カテゴリ:1882(23歳)( 94 )

1882.12.03(Sun)

 ああ! 神様、私に勉強ばかりしていられるような力を与えて下さい! 皆が私を美術の女王にならねばならぬと忠告するから。人は後で好きになることをする。私は理屈は分かっているけれども力を持っていない。……
 人が自分の仕事をよく理解している場合には、そのすることは善である。少なくとも善に近いものである。しかし今私の手では……。6カ月の月日が何であるか? 私は我慢して6カ月の月日を待てないであろうか? すべてそれを忘れることは、私を楽しませて絵を描いたり、仕事のみをしたり、時間を浪費させないようにするであろう。
 努力の連続、そうしてその次は……
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by bashkirtseff | 2010-06-06 22:16 | 1882(23歳)

1882.11.27(Mon)

 1人の女の子が私のために自分から進んで座ってくれている。それは私が出来た絵をやると言ったからである。私はジュリアンのために押しつぶされて、誰にも相談をしなかった。しくじったり、何にも出来なくなったりしたらこっけいだろうと思われたから。
 彼はもはや私が何にもしていないと言うはずはないので、──なぜと言うに私はまた彼のアトリエに通っているから、──私が勉強を装っているのだと彼は言い出した。これがまた私を悩ます。おととい彼はこの2年間だけ私は進歩をしなかったのだと言った。この2年間のうち5カ月は病気で、6カ月は回復にかかった。残りの時間で私はサロンに出す絵を描いた。──ロシアの外気で描いた等身大の女と、ニースの老人と、テレエズと、イルマと、ヂナと。大きい絵はそれだけであった。その数はたくさんではなかった。それらの絵が良くなかったことも分かっている。けれども、靴屋が慰み半分にしたような仕事ではなかった。
 要するに、ジュリアンはそう言ったら私を励ますことになるだろうと思ってい、そうしてそれは気の利いた言葉だと思っている。──腹立たしいことだ! もちろん私はブレスロオのように恵まれてはいない。彼女は小さい芸術的環境の中に生きている。ちょっとした話も、ちょっとした動きも、皆ある程度まで自分の道に関係している。けれども私は今私の置かれている境遇において出来うる限りのことをするつもりである。
 私は勉強の時間をひどく浪費しなければならぬ。例えば、ブレスロオが写生をしたり、構図をしたりして費やす夜を、私は訪問者のために煩わされたり、悩まされたりする。
 環境というものはあなたが学生である間は半ば戦場のようなものである。このことを考えると私は冷ややかな腹立たしさを顔に表したり、周囲の人に同じような感じを抱かせたりする。──もし私がこれ以上に刑罰の降り掛かることを恐れないならば、私は神は不公平だと言いたい。実際そうである! 私は自分で恐れている、以前よりも強壮になり、大きかった肩はさらに大きくなり、腕もさらに太り、胸もさらに張ってきたけれども……
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by bashkirtseff | 2010-06-06 22:15 | 1882(23歳)

1882.11.23(Thu)

 今週私のしていることは自分にも信じられないほどのまずさである。ジュリアンは私を呼んで無用な残酷な言葉を私に言った。……私にはとても理解の出来ないようなことを。去年も彼は同じようなことを私に言った。今度は去年の習作を見ながら言った。「あなたは今ではこれほども描けないでしょう。これは良く出来ています。」彼の言うところによると、この3年間私は何にも進歩しなかったことになる。彼は3年前私が絵を始めたときから非難と不平と皮肉を始めたのである。
 多分彼はそう言ったならば私を仕事に追い立てることが出来るだろうと思っているのであろう。ところが反対である。それは私は押しつぶしてしまった。私は3時間気抜けがしてしまって、手は震え腕は燃えた。
 去年の夏私は笑っているイルマの絵を描いて皆にほめられた。今年の夏は、エスパアニュから帰って病気をした後で、パステルを1枚描いた。そうして皆から非常に良く出来たと言われた。それ以来何を描いただろう? 漁夫の絵で失敗した。ロシアへ行った。──6週間の休み、帰ってくると嫌なモデルに当たって、嫌な場所を選ぶことになった。私はそれとも一生懸命で自分の意志に逆らいながら仕事をした。そうしてつまらない絵を描いて引き裂いてしまった。私はこの混乱の中で腕を1本描こうと試みた。ジュリアンが来て、彼の部屋に私を呼んで、今言った注意をしたのである。──私はブレスロオでないことは自分でも知っている。私は勉強しなければならぬことは自分でも知っている。けれどもそのことと、私には希望がないからもう描けないということの間に……要するに人は私が美術に対して全然何物も分かっていないと想像するであろう!
 私はわざとそんな風にしているのではない。それなら! ニースで病気になって以来私の企てたことは皆彼のために嫌なものとして取り扱われた。しかしもしそれが彼の意見だとするならば、また私の意見でもある。ただ彼はわざわざ出掛けてきて、私が何にも出来ないのは勢力を空費するからだといったり、私が自信を持ちすぎるといったり、私が成功したと考えていると言ったりしないだけのことである。彼はそんなことを信じていない──それは途方もないことだと思っている。それは私を滅ぼすからはなはだ愚かなことだと思っている。
 もし私が色において線の時ほど急速の進歩をしないとしても、それはこんな不名誉なことを私に言うことの理由にはならない。
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by bashkirtseff | 2010-06-06 22:00 | 1882(23歳)

