解していないことを知っている。彼らは100人ほどの個人たちのために制作しているのであって、その他の者は皆その悪趣味に、あるいは「フィガロ」に追随するものであることを知っている。あらゆる階級に渡っての、芸術上の無知は恐ろしいものである。
 よく芸術を口にする人は、いわゆる鑑識家と称する人たちの言うことを読んだり聞いたりして、それを尊敬して口にする。
 さて……私には、そうしたつまらないことがあまりに純朴に感じられる時代があるように思われる。そうした時代にあっては、くだらない対話は取りわけたまらないものであって、つまらないことには悩まされ、華やかさという値打ちもなければ、世間的皮相の見解から言っての価値すらも持っていない愚鈍をお互いに2時間も取り交わしているのを聞かされると、全く頭痛を起こさせられる。
 そう言えばとて、私は、客間の無駄話や、他愛もないおしゃべりや、型にはまったお愛想や、時候の挨拶、オペラ・イタリアンの噂などを聞かされて泣き出すような選ばれ人でないことは、覚えていていただきたい。私は面白いおしゃべりを至る所に要求して歩くほどの愚か者ではない。それは、たまには愉快ではあるが、大概は面白くもおかしくもなく、社交界の月並みとも言うべきもので、一向に私を悩まさない。私が時としては、進んで、それに耐えうるというのは、1つの悪である。しかし真の退屈、真の愚鈍、何物かの欠乏。要するに、社交界の月並み、同時に叡智の欠乏である。
 これでは小さな火で死ぬようなものである。
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by bashkirtseff | 2010-12-05 12:01 | 1883(24歳)

1883.12.11(Tue)

 午前、何にもしない! 午後は、5歳になる町の女の子の顔を写生する。笑っている横顔を。私は笑っている顔を5つか6つ描きたいと思っている。それは生後8カ月の子どもの顔から始まって次は今日の午後の女の子になる。その次にはアルマンヂィイヌ(ジャフェの踊り子)で、帽子をかぶり、カワウソの肩掛けをして、スミレの花束を肩にしている真向きの顔である。それから夜会服を着て杖を接吻している伊達者や、あどけない娘や、最後には年取った男や女などを。すべてそれらを一緒にして枠へはめよう。
 「笑いは人間に固有なものである。」非常に異なった様々の笑いは、きっと何かしら面白いものがあるかも知れない。で、私はそれを早く描こう。アルマンヂィイヌの時みたいに、それはちょっとした展覧会などには出せるかも知れない。
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by bashkirtseff | 2010-12-05 11:59 | 1883(24歳)

1883.12.10(Mon)

 午前、彫刻。午後は、笑っている女の胴衣と花束を描く。それは半ば踊り子で、半ばモデル女の、かわいらしげなやくざ女である。そうしてよく笑う。それを仕上げる。ガス灯で、──デッサンを描く。開かれたピアノのそばで読書している女。仕上げる。もし毎日がこのようであったなら、さぞ愉快であろう。
 しかし50人の無名の画家たちは私のしているようなことをしていて、天才に窒息させられるというような不平は言わない。それと言うのも、もしあなたが天才に窒息させられるようならば、あなたは天才を持っていない証拠である。天才を持つ者は、それを担うに足りるだけの力はあるはずである。
 天才という言葉はという言葉に似ている。私もこの言葉を初めて書くときには苦痛だった。しかし一度書いて以来は、私はこの言葉を毎日、そうしてあらゆる事柄に関して使った。それはちょうど誰でも、最初は大きな、恐ろしい、近寄りがたく見えているすべての物に対すると同様である。でも一度それに接触してしまうと、今までのちゅうちょや恐怖を取り返そうとするもののごとくに、それに入り浸りになってしまう。こうした精神的な観察も、私には充分に明晰なものとは思えない。しかし私には私の液体を費やす必要がある。私は夕方の7時まで仕事をした。それでもまだ残っているので、それを私のペン先から流れ出させようとしているのである。
 私はやせてきた。どうか……神は私に寛大であっていただきたい!
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by bashkirtseff | 2010-12-02 23:23 | 1883(24歳)