1882.11.21(Tue)

 昨日から私はアトリエで絵を描いている。私はモデルの美しさとか、見場の良さとか、そういったようなものをば念頭におかないで、1番に単純な仕事に後戻りした。「この制度で6カ月もやれば、」ジュリアンは言った、「あなたは何でも好きなものが描けるようになります。」彼はこの3年間私が少しも進歩をしなかったことを知っている。そうして私もそれを信じるようになるだろう。実際私は絵を始めてから少しも進歩しない。これは私が以前と同様に骨折って勉強しなかったためであろうか? 否、私は以前にも倍して勉強した。私は自分に難しすぎる仕事を企てていたのである。
 しかしジュリアンは私が勉強しなかったから進歩しないのだと思っている。
 私はすべてのものが嫌になった。私自身さえも! ……私はいつまで立っても治らないであろう。あなたには、それが、どんなに恐ろしい、どんなに不正な、どんなに物狂おしいことだということがお分かりになりましょうか?
 そう考えて私は落ち着いて我慢している。それは以前から覚悟してたからである。しかし──それは理由ではない。本当はそれは永久的のことではなかろうと信じているからである。
 あなたはそれを実感することが出来ますか──私の全生涯、死までも?
 明らかにそれは私の性格と心意に影響することである。それがすでに私の髪の毛に幾本かの白髪を交えたことをば言わないとしても。
 私は繰り返して言うが、それはまだ信じられない。何事もなされ得ないということは不可能である。しかもそれが永久であって、全世界と私の間を膜で隔てられたまま死ぬというようなことは! いつまでも、いつまでも、いつまでも、私の耳が聞こえないというようなことは! ……
 人はこれほど決定的なこれほど取り返しの付かない宣告を信じることは出来ないものだということは、真実ではなかろうか? 希望の陰影さえもなくなったことを!
 こんなことを考えたので私は仕事をしながら非常に神経的になった。モデルでもその他の人でも何か言っているのが私には聞こえないのではなかろうかと絶えず気になりだした。また彼らが私の病気をからかっているのではなかろうか、私に聞こえるように大きな声を出しているのではなかろうかと。
 それからモデルを家に呼んだときは? ……家の人たちが彼女にそのことをはっきりと話す。……そのこととは何か? 私が聞こえないことである。私はそれを試してみよう。不具の告白。しかも甚だしく屈辱的な、愚かな、痛ましい不具。──要するに不具である!
 私にはその勇気がない。私はそれが気付かれないで済みはしないかという望みをまだかけている。
 私はここでそのことを公にしようと試みた。けれども私にはそれは信ずることが出来ない。……私は何だかほかの人のことを話しているような気持ちである。……この恐ろしい夢がどうして実感されよう、青春の赤々したこの身に? ──人生のこの若さに? それが可能なことであって、悪夢ではないというようなことがどうして信じられよう?
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by bashkirtseff | 2010-06-06 21:56 | 1882(23歳)

1882.11.17(Fri)

 これから先私はもっともつまらない人間よりもつまらない人間になるだろう。不完全な病弱な……。私は家の人たちからはいんぎんと助力を、知らぬ人たちからは親切を、必要とするであろう。独立とか、自由とか、そんなものはすべて終わりになった。
 高慢な私はこれから絶えず恥ずかしい思いをしたり、ちゅうちょしたりしなければならないであろう。
 私は今私をこのことに慣らすために書いている。けれどもまだそれを信ずることは出来ない。──それは恐ろしいことである。なぜと言うに、私はまだそれを実感することが出来ないから。──それはあまりに残酷な、あまりに信じられないことである。
 姿見に映っている私の新鮮なバラのような顔は、私の心をれんびんの情で満たす。
 そうだ、世界中が皆それを知っている。少なくとも今に知ってしまうであろう、──今まで私を非難して喜んでいた人たちが……──「あの人はつんぼだ」と。──しかし、私の神様! ……なぜまたこんな恐ろしいことをば突然に?
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by bashkirtseff | 2010-06-06 21:41 | 1882(23歳)