1883.12.03(Mon)

 さて、私は怜悧である。才知もあれば明察も持っている。……要するに、頭脳にかけてのあらゆる長所を具備している。そうして私は正しい。ああ! これだけの条件を備えていながら、なぜ私は自分自身を判断することが出来ないのだろう? ……きっと出来るはずである。私ははっきりした目を備えているから。そうでしょう?
 私は実際芸術界における何者かであるだろうか、あるいは何物かになろうとしつつあるのだろうか? 私は自分をどう思っているのだろう
 それは恐ろしい質問である。……と言うのは、私は自分の到達しようと思っている理想に比べると自分のことをば悪く思っているから。しかし、一方、他の人たちと比較するならば……
 誰でも自分を批判することはで出来るものでない、それに……天才でもないということになって以来……私はまだ自分でさえ、自分を決定的に批判しうるようなものはなんにも描いてない。
 だから、私は自分のしているだけの仕事の前に立つと、絶望させられてしまう。私は1つの絵を描き上げるたびに、すべてをやり直したくなり、その絵をすっかり悪いと思ってしまう。と言うのは、私は常に、それをそうあらせたいと自分で思っているものと比較するからである。……しかし周囲を眺めると慰められる。もっと悪いものを描いている人たちがたくさんあって、彼らは皆賞賛されている。……では? でもそれが当世である。要するに、白状すれば、私は芸術家の自分をたいしたものとは考えていない。私はそう言いたい(誤解されたい希望から。)まず第一にもし私が自らの天才を信じていたとしたなら私は決して何事につけても自分の不平は言わないであろう。……しかし天才という言葉は、自分のことでそれを書きながら私は嘲笑しているくらい、実に嫌な言葉である。私が自分に天才のないことを言おうとする場合ですらも! ……もし私が自分に天才があると信じていたとしたら、私はばかかも知れない。
 要するに、ああ! 私は自分が天才を持っているものとは思っていない。しかし私はすべての人が私に天才のあるのを信ずるようになることをば望む。……
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by bashkirtseff | 2010-12-02 22:56 | 1883(24歳)

1883.12.02(Sun)

 私の心は、要するに、空虚である。すっかり、すっかり、空虚である。……しかし私は、自ら慰むための夢が必要である。……そうは言っても私は、スタンダールが恋の情熱と名付けて、真の恋について語っているほとんど一通りのことは、経験した。彼の語っているところの、そうした数千の空想上の一切の狂愚を、一切の幼稚さを。……そうして私は、とても鼻持ちのならぬような人たちをも、笑い顔をして見ることが出来るようになった。と言うのは、いつかは彼らも私の志しているところへ歩み寄って来るであろうから。
 かつ、私は、女であれ、男であれ、常に仕事をしていて専心功名を念頭に置いている者は、そうするより他に脳もない人たちのように恋をするものではないと信じている。
 もちろん、バルザックとジュール(シーザーではない)とはそう言った。エネルギーの総量は1である。もし人が右方にのみエネルギーを傾けるならば、左するためのエネルギーはもう残っていない。でなかったら、努力の結果は1の変わり2になって弱まってしまう。「ラン(ライン)に50万の兵力を送るならば、彼らはその時パリにじっとしてはいられまい。」
 それ故に、この理論から見ると、私の感情が、私から易々と滑り去るようなこともありそうに思われる。
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by bashkirtseff | 2010-11-29 23:09 | 1883(24歳)

1883.12.01(Sat)