1882.11.16(Thu)

 私はある病院の外科医をしている有名な医者のところへ行ってきた。──人知れずそっと着替えをして。それは彼にいいかげんなことを言われないために。
 おお! 彼は愛想の良い人ではなかった。彼は率直に言った。私は決して全治しないと。けれども耳の聞こえないのが耐えられる程度までには良くなるだろうと言った。それは実際外観上はすでに良くなっている。けれども私は彼の処方に従わなければ耳の病気は悪くなるだろうと思った。彼はまた私を1人の小さい医者に紹介した。その人が2カ月間私を診察することになった。なぜと言うに、彼には1週2度ずつしか私を見る時間はなかったから。
 私は初めて勇を鼓して、「ムッシュ・私はつんぼになりかけています」と言った。それまでは私はいつも「良く聞こえます」とか、「耳が詰まっているのでしょう」とか言っていた。この時初めて私はその恐ろしいことを言った。すると医者は外科医の残酷さを持って私に答えたのであった。
 私は夢に現れたこの不幸が、これ以上のものではないようにと希望している。けれども私たちは神が彼の卑しいしもべのためにとっておいた煩わしさでこれから先悩まされたくはない。今私はもう半分方つんぼになっている。
 けれども医者はきっと良くなるだろうと言った。私は家族の者に取り囲まれて世話をしてもらったり、力を貸してもらったりしている間は耐えられるが、もし1人きりになって、知らぬ人たちの中に混じるようになったら、どうだろう!
 そうしてもし心の曲がった乱暴な夫を持つようなことになったらどうだろう? ……もしこのことが私の持つべきある大きな幸運の代償として支払わるべき値であるとしたら! しかし……なぜ神は善良であるとか、神は正義であるとか言われるのだろう?
 なぜ神は悩みを引き起こしたりするのか? もし世界を作ったのが神であるならば、なぜ彼は悪と悩みと不正を作ったのであろう?
 それにしても私の耳は治らないだろう。……耐えられる程度にはなるだろうが、それでも私と世界の他の者の間には1つの膜があるだろう。枝を鳴らす風、水のささやき、窓を打つ雨、……低い調子の話し声……私はそういったようなものを1つも聞くことが出来なくなるだろう! K…の家族と一緒になっても私は一度も困ったことはなかった。また食卓でも困ったことはなかった。対話が調子づいている間は少しも不幸を感じることはなかった。けれども芝居を見ているとせりふの大部分は分からなかった。ちょうど私のモデルの言うことが分からないと同じように。──しかもモデルたちは大きな声を立てないように気を付けているから、ひときわ静かであるにもかかわらず。実はこのことは過去1年間ある程度まで私は予想していたはずではなかったか? ……私はもうそれには慣れているはずであった。慣れてはいるけれどもやはり恐ろしいことである。
 私は私にとって大切なもの、私の幸福にとって1番必要なものを破壊された。……
 もしここまででそれがとどまってくれたら!
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by bashkirtseff | 2010-06-06 21:40 | 1882(23歳)

1882.11.15(Wed)──パリ

 私はパリに戻った! 私たちは木曜日の夜ロシアを立った。伯父ニコラスとミシカが最初の停車場まで見送ってくれ、ポオルとその妻はカアルコフまで見送ってくれた。私たちはキエフに24時間留まった。キエフにはジュリ(伯父アレクサンドルの娘)が学校に上がっている。まだ14歳の愛らしい少女である。
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by bashkirtseff | 2010-06-06 21:25 | 1882(23歳)

1882.11.07(Tue)

 ここでは人は舞踏に行ったり、友達と酒を飲んだり、トランプをしたり、バレエの踊り手と会食したりする。そうしてもし婦人と話すことがあれば恋しているときだけである。
 例えばフランスにおいてのごとく、一般の人を相手にして、何事をも話題にして話すということはこの辺では行われていない。どんな出来事も知れ渡らない。もっとも野卑なもっとも退屈な雑談のほかに対話というものはない。大きな気損じはオテルで、財産所持者(貴族)たちが時々近隣から出てきて幾週間も泊まっていることである。彼らはお互い同士部屋から部屋を訪問して、飲んだりトランプしたりする。芝居は入りがなく、すべて知的娯楽に多少とも似通ったほどの物は皆嫌われている。
 彼らはこの高尚な国の貴族の前ではごみの中でもはい回る。……ああ! 私があんなにしなければならぬとしたら、私はどこかよそへ行ってしまいたい! ……しかし、公爵たちの話に戻ると、これはポルトヴァの人たちの驚いたことであるが、私は世界の他のすべての人を取り扱うと同じように九尺たちをも私と同等の者のごとく取り扱った。……これは文明世界においては当たり前のことである。公爵の家族は私を少しも満足させない。けれども子ども──その子どもは御者を打った──だけは活発で愛想が良くてばかでない。その子どもは果物やシャンパンを積み立ててあるテーブルの下にもぐり込んで面白半分にそれをひっくり返したりしたから私はそういうのではない。……彼が御者を打ったことは実際である。……それはある点までこの国においては、かつその年ごろにおいては、理解されることなのである。あなたは皆が驚いたり恐れたりしたと思いますか? それどころではない。そんなことは誰だって何とも思ってはいない。公爵R…にだってそれは面白いことである。私はここを去りたくなった。
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by bashkirtseff | 2010-06-04 08:00 | 1882(23歳)

1882.11.06(Mon)

 全く疑いもなく彼らは理解することが出来ないのである。……パリ、優美、有名! 実に、何が善であるか? 役者は有名であり、画家は名前だけ知られている。その名前については、唯一の有名な名前はラファエルである。次にロシアの拙劣な画家たちの石版画がある。この画家たちの才能はその性格と同じように本物でないごまかしの空虚なものである。優美と言えば、彼らは「パリの流行風」と呼ばれているカアルコフの仕立屋の優美を信じているのみである。それでは私たちの服装はどうかと言うに、それは「過度」で「極端」で、そうしてパリから来たのではあるけれども、着付けがまずいと言うのである。
 それで私はどうしたらばここに両手を組みながら苦しんでいる心を人に理解してもらえるだろう?
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by bashkirtseff | 2010-06-02 07:53 | 1882(23歳)

1882.10.27(Fri)

 昨日の美しい日光の後で今日は灰色である。私は仕事をしないで気がすぐれないので、母とポオルと一緒にポルトヴァへ行こうと言い出した。途中で私たちは公爵夫人とヂナが帰ってくるのに出会った。ヂナはそこから私たちと一緒に引き返した。……オテルで私たちはミシカとリホペイに会って劇場へ行った。それは、ロシアの芝居に対する私の考えを一層確実にするものであった。……芝居と小説はいつもある程度までの実際生活の反映である。けれども私は私の国に祝辞を述べているのではない。その野卑は同時に素朴でもあればまた腐敗でもある。……
 彼らは愛人同士または夫婦の間でするように唇に接吻する。……それから首にもほほにも接吻する。そうして公衆は黙っている。それは当然のことのように見える。……社交界の若い婦人たちや土地のきれいな娘たちが若い男の耳を打ちたたく。若い男たちは彼らに申し込みをすると、彼らは男たちが持参金のために愛するのではないかと疑う。
 要するに……これがもし浮いた女の社会とかオッフェンバッハの空想や古昔の領域に行われて、型のごとき派手やかさと愚かさを伴っているのだとするならば、それでも良い。けれども彼らは財産の所有者であって私たちのようなブルジョアであって、しかも全くまじめなのである。……
 それはどうして良いか分からない。
 今夜私たちは1人の小さい粗野な娘を見た。それは機知に富んだ、腐敗した、成熟した、結婚した男(芝居の中の)を愛する1人の ingénue〔うぶな娘〕である。2人きりになると、そのたびに、彼らは口に接吻した。──娘の方は少しも後悔するようなところはなく、男の方はそのことを面白く思って。やがて日が暮れると男は逃げかかる。娘は彼に言う。「なぜあなたは私のところから逃げようとはなさいます? あなたは何を考えていらっしゃるの? 私だって人間ですもの。血もたぎろうじゃありませんか。うんぬん。」要するに……娘は自分を愛しているある若い男と一夜を過ごして、老人とその妻(その妻は若くてきれいであった)のところへ戻って、このことの起こりは老人だと言う。なぜかと言うに、老人が彼女の心を扇動して……結局誰か他の人で我慢するように仕向けたからである。若い男は彼女と結婚して、彼女を「契りを結んだ私の花嫁」と呼んで、その口に恐ろしい接吻をした。それはきっと明日までもその周りに青い印が残りそうな接吻であった。実に野卑である。けれども不道徳ではない。あなたに恋を嫌わせて、何物をも絶対に生ぜしめはしない。
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by bashkirtseff | 2010-05-31 21:13 | 1882(23歳)