 私はだまされる役目を演じているのではあるまいか? 私の最も美しかった年月を何人か私に返してくれるであろう……おそらくは空費してしまった美しい年月を!
 でも卑俗な私のこうした疑問に対する良い答えがある。すなわち、私は実際、より良きことをしようとしても何一つそうしたことは出来なかった。これ以外のどのような場所へか行って、そうして他の人たちみたいに暮らしたからといっても、私はあまりに苦しむことばかりしていたに相違ない。……それにそうあっては、私にある優越を付与しているこの道徳的な発達には、到達することが出来なかったかも知れない。……私にとってはそれはかなり厄介なものではあったけれども。スタンダールでも少なくとも彼を理解することの出来る一人か二人の人間は知っていた。然るに私はと言えば、その点がたまらない。すべての者が平凡である。そうして私が才知ある人たちだと思って付き合っていた人たちも、私にはばかとしか思えない。私は不可解な人間と呼ばれているような人間になってしまったというのだろうか? 否。でも、要するに……そうは言っても、私は、自分が出来もしないことを出来るように人から思われたりするとき、驚かされるのももっともであるし、また自分ではそれが不満足であるのももっともであると思う。そうしてそんな事柄は私の威厳や、私のデリカシーや、私の優美さをすら犯すかも知れないのだけれども。……
 それでは、その人の前に立ったら私は何でも言えるような、すっかり私を理解してくれるような何人があるだろう? ……何でも理解してくれて、そうしてその人の言説のうちに私の思想を認めることの出来るような? ……ああ、私の親愛なるあなた、それこそ恋かも知れませんね。
 あるいはそうでしょう。しかし、そこまでは行かずに、ただ単に理知的によく私を理解してくれて、その人とならば打ち解けて話の出来る、それだけのことでもかなりに愉快かも知れない。……ところで、私はそうした人たちを知っていない。わずかにそのただ一人がジュリアンであった。その彼もだんだんと打ち解けられなくなってきたように思われる。……芸術上の問題についてはことにそうであるが、彼が的の反れたあの間断なき意地の悪い批評を始め出すと、歯が浮いてさえ来る。彼は私がはっきりものを見ていることと、私がついには目的を達しようと欲していることをしか分かっていてくれない。彼は私が私自らにおぼれているものと思い込んでいる。……
 とは言え、……要するに、彼はそれでも私の時折の相談相手ではある。感情の絶対の対偶ということは、恋するのでない限り、あり得ない。してみると奇跡をなすものは恋である。……しかし、それとは反対に、この反対の対偶こそ恋を生ませるものではあるまいか? ──妹なる魂、──私に言わせれば、よく乱用されるこの偶像こそはすこぶる正しいと思う。それなら、そうした魂はどこにあるのだろう? 耳の端をすら見ることの出来ないような人ででもあるのかしら。……
 一語さえも、一瞥見さえも不調和であってはならないのであろう……私の……思い描いている概念と……。と言えばとて、何も私は、見いだすことの出来ないような完全さや人間らしさをちょっとも持っていないような人間を要求しているのではない。いや、私はその人の瑕瑾(かきん)が私には興味ある瑕瑾と思われ、そうして私の目にその人の値打ちを損なわせないことを求めているのである。その人は私の夢と合致する。と言っても、不可能な神性を夢見ているというような平凡な夢ではない。要するに、その人のうちにある一切のものが私の気に入ることが必要である。……そうして私はたちまちにして愚かしいとか、平凡であるとか、不十分であるとか、幼稚であるとか、意地悪であるとか、虚偽であるとか、あるいは利己的であるとか、いったような、そうした何らかの片隅を見いだすようなことがあってはならない。そうした汚点の一つと言えども決してあってはならない。もしそうした汚点のほんの小さなものでもあったら、すべてを打ち壊してしまうに足りるから。
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by bashkirtseff | 2010-11-29 22:44 | 1883(24歳)

1883.11.28(Wed)

 私はヂナの肖像を描いた。青白い調子で、うまくいった。
 その娘は昨日私のアルバムをめくっていたとき、私に一つの古い草案を思い出させてくれた。すなわちシーザー(底本:セザル(ケエザル))の弑逆(しぎゃく)を。それは私の胸を貫いた。私は4時頃、ある色調を写し取っておくために戸外へ出た。3日この方、極光のような光線がパリを燃え立たせるように包んでいる。……私はそれを馬車の上でするのであった。私は描きながら馬車を駆けらした。……私は色調のみを探し求めていたのである。……さて、それを描くと、私は戻ってきてスエトニウス(十二皇帝の著者なるローマの歴史家/底本:シュエトオヌ)とプルタークに飛びついた。モンテスキューはプルタークの中の弑逆の話を賞賛している。何というアカデミアンであろう! いかにも整然としていて、流暢である。しかるにスエトニウスにあっては、その話が人をして戦慄せしめる。それは背中に悪寒を覚えさせるような一種の口供書である。さても偉人という者は、幾世紀の後に至るも、彼らの生涯とその死とが私たちをして戦慄せしめたり泣かせたりするとは、何という驚くべき威力を持っていることだろう。私はガンベッタのために泣いた。歴史をひもとくたびに、私はナポレオンに泣き、アレクサンドルに泣き、シーザーに泣く。アレクサンドルも不幸な死を遂げたが、しかしシーザーは! ……
 私はその絵を自分一人で描こう、情緒の上から。また群集のために。と言うのは、それはローマ人であり、そこには解剖があり、血があるから。そうして私は女であって、女は古典の大物は何一つ描かなかったから。そうして私は構図とデッサンとに自分の技量をふるいたいから。……さらになぜなら、それは非常に美しいであろうから。
 私を嫌がらせるのは、それは戸外でなしに、元老院内で起こったことである。その方が難しさは少ない。……そうして私はそのような困難はすべて意に介しない。……私は自分が最も困難な事柄にかかっていると信じているときには、たちまちにして非常に冷静に、非常に決定的な態度になる。私は自分を引き締め、自分を集中させ、そうして自分より以下の者でも出来るような仕事よりもずっと良くできる。
 この絵を描くのにローマへ行く必要はない。だから私はすぐ取りかかろう。……そうは言っても、3月か4月の月なれば、春が戸外にあって実に美しい色調を与えている。そうして私はアルジャントゥイユにおける花の咲いた樹木を描きに行こうという意図を持っていた。……一生のうちには描いても良いものが実に多い。だのに一生は実に短い! 私はすでに自分が計画したものを仕上げる時間があるだろうかどうかすら知らない。
 「聖女たち」……──大きな浮き彫り! 「春」。「ジュリアス・シーザー」(ユリウス・カエサル)。──「アリアアヌ」(アリアドネ)。──茫然自失してしまう。そのすべてを、すぐにもしたい。……と言ってもすべては徐々にされるであろう。……おのおのその宜しきに従って、あまたの遅延と、冷静と、幻滅とを持って。……人生は論理的なもので、すべてが相関連している。そうしてブルートゥス(ブルータス)が幻影に追われて自殺するとき、私はこう叫びだして自ら驚く、──よくなすったわ、無頼漢、よくなすったわ、汚らわしい悪人!
 偉大なものでの成功! 私が来年とか、その次の年のことなぞを考えているのだと思ってはいけません……もっと先です。……私はそんなことは考えようともしていないのですが、いずれにもせよ、そうなったら実に狂喜すべきであるかも知れません。
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by bashkirtseff | 2010-11-28 22:11 | 1883(24歳)

1883.11.24(Sat)

 ある驚くべきことが起こって、それが非常に私を愉快にしている。私がイスキアの福引きに出しておいた「釣りを垂れる漁夫」がオテル・ドルオーへ行って、種々の絵を集めたコレクションの中に入っている。小間使いたちのうちの一人の亭主がやってきて、バシュキルツェフと署名してある絵がオテルに売りに出ていて、今夜売り立てられると、驚いて話して聞かせた。母とヂナとが行って、130フランで競売されるのを見てきた。130フランという金はあなたには何でもないでしょうが、私にとっては巨額です。あれには額縁はなかった。20フランの框(バケット)の他何にもなかった。従って私の絵はオテル・ドルオーで110フランで売れたわけである。母たちは私に230フランだったと信じさせようと努めた。が私は、2と言うのは1のことであると、カタログを見て知った。ヂナは公爵夫人たちやそのほかの人たちに向かって、430フランだったと言った。おお真実! 要するに130フランが真実である。皆はそうは言わず、ヂナは、居合わせた人たちが皆自分の顔を見ているようで、母などは怖くなって顔を背けてしまったくらいだと言う。と言ったからとて、私はそうまでも信じないが、とにかく私は非常に愉快である。
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by bashkirtseff | 2010-11-28 21:59 | 1883(24歳)